鮮やかに咲く、真夏のひまわりみたいに(7)

 

一雨(ひとあめ)きそうやな)

土岐蓬生は気づいた。

 先程まで照っていた太陽が陰り、頭上に暗い雲が広がっていく。

乾いた空気に雨の匂いが混じり、瞬きするほどの間にその濃さを増していく。どうやら、急いだ方がよさそうだ。

まあ、これが普通の時なら、別に濡れていっても構わないのだが。

今は大会期間中だ。にわか雨にやられて体調でも崩した日には、あの幼なじみに何を言われることやら。

(千秋やったら、楽器を濡らすな、って怒るかもわからんけど)

 くすりと笑みが漏れる。

 その時、ぽつり、と雨の雫が、土岐の顔に落ちてきた。

「と、あかん」

 土岐は足を速めた。滞在先のホテル――ではなく、星奏学院の学生寮に向かって。

 菩提樹寮、と呼ばれるその建物は、かなり年代物の洋館である。

 土岐は古い物が嫌いでない。無駄にぴかぴかと真新しい建物より、緑の中の古びた洋館の方が、風情があっていいとも思う。

 もっとも、ここに滞在して1週間――。

 床を踏み抜きそうになるわ、風呂のシャワーが唐突に湯から水に変わるわ、しまいにエアコンまで止まるわで、世の中には風情だけではままならないこともあると思い知っていたところだ。

 菩提樹寮を滞在先に選んだのは、千秋だ。

もとは星奏の理事長の方から話があったらしい。

大会期間中、星奏の施設は参加者に開放される。その一環として、寮の空き室を格安で提供するという。

部費に困っている弱小校には、魅力的な申し出だろう。だが、神南の管弦楽部なら、もっとマシな宿泊先がいくらでもあったはず。

にも関わらず、わざわざ申し出に乗った理由を聞いたら、「その方がおもしろい」と、例によって意味不明の答えが返ってきた。

なので、土岐なりに理由を考えてみたのだが。

ひとつは、星奏オーケストラ部の部長・如月律の存在だろう。

 2年前、全国大会の決勝で敗れて以来、千秋は如月に対し、特別な関心を寄せている。彼が住んでいる寮というだけで、興味を引かれたとしても不思議はない。

 もうひとつは――言葉では説明しがたい、ある種の直感か。

 人一倍好奇心旺盛で、常に自分の興味を引く何かを探し求めている千秋は、おもしろそうなことには勘が鋭い。

 事実、訪れた菩提樹寮は、土岐にとっても刺激の多い場所と言えた。

寮生の数こそ少ないが、皆、個性的な面々で、飽きが来ない。

 先に滞在していた仙台・至誠館高校吹奏楽部のメンツも、やたらにぎやかではあるが煩すぎることもなく、彼らが作り出すアットホームな空気は、意外や土岐をくつろがせてくれた。

 全体としてみれば、ここでの暮らしは悪くない。それどころか、幼なじみの直感に感謝してもいいくらいだ。

(ホンマ、千秋とおると退屈せえへんわ)

 ぽつ、ぽつ、と雨が顔に当たる。

 まだ本降りではないが、確実に勢いを増してきている。走るのはあまり得意でない土岐だが、そんな悠長なことを言っている場合でもなさそうだ。

 ヴァイオリンケースを抱え直し、足を速める。

 菩提樹寮の入り口に駆け込んだ時、ざあざあと、本格的に雨が降り始めた。

 間に合った、と安堵したのも(つか)()

 土岐の携帯が鳴り出した。

(千秋?)

 携帯を取り出し、通話ボタンを押す。同時に、いかにも不機嫌そうな幼なじみの声が耳に飛び込んできた。

「蓬生か。今、どこに居る?」

「……どこて。寮に着いたとこやけど……」

 戸惑う土岐に、千秋は例によって頭ごなしに命じた。

「わかった。今すぐ迎えに来い」

「はい?」

 何、言うとんのや、坊っちゃん。

 こっちはようよう雨を逃れて、帰ってきたとこなんやけど?

 携帯の向こうからも、かすかな雨音が聞こえる。ゴロゴロと響くのは雷鳴か。

 要は、外出先で雨に降られてしまったのだろうが、

「なんや、傘持って来い、いうん?俺は千秋のオカンやないで?」

 皮肉たっぷりに答えると、

「阿呆、迎え、いうたら車に決まってるやろ」

 電話の向こうで、千秋も怒ったように応じた。

「今、山下公園や。埠頭の見えるベンチ。そっからやったら、すぐ来れるやろ。急げよ。近くに来たら電話せえ」

 一方的にまくしたて、通話を切る。

「…………。なんやねん」

 土岐は携帯を持ったままつぶやいた。

 山下公園?それなら、この寮から歩いて往復できる距離だ。濡れるのが嫌なら、タクシーでも拾えばいいだろうに。

「……しゃあないなあ」

 ため息をついて、土岐は車のキーを取りに向かった。いかに不服でも、千秋の命令は無視できないのが自分だ。

 ただ、ムカつくから待たせたろかな、とは思った。

 のろのろと自室に向かいかけ――ふと、何かが土岐の意識にひっかかる。

(千秋、方言出てた?)

 基本的には、標準語を使うことが多い千秋である。方言が出るのは、思わず素に戻るような何かがあった時か、あるいは――よほどせっぱつまった時に限られる。

 不機嫌な声?違う。

 あれは、焦った声、だった。

 何かあったのだ。おそらくはトラブルに類する何かが。

土岐は舌打ちして足を速めた。

 あの阿呆が。困ってるなら困ってる、ってはっきり言わんかい。




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