鮮やかに咲く、真夏のひまわりみたいに(8)

 

 千秋が車で来いと言った理由――それは実際に山下公園まで行ってみると、すぐにわかった。

 千秋は雨を避けて木陰に避難していたのだが、1人ではなかった。

なぜか気を失っているらしい少女を抱きかかえ、さらに彼女のヴァイオリンと、自身愛用のヴァイオリンを雨からかばっていたのだ。

「遅いぞ、蓬生」

 文句より礼が先ではないのか。

などと軽口を叩く暇もなく、「運べ」とヴァイオリンケース2つを押しつけられる。

千秋自身は少女をだっこしたまま、車まで連れていくつもりらしい。幸い、雨は先程よりも小降りになっていた。

(どないなっとんねん)

と思いつつ、千秋の背中を追う。

 少女の名は、小日向かなで。

 星奏オーケストラ部の部員で、菩提樹寮の寮生。ほとんど男ばかりのあの寮で、たった2人しか居ない貴重な女子の1人。

ほんわかした笑顔がかわいいお日さまみたいな子で、いかにも男慣れしていない素直な反応が愛らしい。

 かつ、彼女とアンサンブルを組む4人は全員男で、たった1人の女子メンバーに、少なからぬ好意を抱いている。

 要は彼女にちょっかいをかけると、男どもの反応がおもしろいのだ。

 できればもうちょっとお近付きになって、高校生活最後の夏に彩りを添えてほしい、と土岐はひそかに思っている。

 もっとも、大会中は女関係の揉め事は起こすな、と千秋にきつく釘を刺されているから、悪さをする気はなかったのだが――。

 その千秋が、目の前で小日向かなでを抱きかかえている、この状況は何なのだろう。

 少女は顔色が悪かった。さらに気がかりなのは、彼女の顔に、どう見ても泣いたとしか思えない痕が残っていることだ。

 相手が千秋でなければ、それこそ悪さでもしたのかと考えてしまう。

 少女の体をそっと後部座席に寝かせる千秋の横顔が、見るからに心配そうでなければ――。

「何があったん?」

と聞いてみる。

「後で話す。それより今は、こいつを連れ帰るのが先だ」

そう言って、自分は助手席に乗り込む千秋。

土岐も運転席に移動しながら、

「寮に戻るん?医者に連れてった方がええんちゃう?」

「別に、具合が悪いだけじゃない。寝てるだけだ。……多分な」

一言付け加えたところを見ると、千秋も不安なのかもしれない。車が走り出した後も、ちらちらと後部座席の様子を伺っている。

(ホンマに何があったん)

 頭の中は疑問符だらけだったが、山下公園から菩提樹寮までの短い道程では、考えをまとめる暇もなく。

 土岐が寮の門前で車を止めると、千秋は待ちきれないように車のドアを開け、少女の体を抱えて建物の中に消えた。

(なんやろなあ、あれ)

 先程の心配そうな様子といい、今といい――また、えらく小日向かなでのことを気に入ったものだ。

 素直でかわいらしい子だが、千秋のタイプには見えない。普通の男子高校生の枠から大きく外れている千秋は、同世代の「普通」の女子には、さほど魅力を感じないらしい。

 ただ、千秋は見かけによらず面倒見がいい。部活の仲間として、後輩として、かわいがるということなら今までにもあった。

 然るに、あの子も似たような気分で面倒を見ることになったのだろうか?これからセミファイナルで競う相手に?

(……あかん。大いにありうるわ)

 さらに見かけによらないが、千秋は人が好い。特に、必死で努力しているのにうまくいかない人間を見ると、放っておけない性分なのだ。

(芹沢に知られたらまずいなあ。うまくごまかさんと……)

 ひとまず寮の裏手にある駐車スペースに車を止めてから、寮に戻る。

 玄関を入ってすぐ、何やら騒ぎの気配に気づいた。

「てめえ、かなでに何しやがった!」

 女子棟へと続く廊下。つかみかからんばかりの勢いで千秋に迫っているのは、如月律の弟。名は確か――何だったか。

「と、こらあかんわ」

 如月兄弟と小日向かなでは幼なじみだと聞いている。そして前述のように、彼女に対して好意を抱いているフシもある。

 そんな少女が、気を失った状態で他校の男子に抱きかかえられ、顔に涙の痕をつけて帰ってきたら。

 誰でも混乱する。

 千秋は平然としているが、今は両手がふさがった状態である。こんなことで殴られでもしたら洒落にならない。急ぎ、駆けよろうとした時、ほっそりした人影が2人の間に割って入った。

