平家の鬼子 〜空木の章〜

 

第二話 入内(じゅだい)憂鬱(ゆううつ)(3)

 

 ひとまず落ち着いて頭を整理しようと、重盛は自分の邸に戻ることにした。

 知盛に何が起きたのかはわかった。

問題は、これからどうするか。清盛は放っておけと言ったが、重盛にはそれが正しい対処とは思えない。

重衡の話の通りなら、知盛はけんかを売られた側だ。

にも関わらず、邸を出ることになった。しかも姉の徳子に、「ひどいことをたくさん言われて」。それを放っておいていいはずが――。

……まあ、あの知盛のことだ。こちらが心配するほど、気にはしていないかもしれないが。

徳子に目の(かたき)にされるのも、今に始まったことでなし。

清盛が「しばらく顔を見せるな」と言ったのは、徳子が入内を控えた微妙な時期だからこそ。知盛もそれはわかっていよう。無駄に冷静で、頭の切れる奴だから。

 ただ、ひっかかる。

 父は「邸を出て行け」とは言っていないのだ。徳子が落ち着くまでそばに寄るなと命じただけで、その徳子は今、西八条の邸に居る。

つまり泉殿を出たのは、知盛本人の意思なのではないか。

それに、今朝の様子。ふてくされたような態度が、いかにも知盛らしくなかった。

 仮に、徳子とのけんかが原因でないのなら――。

気になるのは、宗盛が言ったという言葉だ。

(知盛が空木(うつぎ)のようだ、か)

 意味がわからない。まるで謎かけのようである。

空木など、重盛にとっては初夏に生垣に咲く花、くらいの認識しかない。帰ったら、経子にでも聞いてみるか。

 宗盛に直接聞けば早いというのはわかっていたが、正直、気が進まなかった。

 宗盛と重盛は、母親が違う。

 重盛は父の先妻の子であり、宗盛は後妻である時子の長男だ。

 だから、というわけでもないのだが……。

 宗盛が自分に打ち解けているかといえば、必ずしもそうは言えない部分があった。

 まして宗盛は難しい年頃だ。ひたむきに己の可能性を信じ、夢を見ているだけの子供とは違う。10代後半ともなれば、己の能力の底も、ある程度は見えてくるものだ。

 もとい。見えたような気になるものだ。

 実際にはそんなもの、簡単に見えはしない。この年になると、よくわかる。

だが、なんとなく色々なことがわかったような気になって、落ち込んだり、屈折したりするのも、若さの一面だろう。それもまた、よくわかる。

 宗盛はけして無能な男ではない。しかし、清盛の子として、周囲から期待されるものは大きい。

 非凡な父と比べられ、己の限界に喘いでいる。重盛にもまあ、覚えがないこともない……かも、しれないと、言えないこともなく。

 正直に言えば、そこはよくわからない。

 他人と自分を比べても意味がない。それが実の父親であろうとも、だ。

 自分は自分。他の誰かにはなれない。

 どうせなれないなら、そこで悩むだけ時間の無駄だ。人の一生は短い。あれこれ考えるより、さっさと行動、が重盛の信条だった。

 ――間もなく、行く手に小松殿が見えてきた。

 まだ考えがまとまらない重盛は、庭を散歩してから邸に戻ることにした。

 小松殿の庭は広い。東西に長い池のほとりに、冬でも葉を落とさない常緑の木々が植えられている。

水面にうつる緑の美しさは、四季折々の風情を愛でる京の人々に評判である。風情というものにさほど関心を持たない重盛も、この庭の景色は気に入っている。

 池の淵に沿って、ぶらぶらと歩いていく。

 今日は汗ばむほどの陽気だ。水辺に居ると心地いい。さらさらと木々の梢を揺らして、風が吹き抜けていく。

 思わず立ち止まって、涼しげな水面(みなも)に見入っていた時だった。

バサリと木の枝を揺らして、重盛の頭上から、何かが降ってきた。

「おわっ!なんだなんだ!?

 とっさに、重盛は「降ってきたもの」を手に取った。

柔らかな毛のかたまり。

目の前に持ってくると、見覚えのある白猫だった。重盛の手の中で、フーッと息を荒げている。

「待てーっ!」

 子供たちが走ってきた。三男(きよ)(つね)と四男(あり)(もり)、その後から、次男の(すけ)(もり)

