平家の鬼子 〜空木の章〜

 

第二話 入内(じゅだい)憂鬱(ゆううつ) (2)

 

 それは、きのうの昼下がりのことだったという。

「風が涼しくて心地よかったので、庭を見ながら、姉上とお話していたのです」

 誘ったのは重衡だった。このところ、姉が沈みがちなのを知っていたからだ。

 徳子と重衡は、昔から仲がよい。利発で素直で、しかも美しい弟を、徳子は自慢にしている。

 また、徳子は物語が好きで、その点も重衡と趣味が合うようだった。自分の持っている書を弟に貸しては、そこに描かれている人物や物語について、飽きもせず語らっている。

 空は晴れていた。庭の花々は美しく、よい香りがして、自分の横では天女のように美しい姉が優しくほほえんでいる。さながら桃源郷に居るような心地だったと、重衡は語った。

 聞いていた重盛は首をひねった。

「天女って……徳子のやつ、そこまでいい女だったか?」

「話の腰を折らないでください」

重衡は気分を害したようだ。

「姉上より美しい方などおりません。居るとしたら、母上くらいです」

 どうやら本気で言っているらしい。身内びいきもそこまでいくと、あきれを通り越して感心するしかない。

「悪い。続けてくれ」

 重盛が詫びると、重衡は気を取り直したようにまた話し始めた。

その日の徳子は、淡い(くれない)(ころも)に、濃い紅の(うわ)()を重ねていた。珍しい着こなしというわけではなかったが、徳子の顔立ちにはよく映えていたそうだ。

ふとした折に見せる笑顔も奥ゆかしく、立ち居振る舞いはしとやかで麗しい。ほのかにただよう(こう)は、初夏らしくさわやかな香りで、重衡はうっとりしていた。

(よくもまあ、次から次へと言葉が出るもんだよな)

下手に口を挟んで、また機嫌を損ねるわけにもいかない。早く本題に入れと言いたいのをこらえて、重盛は弟の語りに耳を傾けた。

徳子は明るかったそうだ。いや、明るく振舞っていた。

可愛がっている重衡の前では、沈んだ顔を見せまいと思ったのかもしれない。

しかし、重衡は気づいていた。姉が無理をしていることに。時折ため息を漏らしては、物憂げな表情をのぞかせることに。

「姉上、どうか元気を出してくださいませ」

ついに我慢できなくなって重衡が言うと、徳子は一瞬驚いた顔をして、それから急に力が抜け落ちたかのように細い肩を落とした。

「……心配をかけてごめんなさい」

 言葉の後に、小さくほほえんで見せる。あくまでもつらさを押し隠そうとする姉の姿に、重衡は胸が痛くなった。

「姉上は、宮中に行くのがお嫌なのでございますか?」

「…………」

重衡の問いかけに、徳子は答えない。長いまつ毛を揺らして瞳を伏せる、(はかな)げな表情が美しかった、とのこと。

重衡はそっと姉の手を取った。

「もしお嫌ならば、私から父上にお願い致しします。姉上を行かせないでくださいと」

「………………」

沈黙は長かったそうだ。しばし風の音と、花の香りだけが辺りを包み――やがて、徳子は小さく首を振った。

「……いいのよ。仕方ないの」

「そんな――」

「父上が決めたんだもの。それに、私しか居ないのもわかってる……」

 清盛には娘が大勢居る。しかし清盛の正妻は時子であり、その時子の娘は徳子だけだ。

 別に正妻の子でなければだめだということはないが、やはり帝の后ともなれば――そして、将来、生まれる子供のことを考えるなら、母親の身分は高いに越したことはない。

「姉上。一門のために、姉上が犠牲になる必要などありません」

「…………」

「おつらいのならば、どうか隠さず、お気持ちを話してくださいませ」

 話を聞きながら、重盛は微妙にくすぐったくなった。

憂いに沈む姉、懸命になぐさめる弟。

まるで絵巻の一場面のようだ。こう言ってはなんだが、2人とも、その場の空気に多少酔っている気がする。

話をしている重衡は極めて真剣であるだけに笑うわけにもいかず、そもそも徳子を宮中に送り込もうとしている自分に笑う資格があるとも思えず、重盛は真面目くさった表情を取り繕った。

