鮮やかに咲く、真夏のひまわりみたいに(6)

 

 海風の吹き抜ける真夏の臨海公園に響く、ヴィヴァルディの『冬』。

 かなでは息を飲んだ。

一瞬、目の前の景色も、自分の置かれた状況も全部吹き飛んで、東金のヴァイオリンに耳を奪われていた。

 いつもの華やかな演奏とは、随分印象が違う。

『冬』の第一楽章は、身震いするような寒さ、容易に人を絶望させる自然の厳しさや無慈悲さを表している。もともと暗い感じの曲調だから、違うのは当たり前なんだけど。

 東金の演奏は、本来の曲の意味を表現しつつ、厳しい試練に挑むような、甘くはない現実に立ち向かうような、そんな人間の強さも感じさせた。

(こんな解釈もできるんだ――)

 高い技術力を必要とされる難曲なのに、それを聞く者に感じさせない、なめらかな演奏。

 かなでがぼうっと聞き惚れていると、東金がちらりと目線を上げた。

 ――何をやってるんだ。おまえも弾け。

 かなでは慌ててヴァイオリンを構え、同時に違和感を覚えた。

(いつもより重い……?)

ヴァイオリンだけではない。自分の両腕も、それどころか、体全体が重い――指先は硬く強張り、まるで血の気が通っていない。

(どうして……?)

と、いうほど難しい話ではない。

冥加と別れた後、足が痛くなるまで町をさまよい歩き、かなでの体力は、とっくに限界を超えていたのだ。

両足がふらふらする。立っているのもやっとの有様で、いつも通りにヴァイオリンが弾けるわけもなく。

最初の一音から、いきなり外した。

かあっと顔が熱くなる。

東金は何も言わずに弾き続けているけど、これじゃまともな演奏なんて――。

弓を下ろしかけた時、東金が目線を上げた。

強い目だった。声に出さなくても、何を言いたいのかわかった。

――やめるな。弾け。

「…………っ!」

 かなでは歯を食いしばって、ヴァイオリンを弾き続けた。

 音が、こぼれていく。

 調子外れで、下手っぴで。

 なんてひどい演奏だろう。情けなさのあまり、止まっていた涙が、再びあふれ出した。

「……うっ、ひっく……」

 こらえようにも、嗚咽は耐えがたく。

 かなではぼろぼろ泣きながら、もはや演奏とも呼べない演奏を続けた。

 真昼の公園には人通りがある。

 泣きじゃくりながらヴァイオリンを弾くかなでを、通りすがりの人たちが、何か怖いものでも見てしまったという顔で避けていく。

 自分だけならまだいい。

 だけど、かなでと曲を合わせている東金も、きっと同じような目で見られるのだ。

 東金だって、気づいていないはずがない。

 なのに、何も言わずに演奏を続けている。

(なんで?)

 なんで、ここまでしてくれるの。

 こんなことしたって、得になることなんてひとつもない。

 それなのに――。

「……ひっく、う、ああ……」

 視界が涙でにじんで、まともに前が見えない。

 自分がどこを弾いているのかもわからなくなりそうだ。

 ただ、東金の音が。

 時に強引なくらい力強く、かなでを前に引っ張っていく。

 何かを考える余裕なんてなかった。とにかく必死で、夢中で、東金の音を追って。

 ――気づいた時には、曲が終わっていた。

 東金が構えを解く。うっすらと、額に汗を浮かべて、軽く息を切らせている。

かなでが同じように肩で息をしていると、東金が笑い出した。

 それは、だいぶ見慣れた、あの意地悪な笑い方ではなくて。

 かなでが初めて見る、まるで子供みたいに屈託のない笑顔だった。

「ははっ、ひっでえ演奏だったな」

 ばっさりだ。

「けど、弾けたろ」

 東金が笑うのをやめる。口元だけに、優しい笑みを残して。

「弾けないだの、でも弾きたいだの、ごちゃごちゃ考える必要もなかったろ」

「…………」

 かなでは東金を見つめた。

 東金が軽くうなずく。おまえは弾けるよ――とでもいうように。

 緊張の糸が、音を立てて切れた。

 かなでは自分のヴァイオリンを両手で抱きかかえ、声もなくその場に崩れ落ちた。




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