「おまえら、まだやってたのか?」

 重盛はあきれた。自分が邸を出た後もずっと、追いかけっこを続けていたらしい。見れば、全員すっかり汚れて、木の枝や葉っぱを髪にくっつけている。

 それは白猫も同じだった。美しい白い毛並みは薄汚れ、しかも逆立っている。

「おい、こら。さすがにやり過ぎだろ。弱い者いじめするんじゃねえよ」

 重盛に叱られて、子供たちはいっせいにバツの悪そうな顔をした。

「資盛、おまえまで何だ」

「ごめんなさ……申し訳ございません、父上」

 うなだれる資盛を見て、清経が口をとがらせる。

「なんで謝るんだよ。兄上は止めようとしてたじゃないか。いっつもカッコばっかつけて」

 兄をかばっているようにも聞こえるが、一言(ひとこと)余計だ。案の定、資盛がじろりと弟の顔をにらむ。

「やめろ」

 重盛は2人の間に割って入った。

「とにかく……その格好、何とかしろ。経子に雷落とされるぞ」

『はい、父上』

 素直にうなずく2人。兄たちの後ろでぼんやり突っ立っていた有盛も、一緒に邸の方へと戻っていく。

 子供らの姿が見えなくなってから、重盛はあらためて手の中の白猫を見つめた。

 目が合うと、シャーッと牙を剥いて威嚇してくる。

「なんだよ、助けてやったんだろ?」

 白猫の爪が閃く。

「っと!」

 危ういところで、重盛は手を放した。

空中に放り出された白猫は、ふわりと宙返りして、優雅に着地する。

「おい、いきなり何すんだ。礼を言ってくれてもいいくらいだろ?」

 白猫がこちらを見上げる。じっと、恨みがましい目付きで。

「……いや、まあ、確かにあいつらの親は俺だけどな」

 じいっと見上げてくる。重盛は微妙にたじろぎつつ、

「しつけが悪いってのか?そういうことは経子に言ってくれ」

 つい無責任な父親の典型じみたセリフが口を出る。

 急に白猫が飛び上がった。うにゃっと悲鳴を上げて、木立の陰に隠れてしまう。

「おい、どうした――」

と言いかけて、気づいた。草を踏む足音が近付いてくる。

「……沙羅(さら)?」

 この声は知盛だ。どうやら、白猫を探しに来たらしい。

 やがてゆっくりと姿を現した知盛は、そこに重盛が居るのを見ても無反応だった。辺りを見回して――木立の陰に目を止める。よく見れば、白い尾だけが、そこからのぞいている。

「沙羅、どうしたんだ?」

 ぴくりと白い尾が動く。しかし、姿は現さない。

「悪い。うちのガキ供が、ちょっとやり過ぎたみたいでな」

と重盛は謝った。

 それにしても、なぜ隠れているのか。知盛相手に、脅えているはずがない。まさか薄汚れた姿を見られたくないというわけでもあるまい。

 知盛は黙って白猫のそばに近付いた。

 木立の前に屈んで、そっと手を差し出す。

「出て来いよ、沙羅」

 答えはない。

 知盛はもう1度、同じ言葉を繰り返した。

「出て来いよ」

 知盛にしては、優しい声だった。

『ニィ……』

 そろそろと、白猫の顔がのぞく。先程とは別人のような、しおらしい態度だ。

 知盛が小さく笑う。

「何を恥じらっているんだ?おまえはいい女だぜ――」

 後ろで聞いていた重盛は吹き出しそうになった。

「心配するなよ。すぐに綺麗にしてやるさ」

 そっと白猫を抱き上げ、戻っていこうとする。重盛の存在は、ひたすら無視されている。

「おい、ちょっと待てよ」

 呼び止められて、初めてこちらを振り向く知盛。

「何か」

 重盛は黙ってそばに近付いた。徳子に殴られたという頬は――徳子は右利きだから、左か。

 なるほど、よく見れば、ほのかに赤くなっている。

「………?」

 無言でしげしげ眺めていると、知盛が眉をひそめた。

 白猫がニャアと鳴く。邪魔をするなと言っているように聞こえた。

「あのな。事情は聞いてきた」

 重盛は出し抜けにそう言った。

「……重衡に、ですか」

 不愉快そうに目を細める知盛。無駄に勘がいい。

「別に、誰に聞いたんでもいいだろ。それよりおまえ、これからどうする気だ」

「どう、とは」

「ずっと帰らないつもりか?」

 知盛はふいとそっぽを向いた。そのまま、邸の方に向かって歩き出す。

「だから、待てって――」

 重盛は後を追った。

「なんで家出なんかした?」

「…………」

「こら、返事しろ」

「……事情は聞いてきた、と仰られたのでは?」

 だんだん腹が立ってきた。こいつは人の気も知らずに、涼しい顔しやがって。

「いいかげんにしろよ。適当なことばかり言ってないで、ちゃんと納得できるように説明しろ。さもないと、無理やりにでもあっちに連れて帰るぞ」

知盛が足を止めた。まともに答える気になった――わけではなく、木立の向こうに、小松殿が姿を現したからだった。

廊下に腰掛け、抱いてきた白猫を自分の膝に下ろす。それから、妙に上等な(くし)を取り出し、白猫の毛を()き始めた。白猫は心地良さそうに目を細めている。

「おい、何とか言えよ」

「……父上のご命令ですので」

 ようやく、知盛が口をきいた。

「しばらくの間、顔を見せるな、と」

「……それだけか?」

「兄上のご迷惑になる、というのでしたら、出て行きますが」

 答えになっていない。

「出て行ってどうする気だ」

と聞いても無視。

ハァ、と重盛はため息をついた。

こいつのことだ。出て行くと言ったら本気で出て行くだろう。

他の誰かの邸に行くならまだいい。が、父が言っていたように、姿をくらませてしまう可能性すらある。

どうしたものかと頭を抱えていると、重盛の背後から笑い声が上がった。ころころと涼やかな、若い娘の声だった。

 この小松殿に若い女など居ない。

 しかし、振り向いた重盛の前に立っていたのは、若葉のように初々しい少女であった。

着ている着物も若葉の色だ。まるで小松殿の木立がそのまま、少女の姿に化身したかのようだった。

「仲がいいのね」

 そう言って、またころころと笑う。

「……盛子!」

「姉上?」

 重盛と知盛は、2人同時に声を上げていた。




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