この夏が過ぎたら(2)

 

 間もなく部室に戻ってきた響也とハルは、両手いっぱいに紙袋を抱えていた。

 中身は、クッキー、サブレ、マドレーヌにマフィン。どれも手作りらしく、とてもおいしそうだが、

「おまえら、いったい何をしてたんだ」

 心底あきれたという顔をする大地に、響也が言い返す。

「しょうがねえだろ。差し入れくれるっていうのに断れねえだろうが」

「遅くなってすみません」

 ハルは律儀に頭を下げて、

「ですが、調理部の皆さんも、僕らを応援してくれてるんです。オケ部が全国優勝できるようにって」

 嬉しいですね、と笑顔を見せる。

 そういえば――と響也がハルの顔を振り向いた。

「おまえのクラスメートだかいう、調理部の女。あれ、おまえに気があるんじゃねえか?」

「は?なんですか、それは」

 ――ハルに恋人?

 かなでが思わず身を乗り出すと、ハルは不本意そうに顔をしかめた。

「小日向先輩、そんな期待のこもった目で見ないでください。違いますよ。彼女はただ、自分が作った物を人に食べさせるのが好きなだけです」

ああそうだ、とハルは何か思い出したように付け加えた。

「彼女、菩提樹寮の寮母さんと親戚なんですよ」

「なんだ、そうだったのか?」

響也が驚いた顔をする。

 菩提樹寮の寮母さんなら、かなでたちがいつもお世話になっている人である。

 やはり自分が作った物を人に食べさせるのが好き、特に年頃の男子に食べさせるのが大好きという人で、食べっぷりのいい響也は、入寮当初から彼女のお気に入りである。

「いつか菩提樹寮の仕事を継ぐのが夢だなんて言ってました。もしかすると、何年か後にはその通りになっているかもしれませんね」

「まあ、それまであの幽霊邸がもてばな」

 響也が憎まれ口を叩く。

「おまえたち、何をしているんだ?」

 背後から聞こえた声に、かなでたちは同時に振り向いた。

理事長室に呼ばれた律が戻ってきたのだ。練習もせずに騒いでいるかなでたちを見て、形のいい目尻を吊り上げる。

「各自パート練習をしておくようにと言ったはずだ」

「……いや、そういうあんたは、何やってんだ?」

 響也があっけにとられた顔をする。それも無理からぬことで、部室に戻ってきた律は、両手に菓子折りを3段重ねて持ち、さらに右肘には紙袋を1つ、果物かごを1つ下げていた。

「OB会からの差し入れだ」

「理事長の用件っていうのはそれか……」

 大地がつぶやく。つまり大量の差し入れが理事長室に届いているから、取りに来いと。

「しかし、これはすごい。俺たちだけでは、とても食べきれないな」

 調理部の差し入れと、OB会からの差し入れで、テーブルの上は満杯状態だ。

 律は冷静だった。

「問題ない。部員全員で分ければ、すぐになくなるだろう」

 オケ部の部員は50人。かなでたちが練習に集中できるように、と部室にはあまり顔を出さないが、それでも登校して、自分の楽器を練習している生徒がほとんどだ。部長の律が声をかければ、すぐに集まるだろう。

「や、ちょっと待て。その前に、その果物だけでも俺らで分けねえ?」

 慌ててストップをかける響也。

 果物かごの中には、1粒数百円はしそうな巨峰、真紅のルビーのようなマンゴー、さらにデパートで売ったら数万円の値がつきそうなメロンが鎮座していた。

「響也先輩、いやしいことを言わないでください」

 ハルが顔をしかめる。

「なんでだよ、別にいいだろが。どう見たって俺らの小遣いで食えるもんじゃねえぞ」

「そういう発想こそがいやしいと言っているんです。いいですか。僕らが練習に集中できるのは、オケ部のみんなの協力があってこそで――」

 ハルが説教を始めようとした時、

「これはこれは。随分と豪勢じゃないか」

 かなでたちはまた同時に振り向いた。

 今度現れたのは、オケ部の部員ではなかった。かなでの友人にして、神出鬼没の報道部員、支倉(はせくら)()()である。

「どうやら私はいい所に来たようだ」

 そう言って、にっこり。

「関係者以外の立ち入りはご遠慮ください」

 すかさずハルの声が飛ぶ。が、ニアは平然と、

「そう硬いことを言うな。君たちのコンクールに協力しているのは、何もオケ部の部員だけじゃない。星奏の生徒全員が応援しているんだよ?」

「それは、そうかもしれませんが……少なくとも、支倉先輩に協力していただいた覚えがありません」

 まあまあ、と大地が止めに入る。

「支倉、うちの部室に何か用だろうか」

 律が生真面目に問う。

「ニア、どうしたの?」

かなでも首をかしげた。ニアがオケ部の部室に顔を出すなんて、めったにないことだ。

「ああ、小日向。君に用があって来たんだよ。今日の帰り、少しだけ時間をもらえるか?」

かなでは不安になった。ニアとは昨夜、東金のことで色々話したばかり。何の用かは知らないが、あまりいい予感はしない。

「……何だか怪しいですね」

 ハルが言う。響也も、

「かなで、気をつけろ。そいつ絶対、何か企んでるぞ」

 露骨な不審のまなざしにも、ニアは全く動じなかった。

「失敬だな、君たちは。私はただ、小日向に渡したいものがあるだけだというのに」

「……は?だったら、別に帰りまで待たなくたって、今ここで渡せばいいじゃねえか」

 響也が言う通りだと思う。しかしニアはあっさり首を振り、

「それはやめておこう。男どもにはいささか刺激が強すぎる代物だ」

 大地がため息をついた。

「……ひっかかる言い方だね。今はコンクール前の大事な時期だ。できれば部員の邪魔はしないでほしいんだが」

 大地にしてはキツいセリフだ。女の子には常に優しいのかとかなでは思っていたけど、それも時と場合と相手によるのか。

「邪魔だなんてとんでもない。むしろ逆だ。小日向が迷いなくコンクールに望めるよう、私は誰より考えているつもりだよ」

「その言葉は本当だな、支倉」

 律が言う。その目はまっすぐにニアを見据えている。

「ああ、もちろんだ」

 うなずくニア。あいかわらず読めない微笑を浮かべつつ、律の顔から視線をそらそうとはしない。

「わかった。信じよう」

「おい、律……」

 響也が、それにハルと大地も、何か言いたそうな顔をする。しかし律はきっぱりした口調で遮った。

「おまえたちはパート練習だ。ファイナルまで日がないぞ。1分も時間を無駄にするな」

 鬼部長の指示に、かなでたちの背筋がのびる。

 そうだ。今は遊んでいる場合ではない。

「では、私は失礼する。小日向、また後でな」

 長い髪を翻し、ニアが部室を出て行く。その後ろ姿を、かなでは複雑な気持ちで一瞬、見送った。



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