平家の鬼子 〜空木の章〜

 

後日談

 

「――で?何がどうなってんだ」

 頬杖を突いて足元に寝転がっている知盛を、重盛は険悪な目付きで見下ろした。

 知盛は例によって涼しい顔だ。

「ご質問の意味がわかりませんが」

「おまえがここに居る理由を聞いてんだよ。なんでまたあっさり帰る気になった?」

 そう。

 そこは小松殿ではなかった。六波(ろくは)()(いずみ)殿(どの)――清盛の邸である。

 昨夜は間違いなく小松殿に居たはずだ。知盛だけでなく、兄の宗盛も、夜も遅くなったため結局泊めることにした。

それが今朝、起きてみれば、知盛の姿だけが消えていたのである。

 経子の話によると、黙って出て行ったのではなく、「お世話になりました」と一応あいさつには来たらしいが。

 どうにも納得できない重盛は、朝餉(あさげ)も取らずに、こうして追いかけてきたというわけである。

「ちゃんと説明しろ。今度は納得するまで帰らねえからな」

 どっかりとその場にあぐらをかき、知盛の顔をにらむ。

 知盛は仕方なく、といった感じで重盛の前に座り直した。それから何を思ったか、急に廊下の方を見て、

「失せろ、重衡(しげひら)

 ひょっこりと、部屋の外に重衡の顔がのぞいた。不満そうに口を尖らせて、

「なぜ、私が居てはいけないのですか。理由でもあるのですか?」

「……俺に2度言わせるのか?」

 兄の冷ややかな声に、重衡が身をすくませる。

 重盛はぴしりと知盛の(ひたい)を指で弾いた。

「脅すな。別にこいつが居たっていいだろうが」

「…………」

 知盛は額を押さえて押し黙り、逆に重衡の顔が輝く。

「おまえもな、重衡。そんな所でのぞいてないで、中に入ってろ」

「はい、重盛兄上」

 こちらにやってくる、重衡の腕の中に、あの白猫が居た。

「こいつも帰ってたのか」

「はい。今朝になって」

 重衡は嬉しそうに、白猫の頭をなでた。

「ずっと会えなくて寂しかったよ、沙羅(さら)。今日はうんと可愛がってあげるからね」

 白猫はごろごろと喉を鳴らす。

「……で?なんで帰る気になった?」

 あらためて、話の続きだ。重盛の問いに、知盛は変わらず涼しい顔で答えた。

「宗盛兄上のご命令でしたので」

「あ?」

「何もするな、邸で寝ていろ、と」

「……………」

 重盛は無言になった。

「それに、父上のご命令も。『しばらくの間』は顔を見せるな、というものでしたので。……もうそろそろ、戻っても良い頃かと」

「…………………」

「重盛兄上?」

 どうかしたのかとこちらを見上げてくる知盛。

「……本当に、それだけなのか?」

「他に何か?」

「何かって、おまえな……」

 頭が痛い。

 こいつのやることに、そもそも深い意味などなかったのか。心配するだけ無駄だったのか――

「徳子とけんかしたんだろ?ひっぱたかれたって聞いたぞ」

 知盛は薄く笑みを浮かべて、重盛ではなく、弟を見た。

「色々と、余計なことをしゃべってくれたようだな?」

「わ、私はっ……兄上のことが心配で、それで……」

 重衡の声は、途中で尻すぼみになって消えた。

「もちろん、感謝しているさ……たっぷりと礼をしなければ、な?」

 重衡は勢いよく立ち上がった。

「沙羅とお散歩に行ってきます」

 猫を抱いたまま、走って部屋を出て行ってしまう。

「……脅すな、って言っただろうが」

「脅したのではありません。追い払っただけです」

「…………。ま、いい。それより、徳子の話だ。あいつ、西八条の邸から戻ってきたんだろ?少しは話したのか?」

 知盛は軽く肩をすくめて、

「いえ。重衡の話では、まだ俺の顔は見たくない、と仰っているようで」

「…………」

 さすがに、重盛は言葉が出なかった。

「姉上は、俺が目障りなのでしょう」

 いつものことです、と知盛は平然としている。

「別に、どうとも思っておりません。重盛兄上も、どうかご心配なく」

「…………」

重盛は複雑な気分で弟の顔を見つめた。

――どうとも思っていない。

 おそらく、本心なのだろう。

 実の姉が、自分を「目障り」とまで思っている――それをどうでもいいと言う。

 その無関心こそが、徳子を怒らせる最大の原因のような気もするが、知盛自身はわかっているのかどうか。

 もっと姉の気持ちを考えてやれ、と言うのはたやすい。が、言っただけで2人の関係がどうにかなるなら苦労はない。

 確かに、知盛は変わり者で、問題児だ。口も態度も悪い、兄を兄とも思わない。怠惰で勝手で気まぐれで。――だが、(よこしま)ではない。

 これがいたずらに暴力を振るったり、弱いものを傷つけて楽しむような性分だというなら、重盛とて放ってはおかないが。

 こいつは、人でなしではない。その性格が、持って生まれた気質が、常人とは大きく違っているというだけの話だ。その気質を嫌う者も居れば、父の清盛のように、大いに気に入っているという者も居る。

