平家の鬼子 〜空木の章〜

 

第七話 (ゆき)(もり)の秘密(3)

 

 小太刀の刀身が、月の光を照り返している。

 それは怖いというより、キレイな光景だった。

 小太刀を構えている知盛も、その足元で全身の毛を逆立てている白猫も、さながら月の光が地上に描いた絵のように美しい。

「知盛殿?」

どうして、知盛がここに居るんだろう。口に出す前の疑問に、「妙な笛の音がしたからな」と知盛は答えた。

「沙羅が、人ではない『何か』が居ると……言うのでな。何が居るのかと、様子を見に来れば……」

冷たい目で行盛を一瞥(いちべつ)し、

「行盛殿に邸を抜け出す趣味があったとは、意外だな」

 自分のことは棚に上げた発言であったが、行盛は小さくなった。

「……ごめんなさい」

「何者だ」

 その問いは行盛ではなく、見知らぬ貴族の男に向けられたものだったらしい。

「これこれ、そのように怖い顔をするものではない。私は怪しい者ではないよ」

「何者だ、と聞いた」

 刃の切っ先が、ぴたりと男を狙う。

男は怖がるでも怒るでもなく、妙にゆったりした動作で肩をすくめて見せた。雲の隙間から、地上を照らす月を仰ぎ見て、

「名乗るほどの者でもない。そうだな……。『雲居より、ただ漏り来たる月なれば、おぼろげにては言わじとぞ思う』……といったところか」

「…………?」

 知盛が無言で眉をひそめ、行盛も首をかしげた。

 今の歌、何だろう?どこかで聞いたことがあるような気がするけど……。

 男はふわりと衣の袖を翻した。瞬きするほどの間に、その手の中から横笛が消えて、代わりに扇が現れる。広げてみせると、月の絵が描かれていた。

「どうかな。これを見れば、私が何者か、察してもらえるのではないかな」

「……知らんな」

 知盛がつぶやく。

「そんな扇はどこにでもある。……歌も。その気になれば、誰にでも読める」

「信じてはもらえないか。では、どうしたものか……」

 男は思案げに腕を組んだ。

「私は本当に、怪しい者ではないのだが……そうだ、もう1ついいものを見せよう」

 男が扇をかざす。

 ぽんっと空気が弾けるような音がして、辺りに大量の花吹雪が舞った。

 薄紅色の桜の花びらが、男のかざした扇から降りそそぐ。その不思議な光景に、行盛は目を見張った。

「ニィ……」

 知盛の足元で、白猫が花びらまみれになっている。男は満足そうにほほえんで、

「ああ、よく似合っているよ」

「うにゃあ」

 白猫はぷるぷると体を振って、花びらを払いのけた。

「今の、陰陽術(おんみょうじゅつ)?」

行盛は息を弾ませて尋ねた。この人は、異形の力を操る陰陽師なんだろうか。

「いや、そうではない。長くこの世に留まっているとね、こんなこともできるようになるものだ」

「貴様、怨霊か」

知盛が言う。小太刀は握ったままだが、いささか敵意を削がれたような顔をしていた。

「いや、違う。そのように恐ろしいものではない」

「オンリョウって?」

 行盛は知盛を見た。男から視線を外さないまま、知盛が答える。

「聞いたことがあるだろう。恨みを呑んで死んだ人間が、蘇ってこの世に仇を為す。……早い話が化け物だ」

「……っ!」

 行盛はこくりと息を飲んだ。

「その通りだ。なかなかよく勉強しているね」

 男がうんうんとうなずく。

「怨霊でないというなら、貴様は何者だ」

と知盛。

「おや、誉めたのは少し早過ぎたかな。人をこの世に留めるものは、恨みや無念の心ばかりではない。私の場合は、この世に未練が多過ぎてね」

「…………?」

「例えば、そう――女性だな。美しく機知に富んだ女性には、抗いがたい魅力がある。愛した女性たちと離れるのが耐えがたく……と、これ。やめなさいというのに」

 男があきれたように言う。見れば、知盛は下ろしかけた小太刀を正眼に構え直していた。

「くだらんおしゃべりに付き合うつもりはない。答える気がないのなら――」

 じりっ……と一歩前に踏み出す。

男は軽くあごに手を当て、そんな知盛の姿をしげしげと眺めた。

やがて、その口元に笑みが浮く。恍惚(こうこつ)とした、愛しい人を見るような目をして、

「美しい瞳――さながら紫苑(しおん)の花だ。美しいだけでなく、懐かしい……あの人によく似ている……」

「……何を言っている?」

小太刀を構えたまま、知盛が微妙に身を引いた。

「いや、失敬。君の瞳がね、どうにも懐かしく」

 男はこほんとひとつ咳払いして、

「心奪われた女性は数多いが、最初の女性(ひと)というのは特別なものだ。その子供のことも、心配で放っておけない。さらにその子供も、孫も。私がここに居るわけは、つまりそういうことだ」

