平家の鬼子 〜空木の章〜

 

第四話 夕涼みの猫(1)

 

 数日がたっても、知盛は小松殿に居た。

特に何かをするわけでもなく、寝心地のいい場所を適当に見つけては、白猫とごろごろしていた。

 重盛は放っておいた。

 別に、清盛や盛子にそうしろ、と言われたからではない。

重盛とて暇ではないのだ。一応、名目上は平家の棟梁(とうりょう)であり、朝廷から高位の官職を与えられた貴族――()(ぎょう)でもある。

現在の地位は、正二位大納言。

名前は大層だが、具体的な仕事は多くない。たまに小難しい会議に出席しなければならないのと、花見だ歌会(うたかい)だといった貴族たちとの付き合いが、面倒といえば面倒なくらいだ。

 もう1つの役目――平家の棟梁としての務めの方が、実は多忙である。

 平家は武門の家だ。その役目は、帝がおわす京の都を守ること。要は、京の市中の治安維持である。

 京には罪人の追捕(ついぶ)・討伐に当たる検非違使(けびいし)も居るが、その数は末端まで含めても数百がいいところ。十万を越えるとも言われる京の人々を守るのに、十分な数とは言えないのだ。

重盛のもとには、どこそこの邸に盗賊が入っただの、誰それの奥方が(やまい)に倒れた、いやその病は夫の愛人が呪詛(じゅそ)したせいだのと、実にさまざまな揉め事が持ち込まれる。

 いちいち全てを相手にしているわけにはいかないが、中には放っておけないものもある。

 そんなわけで、小松殿に帰るのが日暮れより後になることも珍しくなかった。

「お帰りなさいませ、重盛殿」

 出迎えに現れた経子に、重盛は開口一番、言った。

「あいつ、どうしてる?」

 ここ数日、知盛の様子を聞くのが、帰宅のあいさつ代わりになっている。

「先程、夕餉(ゆうげ)を召し上がられて。今はお庭を見ながら涼んでいらっしゃいます」

 いいご身分だな、と重盛は苦々しく思う。

「いつまで居座る気でいるんだか……」

 つい愚痴をこぼすと、経子にたしなめられた。

「そんな言い方は失礼でございますよ」

12歳の子供でも、経子にとっては立派な客人らしい。

「子供たちの相手をしてくださるので、とても助かっておりますわ」

「……あいつが?」

 重盛は疑わしそうに眉をひそめた。

 家に居る時は、1つ年下の弟の相手さえ面倒がるような奴である。さすがに居候(いそうろう)の身とあって、多少は気を遣っているのだろうか。

「知盛殿は大人びた所がございますので、子供たちもお話をするのが楽しいのでございましょう」

と経子は言った。

 (すけ)(もり)は武芸の話、(きよ)(つね)は学問の話、(ゆき)(もり)は歌や詩の話をしているそうだ。

 (あり)(もり)はよくわからないという。重盛が偶然、見かけた時には、猫の肉球の感触について、熱心に質問しているところだった。

 長男の知盛より年上のため、この場合の「子供たち」には含まれない。

 ただ、経子と同じで、知盛の滞在を迷惑がってはいない。むしろ歓迎している方だ。

 弟たちより年が近く、経子の言葉を借りれば「大人びた所のある」知盛は、少しずつ大人の仲間入りを果たしつつある維盛にとって、いい話し相手らしい。

「良い子でございますね」

 経子はほほえみながらそう言った。

「……なんだって?」

「それに、優しい子でございますわ」

 重盛はまじまじと妻の顔を見つめた。

 その『優しい良い子』が、いたずらの仕返しに弟を廊下から蹴り落としたことや、縄で縛って逆さ吊りにした、という事実を教えてやるべきだろうか。

「どうなさいましたの?あなた」

 経子が細い首をかしげる。

「いや……別に」

と重盛はごまかした。

「すぐに夕餉をお持ち致しますわね。それとも、湯浴みをなさいます?今日は暑い1日でございましたものね」

「そうだな……」

 確かに一風呂浴びて、さっぱりするのも悪くない。

「……後でな。とりあえず今は、一休みするか」

「では、お食事を」

「いや、その。……(めし)の前に、酒が飲みたい」

「まあ」

 経子はおかしそうに口元に手を当てた。承知しました、と言って、奥へ戻っていく。

 経子が言った通り、今日は暑い1日だった。どこか風通しのよい場所で一杯やるとしよう。庭で月見酒というのも悪くない――。

ついでに、知盛の様子を見に行くことにする。

知盛は庭を見ながら寝転んでいた。白猫の姿はなく、1人だった。

「知盛」

声をかけても返事がない。

 無視しやがったのかと思った時、かすかな寝息に気づいた。

「寝てんのかよ……」

 のん気な寝姿を見ていると、無性に蹴飛ばしてやりたくなったが、自重した。代わりに、寝ている知盛の横に腰を下ろす。

 先日、西八条義母(はは)・時子から(ふみ)が届いた。重盛には迷惑をかけて申し訳ないが、どうか知盛の気持ちを汲んでそっとしておいてやってほしい――と書かれていた。

(こいつの気持ち……か)

 困ったことに、その気持ちというのが重盛にはよくわからない。

ただ、時子も清盛や盛子と同意見だということはわかった。つまり、しばらくは知盛の好きにさせておくべきだと。

見るとはなしに寝顔を眺める。徳子に殴られた跡は、ほとんど目立たなくなった。

(寝てる時だけは、可愛げあるんだよな……)

