平家の鬼子 〜空木の章〜

 

第三話 清盛の娘(1)

 

「お久しぶりね、2人とも。ちっとも会いに来てくれないんだから」

 若葉色の衣をまとった少女――盛子は、ついついと着物のすそを引いてこちらに近付いてきた。

「もしかして、私のことなんて忘れてたのかしら?」

 いきなり自分の方にしなだれかかってきたので、重盛は慌てた。

「こら、やめろ。経子に見られたらどうすんだ」

「別にいいじゃない。なんだから」

 くすりと笑って意味深な目付きをする盛子。ひそかに動揺しつつ、重盛は妹の体を押し戻した。

 そう、妹である。徳子と共に、時子の手によって育てられた娘だ。

 ただ、その生い立ちは、いささか複雑だ。

盛子を産んだのは、時子ではない。盛子の母親のことを、重盛は知らない。

知っているのは、昔、父と付き合いのあった女だということ。どうやら不幸な死に方をしたらしい、ということだけ。

その『付き合い』が、いわゆる男女の仲か、それとも単に友人の友人、くらいなのか、それすらはっきりしない。

 清盛にはそういうところがある。

 冷酷非情なようでいて――まあ、敵対する人間に対しては実際そうなのだが、半面、情にもろく、妙に人がいい。特に困っている人間――目下の者や、か弱い女性に対しては。

 父のその性格のおかげで、重盛には、素性の不確かな妹や弟が、家の外に何人か居るのだった。

 ただ、盛子の場合はまた事情が別だ。

母親が亡くなった後、1人残された乳飲み子の盛子を、父は手元に置いて育てることにした。

 親切やお人好し、ではない。そこには始めから目論見(もくろみ)があったのだ。

 その前提として――平家一門では、代々、女子不足に頭を悩ませてきた。

傍流、あるいは家の外では普通に女子も生まれるのに、どういうわけか正妻の腹には女子が少ない。

 重盛にしても、既に5人の子の親となったが、全て男である。娘は1人も居ない。

 武門の家柄なのだから、男の子の方が貴重ではないか。

 と、考えるのは、甘い。

 平家一門の栄華栄達を支えてきたのは、男よりもむしろ女たちの方である。

一門の娘たちが京の貴族に愛され、やがて子を産み、その子が家を継ぐ。女たちは互いに連携しつつ、家の中のことを取り仕切る。

何代にも渡って、そうやって一門の力を高めてきたのだ。

 乱暴な言い方をすれば、男など、後継ぎさえ決まってしまえば残りは予備である。

 美しく賢い娘は、並の男10人が束になっても勝てない価値がある。

 前置きが長くなったが――つまり清盛は、身寄りのない盛子を、正妻である時子の娘として養育させ、名のある貴族の家に送り込もうと考えたのである。

 目をつけたのは、京の名だたる貴族の中でも名門中の名門、藤原北家。別名、摂関家(せっかんけ)だった。

「摂関」とは帝の補佐役たる摂政(せっしょう)関白(かんぱく)の略。藤原北家は、代々この要職を務めてきたため、そう呼ばれるようになった。

 かつては王家を凌ぐほどの権勢を振るった名門も、現在では、内乱や新興勢力――そこには平家一門も含まれる――の台頭によって、勢力を減退させている。

それでも、京の貴族に影響力を持つ家だということは変わりない。莫大な領地・資産を有していることも。

 当主・藤原忠通(ただみち)は、若い頃、男子に恵まれなかった。そのため晩年を迎える頃になっても、息子たちはまだ年若かった。

 忠通が死ねば、おそらく後継問題が起きるだろう。そこに付け入る隙があるはずだ――。

 清盛の読みは当たった。

 盛子が9歳になった時、忠通が世を去った。後継者たる藤原(もと)(ざね)22歳。名門・摂関家を1人で背負うには、まだまだ力も経験も足りなかった。

 基実には5歳になる息子が居た。盛子とは、だいたい年も合う。

 2人を将来、(めあわ)わせることを条件に、平家は基実の後ろ盾となり、基実の方は、平家の意向が(まつりごと)に反映されるように力を尽くす。

 ……と、なるはずだった。

 しかし、いざ話が進みかけた時、問題が起きた。他ならぬ清盛が、この縁談を渋ったのである。

 理由は単純。成長した盛子は、すっかり清盛のお気に入りになっていたのだった。

 まず、頭が良い。『源氏物語』を書いた紫式部は、幼い頃から難解な漢詩を読みこなして周囲を驚かせたというが、盛子も同様だった。年上の男の子でも手を焼くような書物を読み解き、すらすらと暗唱してみせる。

