平家の鬼子 二、逢魔(おうま)(とき)(かい) (1)

 

 六波(ろくは)()(きよ)(もり)(てい)は広い。

 中央に正殿、東西に対屋(たいのや)、南には(つり)殿(どの)が張り出し、家人(けにん)の詰め所などが軒を連ねている。

 京の由緒ある貴族の豪邸と比べれば手狭な方だというが、それでも子供の足には十分過ぎるほど広い。

その邸を、重衡(しげひら)は朝から歩き回っている。

 文机(ふづくえ)の下や葛篭(つづら)の中をのぞいては、

「ここにもない……」

と繰り返す。

 探しているのは、姉の徳子に借りた絵巻物だ。

 (はかな)く、美しく、悲しい恋の話――。

 作家として名の知られた京の貴族が執筆したもので、昨今、京の姫君たちの話題をさらっている。昨夜、重衡も夢中になって読んだ。

 しかし今朝になって続きを読もうとすると、文机の上から消えていたのだ。

(これだけ探してないということは……)

 自分がどこかに置き忘れたのでないとすれば。

 重衡はきびすを返し、(とも)(もり)の寝所へと向かった。

「兄上、失礼致します」

 返事を待たず、部屋の中に足を踏み入れる。

 思った通りだった。うつぶせに床に寝転んで兄が読んでいるのは、探していた絵巻物である。

「勝手に持っていかれては困ります」

重衡は兄の目の前から巻物を取り上げた。

知盛は怒りもしなかった。どうせ暇つぶしに読んでいただけなのだろう。

「これは、姉上から借りた大切な物なのですよ」

重衡の抗議にも涼しい顔で、

「それほど大切な物なら……しまっておけばいいだろう?」

「話をすり替えないでくださいませ。そこにあったからといって、人の物を黙って持っていってよい、ということにはなりません」

「…………」

「兄上、聞いていらっしゃいますか」

「……退屈だ」

知盛はごろりと寝返りを打って、天井を見上げた。

「やはり、聞いていらっしゃいませんね」

 重衡は嘆息した。この兄に限っては、文句を言うだけ無駄かもしれない。

「聞いてほしいなら、もっとおもしろい話でもするんだな……」

 知盛が言う。どうも、よほど退屈しているらしい。

「おもしろい話、でございますか……?」

 重衡は考え込んだ。もちろん、そんな話は簡単には浮かばなかったが。

いや、ひとつだけ。あの話なら、兄も喜びそうだ。

「そういえば、先日の宴で耳にしたのですが」

 重衡は寝ている兄の方に膝を乗り出した。

「近頃、京に(もの)()が出るそうでございますよ。兄上」

「物の怪……?」

 知盛がわずかに顔を上げる。

「はい。逢魔(おうま)(とき)に、首のない牛の引く牛車(ぎっしゃ)が、京の町を巡るのだそうです。牛車の屋根には、首のないふくろうが止まっていて……。中には、亡者のような恐ろしい顔の女が乗っている。そして子供ばかりを捕らえて、食べてしまうのです」

 一種の怪談である。先日の宴で、女房たちが話していた。

「その話なら、聞いた」

 知盛はやはり退屈そうに言った。

「京の外れに住むという女のことだろう」

 かつては宮中でときめいた美貌の女官が、今は落ちぶれて貧しい暮らしをしている。その女が、元服したての年若い男子ばかりを邸に引き入れているという――そんな噂が、怪談のもとらしい。

「その女性が、物の怪なのですか?」

「……さあな」

 知盛はあくびをした。ほとんど上の空である。

(まこと)に物の怪であるなら、顔を見てみとうございますね、兄上」

「…………」

 知盛は黙って目を閉じている。どうやら眠ってしまったらしい。

 無防備な寝顔を眺めていたら、また悪戯を思いついた。早速、重衡は必要な道具を取りに向かった。




第二話 逢魔が時の怪(2) に進む



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