平家の鬼子 〜空木の章〜

 

第八話 死者の忠告(3)

 

「なんだ、こりゃ?」

 小松殿の様子が目に入った瞬間、重盛は足を止めた。

そこには大勢の武士たちが集まっていた。

全部で数十人は居ただろうか。皆、手に手にたいまつを持ち、刀や槍で武装している。これから戦でも始めるつもりかというような物々しさだ。

殿(との)!」

 血相変えて飛んできたのは貞能だった。無事な姿に安堵する間もなく、貞能は元来た方へ駆け戻っていく。

大殿(おおとの)!殿がお戻りになられました!」

「……戻ったか」

 武士たちの中から、清盛が現れた。さすがに武装こそしていないものの、きっちりと僧衣を身につけ、平素から鋭いまなざしをより鋭くしている。

「親父?なんで、ここに」

 驚く重盛に、清盛は言った。

「経子が早馬をよこしおっての。何やら由々しきことが小松殿で起きている様子ゆえ、助けに来てほしいと」

「……は?」

 重盛はぽかんとした。その経子は、清盛の後ろに、静かな表情で控えている。

「行盛が行方知れずで、知盛も姿が見えぬ。その上、夫のそなたが何も言わずに飛んでいってしまったので、心配でならぬと――そう聞いたぞ」

「おい、経子……」

 重盛は困惑して妻の名を呼んだ。

 ろくに話もせず邸を飛び出したのは事実だが、そもそも経子は、その程度のことで動じる女ではない。

「申し訳ございません、あなた。わたくし、少しばかり気が動転してしまいましたの」

 しかし経子は、いかにも不安に脅える妻、という風に着物の袖で口元を覆い、

「庭の様子がおかしいと貞能に聞かされて、あなたのことが心配で。何もわからずに待っているのが怖くて……義父上(ちちうえ)におすがりしてしまいました」

「…………?」

 いったい何を言っているのか。問いただそうとした時、横手から別の声が重盛を呼んだ。

「重盛兄上」

「って、宗盛?」

そこに居たのは、何刻か前に宴で会ったばかりの弟だった。

 足早にこちらへ歩み寄ってくる。その顔は血の気を失い、今にも倒れそうなほど青ざめていた。辺りを見回し、

「兄上。知盛はどこですか」

「どこって、ここに……」

 重盛は背後を指差した。

 しかし、そこに立っているのは、居心地の悪そうな顔の行盛だけ。

「あ?あの野郎、どこ行った――」

「知盛!」

 宗盛が叫ぶ。

同時に、木立の影で、ちらりと着物の袖が動いた。

どうやらこっそり立ち去ろうとしていたらしいが、見つかって観念したのか、姿を見せる。

「……宗盛兄上」

 一瞬、2人の間に、何とも微妙な空気が流れた。

 宗盛は始めこそ安堵の表情を見せたものの、すぐにそれも消え、代わりに浮かんだのはためらいの表情。何と言葉をかければいいのか、迷っているように。

知盛の方は――特にこれといった変化もなかった。兄の顔を見て、一言、

「何か御用でしょうか」

 ぶちっ。

 宗盛のひたいの辺りで、何かが切れる音がした。

「なんだ、その言い草は!」

 猛然と弟に歩み寄る。一瞬、知盛がぎょっと身を引くのがわかった。

「おまえは、いつもいつも!いつもいつもいつも、勝手ばかりしおって!勝手に邸を出て行って母上にご心配をかけ、挙句にこれか!いったいどれだけ私に気を揉ませれば満足なのだ!」

人目も(はばか)らず怒鳴り散らしている。

普段の宗盛はもう少し――落ち着いた男だが、怒るとたまに人格が豹変するのだ。

「おまえはもう何もするな!まっとうな生き方をする気がないのなら、邸で寝ていろ!その方がまだ、私も気が休まるというもの――聞いているのか、愚か者!」

 知盛は煩そうに耳を塞ぎつつ、

「……聞いております。俺だけでなく父上も、重盛兄上も。……どうか落ち着いていただけますか、宗盛兄上」

「黙れ!おまえには、まだまだ言っておくことがある!」

 知盛が目だけで重盛を見る。多分、止めに入ってくれるのを期待しているのだろうが――。

あいにく、都合のいい時だけ助けを求められても、こっちはそれほどお人よしではない。

「……なあ、経子」

「はい、重盛殿」

「おまえ、なんで親父たちを呼んだりしたんだ?」

「ごめんなさい。1人で居るのは心細かったものですから」

 経子は優しいまなざしで、重盛の弟たちの様子を見つめていた。

「お2人が仲直りできるとよいのですけど……」

 恐ろしい女だ。いったいどこまで事情をわかっているのだろう。少なくとも、重盛は詳しく説明した覚えなどない。

 なぜか妹の、盛子の言葉を思い出した。

 ――私、兄上が思ってるより、何でも知ってるのよ。

 女というのは、得てしてそういうものなのか。

「あいつらを会わせるために、一芝居打ったのか?」

 そのためにわざと騒ぎを大きくして、心配した宗盛が小松殿に飛んでくるよう仕向けた。……清盛と武士たちまで巻き込んだのは少々やり過ぎな気もするが、経子は悠然とほほえんでいる。

