鮮やかに咲く、真夏のひまわりみたいに(9)

 

 かなでは夢を見ていた。

 小さい頃の夢だ。律と響也と一緒に、習いたてのヴァイオリンを弾いた夢。

3つの音が混じって、響いて、拙いハーモニーを奏でる。

かなでは楽しかった。ただただヴァイオリンを弾くのが楽しくて、嬉しくて。

 曲が終わると、3人で笑い合い、手を叩いた。

「……響也……律くん……」

 祖父も笑っている。かなでたちの演奏に拍手して、もっと聞かせてほしいと頼む。

「おじいちゃん……」

 懐かしい夢のおかげで、かなでは幸せだった。

 目が覚めた時も、夢の続きのような気持ちでいっぱいだったのだが。

 それも長くは続かなかった。

「やあ、ようやくお目覚めかい?」

 どこからともなく現れたニアが、かなでが気絶している間に何があったか、余すところなく伝えてくれたからだ。

「……と、そこで如月弟が東金につかみかった。『てめえ、かなでに何しやがった』とか言ってね」

 かなでは聞くほどに青ざめた。

ニアの方はといえば、実に楽しそうに、たまに身振りなども交えつつ、話を続ける。

「眠れるお姫様の君が、甘えた声でささやく――『律くん』と、はっきりそう聞こえたな。あの時の男どもの顔は、まあ何というか――」

 かなでは耐え切れずにベッドに突っ伏した。

 消えたい。

 今すぐ消えてなくなりたい――。

「君を見直したよ。ぼんやりした娘だと思っていたが、なかなかやるじゃないか。あの東金の腕の中で他の男の名を呼ぶなんて、ちょっと人にはできない芸当だと思うぞ?」

 かなではがばと身を起こした。ニアが驚いたように身を引き、

「なんだ、怒ったのか?」

 それどころじゃない。

「私、東金さんに会わなきゃ……会って謝らないと……」

 今にも部屋を飛び出していきそうなかなでを、ニアは冷静に引き止めた。

「こんな時間に、男子棟に押しかけていくのかい?」

 かなでは置時計を見た。――2230分。

「そもそも君は何を謝るつもりだ?」

「何って……」

「君は東金の彼女じゃない。誰の名を呼んだところで、謝る必要などないだろう。……まあ、東金にとってはいい(つら)の皮だったかもしれないが……」

「つ、面の皮??」

 意味がわからず困惑するかなでに、ニアは「ああ、すまない」と言って、

「割に合わない目にあった、ということさ。あるいは、とんだ恥さらし、とかな」

「………っ!……っ!」

 かなでは両目をいっぱいに見開き、ついでに口もぱくぱくさせながら、意味もなく手足を振り回した。

「まったく、君のリアクションは見ていて飽きないよ」

 ニアがつぶやく。

 その落ち着き振りを見ていたら、かなでの頭もいくらか冷えた。

ここで慌てている場合じゃない。

東金に償いをしなければ――だけど、どうやって?

ニアの話が全部事実なら、土下座したって足りないくらいだ。

「どうしよう……」

「うむ、そうだな。詫びの代わりに、キスでもくれてやったらどうだ?」

「ニア……真面目に答えてよ」

 かなではすがるように友人の顔を見上げた。

「そうは言っても、難しいな。あの男の性格では、謝罪したところで喜ばんだろうし」

 そうかもしれない。そもそも、謝って許してもらおうなんて都合のいい考えだ。

 だけど、それでも――。

「とにかく、謝る……。それに、律くんと響也の誤解も解かないと」

 東金はかなでを助けてくれただけなのだ。それだけは、2人にわかってもらわなくては。

 しかし、ニアはあっさり首を横に振った。

「ああ、それはもう必要ない」

「え……?」

「実は、君が寝ている間に、神南の副部長から言付けを頼まれてね」

 今回の件は内密にしてほしい、と土岐は言ったのだという。オケ部の仲間にも、他のコンクール参加者にも。

「え、ど、どうして……?」

 うろたえるかなでに、

「それは、少し考えればわかるんじゃないのか。東金は神南の部長だ。しかも、全国大会では星奏と競うことが決まっている。戦う相手を助けた、なんて話が部員に知れたら、立場上まずいんだろうさ」

「……っ!ち、違うの!……東金さんも、それはわかってて、最初は断られたの。だけど、だけど私が、」

 泣いて、わめいて、すがった。

「落ち着け、小日向。ここで私に言い訳したって意味はないよ。問題は、東金の行為が他人にどう見られるかということだ。例えば、そうだな――芹沢あたりが知ったら、どう思うだろうね?裏切り、とまでは言わんだろうが、軽挙だと怒るくらいはするだろうな」

「………!」

 かなではいっそう青ざめた。

 一方のニアはあくまで冷静に、細い指を折りながら言葉を続ける。

「もうひとつ。うちの男連中とて、事実を知ったら、いい気分はしないんじゃないのか。他校の部長に頼るくらいなら、なぜ自分たちに言ってくれないのか。自分たちはそんなに頼りないのか、とそう思うだろうね」

「…………」

 かなでは返す言葉もなくうなだれた。

 本当に――我が事ながら、何という身勝手さ、浅はかさ。

 自分の演奏を変える、それしか頭になかった。東金の迷惑も、仲間たちの気持ちさえ何も考えずに……。

「そういうわけで、この件は君と私、土岐と東金だけの秘密にしておこうということで片がついている」

「だけど、それじゃ……東金さんが誤解されたままになるんじゃ……」

 律や響也が、東金を責めるかもしれない。それは困る。

 しかしニアは、「心配ないよ」と首を振った。

「君はヴァイオリンの練習中に、気分が悪くなって倒れたんだ。東金はたまたまその場を目撃して、君を寮に連れ帰っただけだ。おかしな話ではないだろう?事実、このところの君は、いつ倒れても不思議はないくらい根をつめていたからね」

「…………」

「ちなみに、如月兄はこの言い訳で納得している。如月弟は半信半疑という顔をしていたが、君の口から直接聞けば納得するだろう。あとは、東金自身がどう思っているか、だが……」

 かなではハッと顔を上げた。

「口裏合わせについては了承済みだ。それと、これは土岐の話だが――東金は別に、君のことを怒ってはいないそうだよ。自分が好きでやったことだから、気にしなくていい、とこういう理屈らしい」

 全く信じられんな、と付け加える。言葉とは裏腹に、おもしろそうに瞳を輝かせて。

「…………」

 かなではニアの言葉を反芻した。

気にしなくていい。

好きでやったことだから。

怒っていない――。

「………っ!」

 一瞬で涙が込み上げてきた。しゃくり上げようとするかなでに、ニアはぴしゃりと言った。

「泣くな。泣く前に、君にはやるべきことがあるだろう」

「……っ!……っ!」

 こぼれ落ちようとする涙を、かなでは懸命にこらえた。そうだ。やらなければいけないことが、自分にはある。

「まずは落ち着いて、それから顔を洗ってこい。明日、東金の前に出た時、泣いたり取り乱したりしないようにね」

 口では厳しいことを言いながら、それでも励ますようにほほえんでくれるニアに、かなではうん、うんと何度もうなずいて見せた。




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