平家の鬼子 〜空木の章〜

 

第三話 清盛の娘(3)

 

「……ちょっと待てよ、盛子。止まれって」

 長い廊下の途中で、重盛は妹の背中に追いついた。

「あら、なあに?」

 歩みを止め、こちらを振り向く盛子。別に、何か用があって追いかけてきたというわけではないが、

「あー……その、なんだ。腹は減ってないか」

「え?」

「軽く飯でも食っていったらどうだ。せっかく来たんだ、そう急いで帰ることもないだろ?」

 その奔放な性格には手を焼くことも多いが、盛子は重盛にとって、可愛い妹だ。忙しさにかまけて、しばらく顔を見ていなかったのも本当のことで、積もる話もある。

「引き止めてくれるの?嬉しい!」

 盛子が腕にしがみついてくる。重盛の耳元に唇を寄せ、ささやくような声で、

「それなら、兄上のお部屋に連れてって。ゆっくりお話ししましょ?」

「……やっぱり、帰れ」

 妹の体を引き()がしつつ、重盛は憮然と言い放った。

「何よ、冷たいんだから。重盛兄上も、知盛も」

 ぷうっとふくれる盛子。その()ねた顔を見下ろしながら、重盛は先程から気になっていたことを口にした。

「なあ、おまえ。知盛がここに居るって、誰から聞いたんだ?」

 重盛が事の次第を知ったのは、つい今し方。清盛とて、知盛の不在には今朝になってから気づいたらしい。知盛を迎えに来た、と盛子は言ったが、いくらなんでも早過ぎないか。

「内緒」

と、盛子はほほえんだ。

「私、兄上が思ってるより、何でも知ってるのよ」

 無邪気な少女の笑みは消え、一瞬、大人の女のような謎めいた表情がのぞいた。

「………?」

 ふいに重盛の胸がざわめいた。

「おい、盛子」

 思わず、妹の細い肩をつかむ。

「なあに?」

 小首を傾げて、こちらを見上げてくる。その顔は――いつもの盛子だ。

(気のせいか……?)

 何やら剣呑(けんのん)な空気を感じた気がしたのだが。

「なあに?何か聞きたいことでもあるの?」

「いや、別に……」

 重盛は言葉を濁した。盛子は不思議そうに瞳を(まばた)かせている。

「ああ、そうだ。おまえ、徳子と仲よかったよな」

 趣味も性格も違うが、2人は幼い頃から仲のよい姉妹だった。盛子が摂関家に嫁いだ後も、その交流は続いている。 

「できれば、近いうちに西八条の方も見舞ってやってくれるか。あいつも色々、その……不安とかあるだろうからな」

 しかし盛子は、重盛の言葉に首を横に振った。

「姉上のことは、別に心配いらないわ」

「…………」

 あまりにそっけない口調だったので、重盛は一瞬言葉を失った。

 盛子はそんな重盛を見て、小さくため息をつくと、

「だいたい、姉上ったらワガママなのよ。兄上たちが甘やかすから」

「……俺は、あいつを甘やかしてたか?」

 自覚がないの?と盛子は言った。

 妹なら大勢居る。しかし、自分が育った邸の中で生まれた妹――となると、徳子が初めてだった。

 それはまあ、可愛くなかったはずもない。

「重盛兄上は心配なんでしょ?姉上を宮中に行かせるのが」

 盛子にそう言われては、何も言えない。

 たった9歳で家族と引き離し、よその家に嫁がせた妹に。今更どの口で、妹が心配だなどと言えるのか。

「気にすることないわよ。姉上が嫌がってるはずないもの」

「……そう、か?」

「だって、帝は美男子ですもの。滋子(しげこ)叔母様そっくりで」

「おい、そんな理由か」

 重盛はあきれた。いくら徳子が美しいものが好きだといっても、それとこれとは話が別だろう。

「重衡の話じゃ、だいぶ暗い顔してたらしいぞ」

「そりゃ不安でしょうよ。宮中に行けば、女房たちも、雑仕女(ぞうしめ)たちさえ、とびきり美しいもの。姉上もまあまあお綺麗だけど、あの中で比べられると思ったらねえ……」

「…………」

「でも、逆に考えれば、自分より美しい女たちにかしずかれて、大きな顔できるんだもの。悪い気はしてないはずよ」

 重盛は沈黙した。

 年若い妹の複雑な気持ちは、自分には難し過ぎて理解できない。

「徳子の方はひとまず置いとくとして……」

 重盛は疲れたため息を漏らした。

「知盛の方はどうだ?なんで家出なんかしたと思う?」

 盛子はかくんと首をかしげた。

「別に、難しく考えなくてもいいんじゃない?まだ子供だもの。姉上にいじめられて、なのに宗盛兄上には叱られて、()ねてるだけよ」

 そんな子供らしい理由だというなら、重盛も心配しないが。

「相手はあの知盛だぞ?」

 重盛が言うと、なぜか盛子はくすくす笑った。

「だいじょうぶよ、『あの』知盛だもの。しばらく好きなようにさせておけば、そのうち自分で帰る気になるわ」

 ……清盛と似たようなことを言っている。

 自分だけか。自分だけが、この事態におたおたしているのか。

「重盛兄上ったら、そんなに心配しないで」

ぽんぽんと気安く重盛の腕を叩く盛子。

重盛は肩を落とした。本当に、盛子の言う通り、うまくいくならいいのだが。




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