平家の鬼子 〜空木の章〜

 

第六話 宴の夜に(3)

 

 ――くっくっと背後から笑い声が聞こえた。

 重盛は振り向いた。

 誰も居なかったはずの廊下に、誰か居る。

 死体のように青白い顔をした僧侶だ。骨と皮ばかりのやせ細った体で、眼光の鋭さだけが唯一、死体と区別できる。

西光(さいこう)法師(ほうし)――宴に来ていたとは気づかなかった。

「何か用でも?」

重盛が声をかけると、

「いや、失敬。藤原殿に用があったのだが、何やら取り込み中の様子だったもので」

「こっちの用はもう終わりましたよ。もっとも、藤原殿はご気分を悪くされて、たった今お帰りになりましたが」

 堂々と嘘をつく重盛に、西光はまたくっくっと笑って、

「そのようでしたな。拙僧(せっそう)も今日のところはお(いとま)致しましょう。どうも、こうした華やかな場は苦手で」

 そう言って、足音もたてずに立ち去っていく。

(気味の悪いおっさんだな)

と重盛は思った。

 西光法師は、成親の同僚であり、友人である。春の宴では、やはり頼盛の巻き添えで、知盛に殴られている。

 あの時は重盛自ら謝罪に赴いたのだが、当の西光には、まるで怒っている様子がなかった。それどころか妙に上機嫌で――それが不気味だったことをよく覚えている。

(……っと、無駄な時間をくったな)

 (これ)(もり)が待っている。重盛がなかなか戻らないので心配しているだろう。

 急ぎ足で廊下を引き返す。やがて、にぎやかな歌声と、楽の音が近付いてきた。

 重盛と同じように宴を中座していた人々が、ぞろぞろと廊下を戻っていく。

 その中に。

 重盛は知った顔を見つけた。

(宗盛?)

 宴に来ていたのか。

もともと興味のない集まりだ。客の顔ぶれなど、ろくに見てもいなかったが……。

「重盛兄上?」

向こうも気づいたようだ。慌てて足を止め、引き返してくる。

「ごあいさつが遅れまして、申し訳ございません」

深々と頭を下げる宗盛。

「…………」

弟の後頭部を見下ろしながら、重盛は考えていた。

あいさつが遅れたのは、重盛が居るのに気づいていなかったからか。あるいは、避けられていたのだろうか――と。

「では、私はこれで……」

目も合わせぬまま、そそくさと逃げるように立ち去ろうとするところを見ると、なんとなく後者のような気がする。

「おい、待てよ」

 重盛はその背中に声をかけた。

 振り向いた宗盛の顔は、緊張でこわばっていた。

「何か御用でしょうか」

「いや、御用って……もちろん、知盛のことなんだが」

 現状、話し合うべきことが他にあるのか。

 ここ数日、知盛が小松殿に居候しているのを、まさか知らないわけはないはずだ。

宗盛の顔が歪んだ。

「申し訳ございません。私の不徳で、兄上にご迷惑を――」

「……別に、おまえが謝ることじゃないだろ」

 重盛は頭をかいた。

 勝手に押しかけたのは知盛であるし、しばらく顔を見せるな、と命じたのは清盛だ。

 しかし宗盛は真顔で首を振り、

「いえ。徳子の入内(じゅだい)は、一門の重大事。かような時に、愚弟の不始末で兄上のお心を煩わせるとは……お恥ずかしい限りでございます」

 どうやら本気で責任を感じているらしい。あいかわらず真面目な奴だな、と重盛は思った。

 真面目で、他人行儀だ。その愚弟は、重盛の弟でもあるのだが。

 酔った貴族が数人、笑い声を上げながら通り過ぎていく。

 込み入った話をするのに、この場所はいささか人目が多いかもしれない。

「来いよ。場所を変えようぜ」

 重盛が(きびす)を返すと、宗盛は黙って後についてきた。

 来たばかりの廊下を引き返し、適当にひとけのない場所を選んで、重盛は足を止めた。

「結局のところ、なんで家出なんかしたんだろうな、あいつ」

「……私にはわかりません」

 宗盛は力なく首を振った。

「けど、おまえ。あいつが邸を出る前――その、徳子ともめた時に。一緒に居たんだよな?」

 正確には、徳子の泣き叫ぶ声に気づいて、後からやってきたのだったか。

 宗盛はまた勢いよく頭を下げて、

「申し訳ございません、私が居ながら、かような事態を防ぐことができずに――

 別に責めたわけではないのだが、宗盛にはそう聞こえたようだ。

「兄として、2人を(いさ)め、教え諭すべきでした。……そうするつもりだったのですが……。あれは、知盛は……、もとより私の言葉になど耳を貸しませんので……」

 かすかに自嘲気味の笑みを浮かべる。

 確かに、知盛は兄の言葉など聞かないし、宗盛の気持ちもわかる。

 ただ、長男として言わせてもらうなら、2人にはそれなりに仲のいい時期もあった。

 幼い頃から家族思い、弟思いの宗盛だった。

まして知盛は、とびきり美しい(わらわ)であったし、宗盛にとっては初めての弟だ。世話役の乳母がヤキモチを妬くほど、可愛がっていた。知盛が言葉を覚える前――余計な口をきくようになるまでは。