 起きている時は絶対に見られない、無防備な表情。年相応に、いや年よりも幼く見える横顔。

ふと、その顔に、白い空木(うつぎ)の花が重なった。

 宗盛の謎かけ――知盛が空木のようだ、という言葉の意味はわからないままだ。忙しさにかまけて、考えることさえしていなかった。

「空木……空木……」

「父上、お帰りなさいませ」

 背中から長男・声がした。少し遅れて、

「お帰りなさい」

と行盛の声がする。

 振り返ると、2人が並んで立っていた。

 小松家の兄弟は皆わりと仲がよい方だが、この2人は特に気が合うらしい。義兄(あに)の優しさを行盛は慕っており、維盛は義弟(おとうと)のおっとりした気性を愛でている。

「知盛殿は、お休みなのでございますね」

 父の影の寝姿に気づいて、維盛は声をひそめた。

「ああ……おまえら、空木ってわかるか」

「は?」

 維盛が聞き返してくる。

「申し訳ございません。空木が、どうしたのでございますか?」

「あ、悪い。つまり――」

 知盛の枕元で話すわけにもいかない。2人を誘って、重盛は庭に出た。

「何が聞きたいのかっていうとな……。その、知盛が空木に見えるかってことなんだが」

『???』

 事情を知らない2人は、そろって首を傾げる。

 しかし維盛は、父の問いにはとにかく答えねばならないと思ったらしく、

「よくわかりませぬが……知盛殿を花に例えるなら、空木はふさわしくないのではないでしょうか」

「ふさわしくない?」

「はい。空木は(うつ)……憂きことに通じると申しますし」

 今度は重盛が、息子の言っていることを理解できなかった。

 すると、横でやり取りを聞いていた行盛が口をひらいた。

「ウグイスの、(かよ)う垣根の()の花の、()きことあれや、君が来まさぬ……」

 たどたどしい口調で、難しげな歌を暗唱したのには驚いた。維盛が義弟の頭をなでる。

「万葉集か。よく覚えていたね、行盛」

「なんだ、そりゃ?」

「この歌は、想い人が通ってこないつらさを詠んだもので……」

「いや、そうじゃなくてな」

 歌の話はどうでもいい。聞きたいのは、空木が知盛にふさわしくないと言った、その意味だ。

「空木ってのは、要するに縁起の悪い花なのか?」

「いえ、そのようなことは」

 維盛は驚いた顔で首を振り、

「ただその、人に例えるのは失礼なのではないでしょうか。美しいが中身がない、と揶揄(やゆ)しているように聞こえますので」

「中身がない?」

「はい。その名が示します通り、空木は、幹の中が空ろになっている木ですから」

「………………」

 重盛は考え込んだ。

美しいが、中身がない。

それが宗盛の謎かけの答えなのか?

確かに知盛は、見た目は美しく、中身はいささかアレだ。

その点では、的外れな例えということもない。

ただ、あの宗盛に限って、そんなきつい言葉を弟に投げかけるとも思えないのだが……。

「知盛殿でしたら、むしろ香り高い(たちばな)の花……いえ、雪の色を映す白梅(はくばい)などもよいやもしれませぬ。それに、花ではありませんが、風に散る紅葉(もみじ)の風情なども、どこか重なるものが……」

義兄上(あにうえ)

 くいくい、と行盛が義兄の袖を引く。

「なんだい?」

「ん」

 行盛が邸の方を指差す。

 ハッと息を飲む維盛。

 そこに、知盛が居た。濡れ縁に1人座って、両足をぶらぶらさせている。

「おまえ、いつから居た?」

 バツの悪い気分を味わいながら、重盛は問いかけた。

「縁起の悪い花……の辺りでしょうか」

 知盛は平然と答えた。気を悪くしているようには見えなかったが、もともと感情の読みにくい奴である。見えないからといって、本当にそうであるとは限らない。

「あの……わたくしは、けっして……」

 維盛が弁明を試みる。あいにく声が小さ過ぎて、聞き取れない。

 気まずい時間は、長くは続かなかった。

 経子が現れたのだ。酒の支度が整った、ではなく、急な来客と言って。

「ああ、今行く」

 これ幸いと、重盛はその場を抜け出した。

「どうかなさったのですか、重盛殿?」

微妙な空気を察したのだろう。経子が尋ねてくる。別に何でもない、と重盛はごまかした。

実際には、何でもないこともない。

知盛には後で謝って――いや、この場合、謝るのも妙な話か?

「重盛殿?」

 本当にどうしたのだと経子が目線で問うてくる。

「だから、何でもないって。……それより、客ってのは誰のことだ?」

「斉藤(さね)(もり)殿でございますわ」

「あ?珍しいな――」

 斉藤実盛は、重盛が頼りにしている部下の1人だ。

 もとは源氏の武士で、平家に来たのは十年ほど前。一門の武士の中では新参と言っていいが、その清廉な人柄で信頼を集めている。無論、こんな時間に訪ねてくるなど、普通はありえない。

 要は普通でないことが起きたということだ。

 重盛は表情を引き締めた。知盛のことは一旦、脇にどけて、今は平家の棟梁としての務めを果たさなければならない。




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