平家の鬼子 〜空木の章〜

 

第七話 (ゆき)(もり)の秘密(2)

 

ざわざわ。

 草木が揺れている。

夜ってこんなに暗いんだな、と行盛は思った。いつも兄弟たちと遊んでいる小松殿の庭が、まるで知らない場所になったみたいだ。

 暗くて、静かで、ちょっとした物音がやけに大きく響く。

 少し不思議で、なんだか怖い。

 不安になって足を止めた時、かすかな笛の音が、行盛の耳に聞こえた。

 小松殿の深い闇の奥から、細く、美しい笛の音が――。

 呼んでいる。そう思った。

 行盛は歩き出した。光に誘われる羽虫のように、ふらふらとおぼつかない足取りで。

本当は、もう帰らなきゃいけないことはわかっていた。

清経と有盛が待っている。こんな夜遅くに行盛の姿が見えなくなったら、義父(ちち)義母(はは)が心配するはずだ。

だけどあの人が近くに居るなら、もう1度だけ、会いたくて。会って、お礼が言いたくて。

帰らなきゃ、と思う気持ちとは裏腹に、行盛は少しずつ早足になっていった。

少しずつ、少しずつ。

笛の音が近付いてくる。

 疲れて足が痛い。汗が冷えて、夏なのに寒い。

 お邸を出てから、もうどのくらい歩いただろう。寒さに震えながら、それでも足は止まらない。

怪しくも美しい笛の音に導かれて。

行盛は歩いた。

やがて、行く手に、ぼうっと白い光の輪が見えた。

 光の中に、人影が浮かんでいる。緋色(ひいろ)(ころも)をまとった貴族の男が、月明かりの下で横笛を奏でている。

 行盛の姿を見ると演奏をやめ、ふっとほほえんで言った。

「やあ、来たね」

 こんにちは、と行盛は頭を下げた。それからすぐに気づいて、こんばんは、と言い換えた。

「ごきげんよう。月の美しい夜だね」

 男は優雅にあいさつを返す。

細面(ほそおもて)の上品な顔立ち。大人の人だけど、年はよくわからない。若いような気もするし、おじいさんのようにも見える。

それに、不思議な人だ。そこに居るのに、居るという感じがしない。手を伸ばして触れたら、その瞬間、消えてしまいそうな――。

「どうしたね?そんなに見つめて」

「あ、ごめんなさい」

 慌てて謝ると、男はおもしろそうに瞳を光らせた。

「さては、私がここに居ることを不思議に思っているのかな?」

 行盛はこっくりした。

 この人と会うのは、初めてではなかった。前に――と言ってもすごく前ではないけど、会ったことがある。

 お邸の外で。五条河原、と呼ばれる場所で。

「君に会いにきたんだよ」

男は親しげに笑いかけてきた。

「あれからどうしているのか、少し気になったものでね。元気にしていたかな?」

 行盛はまたこっくりした。

「寂しい思いをしていなかったかね?今のお義父さんは、あいかわらず忙しいのだろう?」

 今度はふるふると首を振る。

 義父が忙しいのは本当のことだが、それを寂しいと感じたことはなかった。

 だって義父上(ちちうえ)は、いつも優しいから――きのうも、ちょっとだけ熱を出してしまった行盛を心配して、お餅を買ってきてくれた。

それに、自分が寝ている間、義母(はは)がずっとそばについていてくれたし。小松家の兄弟たちも、入れ替わり立ち代わり、行盛の寝室にやってきた。

 (これ)(もり)は花を届けてくれた。(すけ)(もり)は書を。(きよ)(つね)(あり)(もり)は、庭で捕まえたという(かえる)を持ってきて、義母に怒られていたけど。

 いつもは小松殿に居ないけど今は遊びに来ている知盛は、行盛の部屋の入口からちょっと顔をのぞかせただけで、黙って出ていってしまった。代わりに、なぜか白猫が入ってきて、行盛の足元でしばらく寝ていった。

「君は優しい子だね」

 男の手が、行盛の頭をなでる。

――冷たい手だ。まるで氷みたい。

 行盛がびっくりして顔を上げると、男は片方の眉だけをかすかに持ち上げた。

「おや、顔が赤いね?もしかすると熱があるのかい?」

「あ……」

 そういえば、頬が熱い。夜風を浴びながら歩き回ったせいで、また熱が上がってしまったのかもしれない。

 どうしよう。せっかくよくなったのに。また家族に心配させてしまう。

 行盛の困った顔を見て、男はぽん、と手を打った。

「そうだ、熱の下がるおまじないをしてあげよう」

「おまじない?」

「ああ。すぐ終わるから、目を閉じて」

 男の手がおでこに触れる。

ひやっとして気持ちいい。行盛は素直にまぶたを閉じた。視界が閉ざされ、真っ暗になる。暗闇に、男の声だけが歌うように響く。

「オン・コロコロ・センダリ……」

 まるで呪文みたいな、不思議な言葉だった。

「マトウギ・ソワカ……」

ふっと声が途切れた。

 行盛の背中に、気配が生まれる。それから、じゃりっ……と土を踏む音。

「そこで何をしている」

 行盛は目を開け、振り向いた。

木立の陰から、知盛が姿を現す。その手に、抜き身の刃を持って。




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