 加えて、はっきりした気性の持ち主だった。誰に対しても恐れず、自分の意見を口にする。

清盛は気の強い女が好きだ。まして、手塩にかけた娘である。

 ――盛子には、いずれ好きな男を選ばせてやる。誰が藤原家の小僧になどくれてやるものか。

 自分で計画したにも関わらずそう言い出した時には、父の気まぐれさにつくづくあきれた。

 事は一門全体の利益に関わるだけに、叔父の(とき)(ただ)(のり)(もり)らも説得を試みたが、清盛は耳を貸さない。

 一旦は白紙に戻りかけた話を動かしたのは、平家一門の誰でもなかった。

摂関家の若き当主となった、藤原基実。その人であった。

たった1人、供もつけずに六波羅に乗り込んできた基実は、応対した清盛と重盛の前に膝をついて、頭を下げた。

 ――お話はよく理解しました。私もまた人の親ゆえ、我が子を愛しく思う心は同じ――。

基実は顔を上げ、ひたと清盛の目を見据えた。

 ――その上で、お願い致します。どうか盛子殿を、私の妻として迎えさせてはいただけないでしょうか――。

 その言葉には、重盛も、清盛さえもが面食らった。

繰り返すが、基実は22歳。盛子は9歳である。

清盛と重盛がわけを問い質すと、基実はこう付け加えた。無論、妻と言っても形だけのものですが、と。

基実にも事情があった。当時、京で存在感を増しつつあった平家の後ろ盾がどうしても欲しいという事情が。

摂関家とて敵は多い。その弱体化に目をつけ、地位を狙う者も居る。

だが、基実の真の敵は家の中に居た。

腹違いの弟・基房(もとふさ)である。生まれつき病弱な兄に代わって、隙あらば当主の地位を手に入れようと伺っていたのだ。

基実は語った。

自分は体が強くない。おそらく、そう長くは生きられない。盛子と息子を娶わせるといっても、それまでもたないかもしれない。

だからこそ、盛子には息子の「妻」ではなく、「母親」になってもらいたいのだ。

自分が死んだ時は、盛子が息子の後見人となり、さらに平家一門がその後ろ盾となることで、当主の地位を守ってほしい。けして基房に奪われることがないように。

聞いていた重盛はひそかに戦慄を覚えた。

息子が成人するまで平家に後見してほしいと基実は言うが、それは一時的とはいえ、摂関家の資産を他家に預けるということ――下手をすれば、全てを乗っ取られる可能性すらある危険な行為だ。

そうまでして、当主の地位を弟に渡したくないのかと重盛が問うと、基実はかすかに笑みを浮かべて言った。

自分はただ、我が子の未来を守りたいだけだ、と。

血のつながった身内の方が、他人より信じられぬということもある。私は平家より弟の方が恐ろしい。

どうかお頼み申すと基実は言った。

形だけの妻とはいえ、盛子のことは必ず大切にする。自分が死んだ後は、誰でも好きな相手のもとへ嫁ぐといい。

そう言って、繰り返し頭を下げた。

名門・藤原家の後継ぎとして、おそらく生まれてから1度も他人に下げたことのないだろう頭を下げて頼んだ。

お世辞にも頑強とは呼べない、青白い顔をした青年ではあったが、その姿には父としての覚悟と強さが垣間見えた。

もちろん清盛もすぐには折れなかった。その場はまだあれこれとごねていたのだが、基実の覚悟と、叔父たちの根気強い説得に、ついには首を縦に振った。

かくて盛子は、わずか9歳で人妻になった。

賢い娘だ。

自分の生い立ちや立場も、大人たちの複雑な事情も、全て理解していた。

不憫(ふびん)と、思わなかったわけではない。

しかし家を出る日の朝、盛子はけろりとして言ったものだ。

――私が未亡人になったら、重盛兄上の側室にしてね。私、貴族の男性って趣味じゃないの。男はやっぱりたくましくないと。

兄妹だから無理だ、と重盛は答えた。

――私のこと、かわいそうだって思わないの?

盛子は無垢な瞳で重盛を見上げてきた。

さらに、責任取ってよ、と来たものだ。思い切り弱みを突かれた重盛であったが、とにかく無理だ、と繰り返した。相手が子供だからと言って、適当な返事はしたくなかった。

――重盛兄上のけち。

最後だけは子供らしく唇を尖らせて、盛子は家を出て行った。7年前のことだった。




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