平家の鬼子 〜空木の章〜

 

第三話 清盛の娘(2)

 

そして今、重盛の前には、16歳になった盛子が居る。

妻の経子と比べてもまだ体が細く、透き通るように色が白い。

貴族の娘は色白なものと相場が決まっているが、盛子のそれは生まれつきの病弱さによるものだ。

しかし、表情の明るさと持ち前の聡明さ、何より意志の強そうな瞳が、儚げな空気を掻き消している。

瞳が大きく丸顔で、実年齢よりも幼い印象を与える顔立ち。兄のひいき目をさっぴいても、美しいと言えないことはないはずだ。

「おまえ、何しに来た」

重盛が問うと、盛子はあの日のように子供っぽく唇を尖らせて見せた。

「何って、この子のこと迎えに来たに決まってるじゃないの」

 知盛の頬をつっつく。知盛は迷惑そうにしているが、盛子は気にしない。

「聞いたわよ。こんな綺麗な顔を叩くなんて、姉上ったら乱暴なんだから」

 そっと知盛の頬をなでようとする――と、白猫が怒ったように鳴いた。

「沙羅ってば、妬いてるのね」

 盛子はくすくす笑う。

「やけに耳が早いな。けど、知盛は帰る気はないってよ」

 重盛の言葉に、盛子は黒目がちの瞳を大きく見開いた。

「あら、帰る必要なんてないわ。言ったでしょ?迎えに来たって。あんなひどい姉上の所に戻るより、うちに来なさいよ。ね、知盛?」

「……姉上の邸に?」

 知盛はかすかに目を細め、怪訝(けげん)な表情を作った。

「そうよ。いい考えでしょ?」

「せっかくのお誘いですが、基通(もとみち)殿(どの)のご迷惑になるでしょう」

「あら、そんなことないわよ。あの子、素直だもの。私の言うことなら何でも聞くわ」

 盛子は自信たっぷり言い切った。

 ちなみに基通というのは、盛子が嫁いだ基実の嫡男である。現在12歳。盛子にとっては、弟と同い年の『息子』だ。

 父親の基実の方は――あれから、2年も生きられなかったのだが。

 未亡人になった盛子は、基通が成人するまで、という条件で基実の遺領を相続し、摂関家の家長となった。

 わずか11歳で。

 天才というものがこの世に居るとしたら、多分、盛子のような人間のことを言うのだろう。清盛らの助けがあったとはいえ、名門・藤原家を今日まで仕切ってきたのだから。

 基通も実の母親より、盛子に懐いている。いや、若く美しい『母親』に心酔している。

 何でも言うことを聞くというのも誇張ではなく、盛子がやれと言ったら内裏(だいり)屋根にでもよじ登るだろう。あるいは、五条大橋から鴨川の流れに身を投じるやもしれぬ。

「そうと決まれば、すぐに行きましょう。夕餉(ゆうげ)は何がいい?」

 まだ何も決まっていない。

 しかし盛子は知盛の腕を取り、強引に立たせようとした。フニャッと悲鳴を上げて、白猫が膝から転げ落ちそうになる。

「姉上、お待ちください」

 空いている方の手で白猫をかばいつつ、知盛が声を上げる。少しだけ、焦っているように見えなくもない。

「何よ、嫌なの?」

「嫌、とは申しておりませんが……」

「ここに居るつもり?重盛兄上の迷惑になるなら出て行く、ってさっき言ったわよね?」

 どうやら話を聞いていたらしい。

「言いましたが……姉上の所には参りません」

「失礼ね。じゃあ、どこへ行くの?叔父上の所?それとも、乳母の所?違うわね。あんたって、こういう時に人を頼らないから」

「…………」

「どうせ、野宿でもするつもりだったんでしょ。いかにもいい家の坊っちゃんって格好してるくせに、かどわかしにあっても知らないわよ?」

「…………」

「ね、うちに行きましょうよ。今だけじゃなくて、ずっと住めばいいわ」

「あー、そこまでだ。いいかげんにしてやれ、盛子」

 重盛は2人の会話に割り込んだ。

知盛がやりこめられているのが珍しかったので黙って見ていたが、摂関家に連れて行くというなら話は別だ。家の中のごたごたを、外に持ち出すわけにはいかない。

 盛子は幼い少女のようにふくれて見せた。

「何よ、兄上はこの子が居ると迷惑なんでしょ?」

「……んなこと、言ったか?」

 重盛は記憶を辿った。……いや、言っていない。迷惑そうな顔はしたかもしれないが、知盛が邸に居ること自体が問題なのではない。

「俺は事情を話せ、って言ってただけだぞ」

「話さないなら、邸に連れ戻すって言ったじゃないの」

 重盛は観念して両手を上げた。

「……わかった。あれは取り消す。こいつはここに置いておく。それでいいな」

「よくないわよ。うちに連れて行きたかったのに」

 盛子はふくれ面で抗議する。しかし、その瞳が一瞬きらりと輝いたのを、重盛は見逃さなかった。

 ……もしや、ハメられたか?

 最初から、重盛にそう言わせるのが狙いで――。

「来てくれないなら、帰るわ。ここに居ても仕方ないし」

 戸惑う重盛を尻目に、盛子はさっさと立ち上がった。

「おい、待てよ――」

 しかし、盛子は軽やかに着物のすそを翻して去っていく。さながら一陣の風のように。

そんな姉の後ろ姿を、知盛がじっと見送っていた。




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