かく言う重盛も。

 こいつの将来が心配だ、と常識的に感じつつ、心のどこかでおもしろがっている。

 徳子の気持ちも、わからないではない。

 だが、子供のように怒りをぶつけ、相手を傷つけようとしたところで何も得られはしない。

できれば妹には、もう少し大人になってほしいところだが……まあ、今すぐには無理だろう。

「仕方ないか……」

 しばし、互いに距離を置かせるのが最善の策かもしれない。その点では、父のしたことは正しい。

「徳子のことはもういい。しばらくは駄々こねてるだろうが、そのうち機嫌も直るだろ」

知盛が意外そうな顔をする。もっと説教されると思っていたらしい。

「で、宗盛の方はどうだ?」

知盛の表情が微妙に変化した。うんざりしたような、疲れたような顔で、

「どう、とは?」

「だから、少しは話せたのかって」

「……宗盛兄上は、俺の話など聞く耳持ちませんが」

 そう言って、ふいとそっぽを向く。

 どこかで聞いたようなセリフだな、と重盛は思った。要するに、一方的に怒鳴られただけで、話はしていない、と。

「おまえさ。別に宗盛のこと嫌いなわけじゃないだろ?」

宗盛本人は、自分が兄として失格とまで思い込んでいる様子だったが、幼い頃から2人を見てきた重盛にはわかる。

知盛は兄を嫌ってはいない。――単に鬱陶(うっとう)がっている。

どちらにせよひどいと言えなくもないが、それでも無関心よりはまだ救いがあるのではないか。

何より宗盛自身が、変わり者で問題児の弟を嫌ってはいないのだから。

憂いを与える、空虚な花――

それは一見、知盛の人格を否定するような言葉であるし、重盛もきついと思った。

だが、最も気にしていたのは当の宗盛だった。

悪意から出た言葉ではないのだ。宗盛は心配なのである。普通の子供とはまるで違う弟のことが。同時に、そんな弟に何もしてやれない自分を不甲斐なく思っている。

知盛にとっては、大きなお世話かもしれない。宗盛の気持ちが、どこまで通じているかもわからない。それでも。

「あいつに言ってやれよ。おまえのことは別に嫌ってない、ってさ」

知盛はあからさまに嫌そうな顔をした。

「なぜ、そんなことを」

「いいから言え。命令だ」

 投げやりに命じて、重盛は立ち上がった。

「どちらへ?」

「小松殿に帰るんだよ。こっちは朝飯もまだなんだからな」

 言葉通りに帰りかけると、知盛の声が後から追いかけてきた。

「……あの怨霊――いえ、祖父殿が言っていたことについては、何かわかったのですか」

 重盛は足を止めた。

「あれか。今、親父が調べてるよ」

 親のない子供を狙い、甘い言葉で惑わすという正体不明の人物。それが単なる噂ではなく、この京に実在するというなら放ってはおけない。

 もっとも、祖父は具体的な手がかりは何も置いていってくれなかったから、調べるのは骨が折れるだろうが。

重盛とて無論、清盛だけに任せておく気はない。もっと人手を割いて、徹底的に調べ直すつもりでいる。

 その時、廊下の方から、バタバタと騒々しい足音が聞こえてきた。

「勝手に人で帰るとはどういうつもりだ!」

 怒鳴り声と共に、宗盛が飛び込んでくる。

 重盛同様、目を覚ましてみれば知盛の姿が見えなかったので、後を追ってきたらしい。

 頭から怒声を浴びせられても、知盛は顔色ひとつ変えなかった。床に座ったまま兄の顔を見上げて、一言、

「宗盛兄上のことは、別に嫌っておりません」

 宗盛が固まった。

「……なっ……?何を、言って……な、なぜ今、そんなことを……」

 知盛はすまして付け加えた。

「重盛兄上が、そう言えと」

「おまえ、台無し……」

 重盛は軽くこめかみに手を当て、頭痛をこらえた。

 どうも重盛が居ることに気づいていなかったらしい宗盛は、そこで初めてこちらを見上げてきた。しかし、それも一瞬のこと。すぐにまた弟に向き直り、

「おまえは私を馬鹿にしているのか!!

昨夜に続いて、怒声の嵐である。こうなるともう、重盛の出番はない。

「……帰るか」

 誰にともなくつぶやいて、重盛は廊下に出た。

 困った奴らだ。あの様子では、当分わかりあえそうもない。大人になっても――ひょっとしたら、死の間際まで、似たようなやり取りを繰り返すやもしれぬ。

勝手にやってろ、と突き放してしまえればいいのだが、それができないのが長男の(さが)というものだ。あるいは、重盛自身の(さが)か。

どちらでも同じだ。要は、この先も振り回されて苦労する運命が待っている、ということなのだから。

ふと、生垣に咲く、白い空木の花が目に止まった。

初夏の風を受けて、かすかに揺れている。人の気も知らず、気侭(きまま)に美しく。

別に、誰かに似ている、と思ったからではないが。

重盛は庭に下り、白い花を一輪、摘み取った。

これは行盛にやるとしよう。昨夜は経子に叱られて、だいぶしょげていたようだから。

白い小さな花は、意外に優しい芳香を放っている。壊さないよう、そっとてのひらで包んで、重盛は邸への道を辿った。

  (終)    




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