「どうぞ重盛兄上から、あれにご命令ください。邸に戻るようにと。重盛兄上のお言葉ならば、知盛とて素直に従いますでしょう」

だいぶ的外れなことを言っている。知盛が重盛の言うことを素直に聞くようなら、始めから苦労はしていない。

「あのな、宗盛――」

 重盛は弟の青白い顔を見つめた。以前と比べて、少し痩せたのではないだろうか。それが知盛の家出のせいだとしたら――食事も喉を通らないほど心配していた、ということになる。

やはり腑に落ちない。この宗盛に限って、あんな言葉を弟に言うとは思えない。

空木(うつぎ)って何だ?」

「は?」

 宗盛が聞き返してくる。

「いや、おまえ、言ったんだろ?知盛が、空木みたいだって」

 すうっと宗盛の顔色が暗くなる。

「あれが、話したのですか。重盛兄上に」

「いや、聞いたのは重衡(しげひら)にだが」

「重衡までが……」

 宗盛はうつむいた。

「確かに、申しました。実の弟に向かって、(むご)いことを言う兄だと――そう仰りたいのでしょうね?」

 重盛はぽりぽりと頭をかいた。この反応からすると、どうやら謎かけの答えは、維盛の言っていた通りらしい。

「惨いっていうか……まあ、多少きついとは思うが」

「仰る通りです。私は兄として失格です――」

「いや、そこまでは言ってねえけど」

宗盛は聞いていなかった。

「私は不甲斐ない兄です。あれが何を考えているのか、まるで理解できない。だからこそ、私の言葉は、あれに届かない……。血を分けた弟の心が理解できぬなど、もはや兄とも呼べない――」

「おい、宗盛?」

「現に、知盛も重衡も、私ではなく、重盛兄上のことを頼りに……」

落ち着け、と重盛は声を上げた。

「おまえ、ちょっと気にし過ぎだ。あいつの考えてることなんて、俺にもわからねえよ。わかる奴なんて居るか?」

「…………」

「そういや、家長(いえなが)はわかるとか言ってたな」

 ふと頭に浮かんだのは、知盛の()母子(のとご)の顔である。赤子の頃から付かず離れず知盛のそばに居たが、今は事情があって京を離れている。

「あいつがここに居たら、少しはマシだったかもな」

「そう、かもしれません」

宗盛は気のない声で同意した。

「いっそ呼び戻すか?」

「重盛兄上が、呼び戻すべき、とお考えならば……私には、あれの言うこともよくわかりませんが……」

「ま、そうかもな」

知盛と違ってよくしゃべる奴だが、言うことは微妙にずれている。

頭が悪いという意味ではない。家長はむしろ聡明な少年である。しかし、さすがは知盛の乳母子と言うべき変わり者でもある。仮にこの場に居たとしても、問題が解決に向かうか、よりややこしくなるかは半々だと思う。

宗盛は力なくうなだれている。

 そこまで落ち込むくらいなら、最初からきついことなど言わなければいいだろうに。

まあ、言ってしまったものは仕方ない。さっさと謝ってしまえばいいだけだ。それで知盛が帰る気になるかどうかは知らないが、ここで悩んでいるよりはマシだろう。

 だいたいが、あの知盛のことである。単なる気まぐれで邸を出た可能性もあるし、よしんば宗盛のせいだとしても、そこまで責任を感じる必要はないはずだ。

「おまえさ。この後、何か予定とかあるか?」

「は……?」

 宗盛が怪訝な顔をする。

「ないなら、小松殿に来い。知盛と話して、できれば連れて帰れ」

「なっ……!」

 絶句する宗盛。重盛はぽりぽりと頭をかいた。

「別に、驚くことか?自分の不徳だの、あいつの不始末だの言うんなら、きっちり責任取れって」

「……っ、……私は……私が行ったところで、知盛は私の言うことなど……」

「あー、ごちゃごちゃうるせえ。来るのか、来ないのか。はっきりしろ」

「…………」

 宗盛は黙っている。急に面倒臭くなった重盛は、

「勝手にしろ」

と言って、その場を後にした。

 ちらりと後ろを振り向いてみたが、宗盛はうつむいて立ち尽くしたまま。

廊下の角を曲がって、その姿が見えなくなったところで、重盛は足を止めた。

やれやれ、である。

手間のかかる奴だ。ああまで落ち込んでいるのを見ると、兄としては何とかしてやりたいところだが――。

(……どうしたもんかね)

どうもこうも、まずは2人が顔を合わせないことには、どうしようもない気がする。

いっそ、知盛がケガでもしたとか、死にそうなほど危険な目にあっているとでも言ってやったら、宗盛は勝手に飛んでくるだろうが。

あの知盛が、小松殿でどんな危険な目に合うというのか。しばし考えてはみたものの、適当な口実は浮かばなかった。




第七話 行盛の秘密 に進む



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