「まあ待て、如月弟。事情もわからないのに、そういきり立つものじゃない」

「支倉……!?なんで邪魔すんだよ」

 如月弟を止めたのは、髪の長い女生徒だった。

 こちらは名前を覚えていた。

 ニア。支倉、ニアだ。

 菩提樹寮の貴重な女子2人のうち、もう1人。ミステリアスな空気をまとった、掛け値なしの美少女である。

もっとも、土岐は彼女と「お近付きになりたい」とは思っていない。

 なぜかというに、彼女には男を寄せ付ける「隙」がない。

 高嶺の花、あるいは気位の高い猫のようなタイプ。つまり、絶対に遊びでは付き合ってくれない。

こういうタイプを射止めるのは、きっと愚直なくらい恋に真剣になれる男だけだろう。自分のようにいいかげんな男には、もとより守備範囲の外である。

それはともかく。

 支倉ニアと小日向かなでは、タイプは大きく違うが、仲がいい。

その小日向かなでが男の腕の中で気絶している状況を、支倉ニアはどう思ったのか。

土岐の目には、彼女は冷静に見えた。少なくとも、そばで騒ぐだけの如月弟よりはずっと。

「まずは小日向を部屋に運ぶべきだろう。話はそれからでも遅くない」

「そういうことだ。そこをどけ、如月弟」

 千秋にまっすぐな視線を向けられて、如月弟は一瞬、ひるんだように見えた。

しかしわずかな動揺よりも、幼なじみへの心配の方がまさったらしく、

「どけって、てめえ……かなでをどうする気だよ!」

 チッと舌打ちする千秋。

「耳が聞こえねえのか、如月弟。部屋に運ぶんだって言ってるだろうが」

「なっ!女子棟に入る気か?」

「他にどうしろってんだ。こいつを叩き起こすのか?それとも、そこの猫女に運ばせるってか」

「私はそんな力仕事はごめんだよ」

 支倉ニアがさらりと口を挟む。

「東金にそれをさせたくないなら、君が代わりに運べばいい。もしくは、如月兄。君でもいいだろう」

 ハッと土岐は気づいた。背中に現れた気配に。

 如月律は、その手にヴァイオリンケースを下げて、寮の玄関先に立っていた。たった今、帰ってきたところだろう。全く雨に濡れていないのを見ると、こんな天気でも、しっかり傘の用意をしていたのか。

 目の前の状況に一瞬、驚いた顔をして、しかし、千秋の腕の中に幼なじみの少女が居るのに気づくと、

「小日向!?」

 叫んで、駆け寄った。日頃は冷静すぎるほど冷静な男が、はっきりと動揺の色を顔に浮かべて、

「これは、どういうことだ?東金、彼女に何をした?」

「ちょ、誤解や、如月クン」

 土岐は慌ててその背に追いすがった。

 そう、誤解だ。千秋が小日向かなでに危害を加えるわけがない。

 しかし事情を知らない土岐には、二の句が告げなかった。これこれこういう風に誤解なのだと、言ってやることができない。

 そして当の千秋には、懇切丁寧に事情を話すつもりなどハナからないらしい。

「何って、見ての通りだよ。こいつが目の前で気絶しちまったから、寮まで連れてきた。今は部屋まで運ぶところだ」

 土岐は頭を抱えたくなった。それでは誤解を煽るようなものだ。

「東金!」

 如月律が、千秋の肩に手をかける。

 千秋はひるまずにらみ返す。刹那の沈黙。

「んん……?」

 ――その時、何とも緊張感のない声がした。

 千秋の腕の中で、小日向かなでが、お昼寝中の猫のように身じろぎしている。

 如月弟がその顔をのぞきこみ、

「かなで?起きたのか?」

と声をかけた。

 いや、寝とるやろ。

 おそらく、夢でも見ているのだ。まぶたがぴくぴくしている。

 全員の視線が集まる中で、小日向かなでは、尚も眠ったまま――子供が母親に甘えるような声で、こう言った。

「……律くん……」

『…………』

 無言。

 千秋も如月律も、その弟も。

 何とも形容しがたい表情を浮かべて、沈黙している。

 1人、支倉ニアだけは、おやおやとおもしろそうな表情を浮かべていたが。

(あっちゃあ……)

 今のは、痛い。

 それはないやろ、小日向ちゃん。事情はさっぱりやけど、今のはあかんわ。

 土岐は幼なじみの横顔を伺った。

 あまり見たことのない無表情。少女の寝顔を見つめながら、何事かを考えているようでもあったが――やがて、その顔から、ふっと力が抜ける。

「本人のご指名じゃ仕方ねえな……おい、如月」

「?」

 名前を呼ばれた如月律が顔を上げる。その腕の中に、千秋は少女の体を押しつけようとした。

「東金、何を……」

「いいから、さっさと手を出せ。俺の気が変わらねえうちにな」

「……すまない」

 如月律の瞳から、怒りの色が消える。少女の体を受け取り、大切そうに抱え直す。

 それを見届けてから、千秋はその場の全員に背を向けた。

「行くぞ、蓬生」

「…………」

 土岐は黙ってついていった。

「って、おい!まだ事情説明がすんでねえだろが!」

 如月弟の抗議の声は、取り合う者もなく廊下に消える。

 そのまま男子棟に向かって歩く間、千秋は自分の腕をさすっていた。

小柄な少女でも、ずっと抱えていれば、腕くらい痺れよう。寮に戻ってからだけではない。あの雨の公園でも、千秋は少女をかばってやっていた。

「……千秋」

 何とはなしに名前を呼ぶと、

「わかってるよ。事情は今、話す」

「そやのうて……」

土岐は言葉につまった。

だいじょうぶなん?と聞くのもおかしい気がする。別に千秋がフラレたわけではない。

……って、この例えは何だ?

(あかん。俺も混乱しとるわ)

 土岐は頭をかいた。

 まずは千秋の説明を聞く。何か考えるのはそれからでいい。




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