 わかってもらえるだろうか、と知盛に笑いかける。

「さっぱりわからん」

 知盛は冷ややかに言った。

ついでに、刃を鞘に収める。これ以上、相手をするのが馬鹿馬鹿しくなったという顔だった。

「帰るぞ、沙羅」

 うにゃあ、と白猫が同意する。

「これ、待ちなさい。行盛くんを置いていくのかね?」

 男がのんびりと呼び止める。既に小松殿に引き返しかけていた知盛は、顔だけこちらを向いて言った。

「どうする」

「え……」

 行盛は困惑した。

 もう帰らなきゃいけないことはわかっている。だけど、このまま帰ってしまったら、男に悪い気がする。

「俺はどうでもいいが、重盛兄上や義姉上が心配している頃だろうな」

 ちくんと行盛の胸が痛んだ。

「ああ、それは確かにそうだろう」

男がうなずく。

「だが、少しは行盛くんの話も聞いてやりなさい。この子がどうしてここに居るのか。なぜ、私と出会うことになったのか」

「……別に、興味がない」

「私が行盛くんと出会ったのは、ちょうど今日のような月の美しい夜だった」

 知盛の答えを無視して、男は飄々(ひょうひょう)と語り始めた。

「私は月に誘われて、現世(うつしよ)で笛を吹いていた……。そこに、小さな子供が1人で歩いてくるじゃないか。夜の闇の中には、危険な存在も多い。なぜこんな場所に居るのかと尋ねてみると……彼は人を探しているのだと言ったよ」

 興味がないと言った知盛だが、意外にも男の話に耳を傾けている。何を考えているのか、その退屈そうな横顔からは読めなかった。

「その人物は、幼い子供の前に姿を現しては、自分と共に行かないか、と誘いをかけるのだという。共に来れば、お父さんやお母さんに会わせてあげるよ、と甘言で惑わすらしいね」

「……人買いか」

 知盛は不審そうに目を細めて、

「そんな話は聞いたこともないが……いかにもそれらしい男なら、目の前に居るな」

 男は首を振った。

「私のことではないよ。それに、おまえがこの噂を知らないのも当然と言える。ある目的を持って、故意に流された噂なのだからね」

「?」

「この噂はね、早くに親を亡くした子供の耳にだけ、入るように細工されているのだ。そら、ちょうど行盛くんのようにね」

 男の言葉につられて、知盛の目がこっちを向く。

しばしの沈黙。やがて、何かを思い出したように「……ああ」とつぶやいた。

 もしかして、忘れてたのかな。

行盛が、小松家の本当の子供ではないということを。

 行盛の実の父親は、知盛から見れば2番目の兄に当たる人だ。ただ、亡くなったのは十年近く前のことらしいから、覚えていなかったとしても無理はないけど。

「会いたいのか。……(もと)(もり)兄上に」

 知盛に聞かれて、行盛は首を横に振った。

「……よく、わかんない。どんな人だったのかなって、たまに思うことあるけど……」

 行盛には父の記憶がない。物心ついた時には、小松家で今の家族と共に暮らしていた。

「知りたいのなら、重盛兄上にでも聞けばいいだろう」

「うん、でも……お父さんのこと話す時、義父上、すごく痛そうな顔するから」

 父と義父は、1つ違いの兄弟だった。きっと、自分が清経や有盛といつも遊んでいるように、仲良くしていたんだろうなと思う。

 兄弟が居なくなるなんて、どのくらい悲しいのか、自分には想像もできない。

義父は優しいから、行盛が知りたいと言ったら答えてくれるだろう。でも、そのせいで義父が痛い思いをするのは嫌だ。

「……知りたいけど、聞いたらだめなのかなって……」

 わからんな、と知盛がつぶやく。

「俺には全くわからん」

「まあ、人の心というのは難しいものだからね」

 男がしたり顔でうなずく。

「ともあれ、行盛くんが邸を抜け出した理由についてはわかってもらえただろうか。やむにやまれぬ事情があったということが」

 どうでもいい、と知盛はつぶやいた。

「俺には興味がない。……帰るつもりがないなら、先に行くぞ、行盛殿」

 まあ待ちなさいと男が呼び止めようとしたが、知盛は振り返らなかった。今度は本気で帰ってしまうつもりらしい。

「待ちなさい、知盛」

 男が扇をかざす。

 ぽんっと再び空気の弾ける音がして、その手の中に現れたのは横笛でも扇でもなく、白い五弁の花をつけた1本の小枝。

「ごらん、美しいだろう?」

 男が自慢げに小枝をかざす。

空木(うつぎ)の花……」

 行盛がつぶやいたのと同時、

「……何のつもりだ」

と背中から声がした。見れば、帰ろうとしていたはずの知盛が足を止め、男をにらんでいた。




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