 そんな妻に文句も言えず、礼を言うのも何やら釈然とせず、重盛は腕組みをして唸った。

 そこに、無事に戻ってきたと知らせを聞いたのだろう。

『行盛!』

と兄弟の名前を呼びながら、息子たちがこちらに駆け寄ってくるのが見えた。

 維盛はいかにも心配そうに、資盛は怒ったような顔で、清経と有盛は、好奇心に瞳を輝かせて。

どこに行っていた、心配したんだぞ、と怒ったり無事を喜んだりしながら、行盛を取り囲む。

「みんな、ごめんなさい……」

 兄弟というのはいいものだ。……どうしようもなくわかりあえない弟たちのことはできるだけ視界に入れないようにしつつ、重盛はしみじみ思った。

「とりあえずは、よかったな」

「ええ、本当に」

経子は嬉しそうにうなずいて、さらりと一言付け加えた。

「ですが、お仕置きは必要でございますね」

「……少しは手加減してやれよ」

と重盛は言った。

「今度のことは、俺も悪かったんだって」

 普段からもっと行盛と話してやっていたら、もう少し早くその気持ちに気づけていたら、今日のような事態は防げたはずだ。

 しかし経子は、「それはそれ、これはこれ、でございます」ときっぱり言った。

「子供が危ないことをした時には、きちんと叱ってやるのが親のつとめでございましょう」

「いや、けどな――」

「夫婦げんかはそのくらいにしてはどうじゃ」

 清盛が口を挟んできた。

「なんだよ、親父。居たのか」

 八つ当たり気味に悪態をつくと、清盛は冷ややかに目を細めた。

「……用がないなら帰るぞ。我も暇ではないのでな」

 本気で帰ってしまいそうに見えたので、重盛は慌てた。

「いや、待て。用はある」

「なんじゃ」

「…………」

 脳裏をよぎる、祖父の顔。そして、あの忠告。

当然、父にも話さなければならない。とはいえ、信じてくれるかどうか――並大抵のことには動じない男だが、父親の忠盛にだけは、いささか複雑な感情を抱いている。夢でも見たのだろう、と一蹴されるかもしれなかった。

「どうした。はよう申さぬか」

清盛が急かす。まあ、信じないというなら、その時はその時だ。

「……今、話す。けど、冷静に聞いてくれよ?」

「はっ、生意気を言いおって」

 重盛の不安は、鼻で笑い飛ばされた。

重盛は順を追って説明した。今夜、自分が見たもの、聞いたこと。

清盛は黙っていた。忠盛の名を出した時だけは、ぴくりと片方の眉を持ち上げたはしたが、結局は1度も口を挟むことなく、最後まで聞いていた。

「……父上が、今も現世をさまよっておると?」

 つぶやく清盛。

 深い物思いに沈んでいるまなざし――その胸の内をよぎる感情は何か、重盛にはわからない。

「まことの話であるならば……何故であろうな」

「知らねえよ。けど、あれは多分、じいさんだった」

 ほんの束の間の再会ではあったが、重盛には確信に近いものがあった。少なくとも、祖父の姿を真似ただけの物の怪などではなかったと思う。

「忠告、か……」

 ふっと清盛が吐息を漏らす。笑ったのか、嘆息したのか、判断がつかなかった。

 やがて気を取り直したように顔を上げ、

「こうしてはおれぬな。我は邸に戻る。あやつらのことは任せたぞ」

 父の視線の先には、いまだ不毛な諍いを続ける宗盛と知盛が居た。

宗盛はひたすら怒鳴り続けており、知盛の方は一見、殊勝な態度を取りつつ、実際には聞き流しているだけ。経子が言うような「仲直り」の気配はまるでない。

「どうせここまで来たんなら、ついでに連れて帰ってくれよ」

 うんざりしながら重盛が言うと、

「まだ左様なことを申しておるのか」

とあきれ顔をされた。

「始めに言ったであろう。黙ってみておればよいのだと」

 無責任なセリフを繰り返す父に、もはや反論するのも馬鹿馬鹿しくなり、重盛は肩を落とした。

あの調子では、知盛が自分の邸に帰ってくれるのはいつの日か。そう考えると、頭が痛かったのだが……。




後日談 に進む



目次に戻る



サイトの入口に戻る