 重衡の説得に、徳子も少しずつ胸の内を明かした。

 自分が帝の后という高い地位に就くこと、見知らぬ宮中に行くこと――それらを不安に思っていること。

「怖いの。私なんかが、宮中でやっていけるとは思えない……。気の利いた話もできないし、これといって得意なこともないし。それに、美しくないもの」

「姉上。そんなことはありません」

重衡は強く首を振った。

「ありがとう。重衡は優しいのね」

少しだけ、徳子が笑顔を見せた。

「だけど、本当のことよ。私は、滋子(しげこ)叔母様とは違う――」

 すぐにその笑顔が曇り、また憂いの淵に沈んでしまうのを、重衡は黙って見つめることしかできなかった。

「叔母様くらい美しくて強い女性(ひと)なら、宮中のような場所もお似合いになるでしょう。でも、私は……」

 うつむく徳子。重衡は思わず姉の手を握り締めた。

 (きょう)(だい)(なか)が良すぎるのも考えものだな、と重盛は思った。将来、変な方向に道を踏み外さなければいいが――と、これは余計な心配だろうか。

 ちなみに滋子というのは、後白河院の(ちょう)()で、徳子が嫁ぐことになっている帝の母親である。

 叔母様と呼ぶのは、彼女が時子の腹違いの妹でもあるからだ。

 要するに、平家一門の縁者である。彼女の強い後押しがあったからこそ、徳子の入内が実現の運びになったとも言える。

「こんなこと、言っても仕方ないけど……。もし、私が母上の娘じゃなかったら、何か違ったのかしら……?」

「姉上……」

「内緒よ?私がこんな風に思っているなんて、もし父上に知れたら……」

ハッと徳子の表情が強張った。

見る間にその顔が青ざめ、かすかに震え出す。何事が起きたのかと、重衡は姉の視線の先を目で追った。

 庭に面した部屋の奥。これと言って、おかしなものはない。

 ――いや。

 何かが動いている。

 ゆらゆらと。

 音もなく揺れているのは、白い、猫の尾だった。

「なんだ、沙羅……」

 重衡が拍子抜けした時、姉が立ち上がった。鋭い声で呼びかける。いや命じる。

「出てきなさい」

 答えはない。しかし、姉は構わず続ける。

「いつからそこに居たの?隠れているなんて……失礼じゃない」

 ややあって、返事があった。

「お言葉ですが、最初からここにおりました」

 重衡は驚いた。声は、兄――知盛のものだった。

「ここは、よく風が通りますので」

 そう言って、衝立(ついたて)の陰から立ち上がる。いつものように昼寝していたら、重衡と徳子が後からやってきた。そういうことだったらしい。

「どうして声をかけなかったの?居るならそう言えばいいでしょう。それとも、気づかなかった私たちが悪いってわけ?」

 徳子は最初からけんか腰だった。盗み聞きされたような気分だったのかもしれないが、理由はおそらくそれだけではない。

 徳子と知盛は、昔から仲が悪い。

重衡と違って素直でもなく、可愛げもないから……と、いうほど単純な話ではなく。

徳子は美しいもの、優れたものが好きだ。例えば弟の重衡のような、あるいは叔母の滋子のような、美と才を兼ね備えた存在に強い憧れを示す。

同時にそれは、自分は叔母たちほど美しくないという引け目でもあるのだろう。

あんな風に生まれたかったという羨望が、相手への嫉妬やねたみに変じる。

よくある話だ。だが、徳子の場合、その相手は知盛だけに限られる。なぜか。

それはおそらく、知盛が生まれ持った美にも才にも、まるで関心がないという顔をしているからだ。

自分が憧れてやまないものを天から授かりながら、そんなものはどうでもいいと言わんばかりの知盛の態度が、徳子にとっては鼻につくのである。

幼い頃から、知盛のやることなすこと気に入らないというありさまだった。それは年頃になるにつれ悪化して、今ではほとんど目の敵にしている。

知盛の方は、基本、相手にならないし、言い返しもしない。姉の嫉妬も、そこから生まれ出る攻撃的な言葉の数々にも、やっぱり無関心だ。

この時も、さっさとその場から退散しようとした。知盛が動けば、白猫もついていく。

「待ちなさい」

 知盛が足を止めた。白猫も止まる。知盛の足元で、じっと人間たちの様子を伺っている。

「どうして笑ったの?」

 弟の背中に向かって、詰問する徳子。

「……笑った?」

「とぼけないで。私が重衡と話していた時、あなた笑ったでしょう」

 怒りで紅潮した姉の横顔を、重衡は驚きながらただ見つめていた。自分は、笑い声など全く気づかなかった。

「話……というのは、先程の……?」

 知盛が振り返る。口元だけに皮肉っぽい笑みを浮かべて、

「姉上のお気持ちは、お察し致します」

「心にもないこと言って」

徳子はいっそうまなじりをとがらせる。

「私の悩みなんて、あなたや父上にとってはくだらないことかもしれない――」

 ゆっくりと知盛に歩み寄る。徳子は、娘にしては背が高いので、見下ろす格好になる。

「だけど、あなたにはわからない。いつも好き勝手してるくせに、父上のお気に入りで、母上や兄上たち、みんなに可愛がられて……、あんたなんかに、私の気持ちはわからないわよ」

 言い募る徳子。対する知盛は、いかにも面倒くさそうな顔で黙って聞いていた。

 そんな知盛の態度に、徳子はいっそう腹を立てた。話を聞いているのか、何か言ったらどうだと繰り返し責め立てる。

 しばらくの間は言われるままになっていた知盛も、そのうち嫌気が差したのかもしれない。

あるいは、これ以上黙って聞いている方が面倒だと思ったのか。やがて唐突に口をひらいた。

「先程、『隠れて聞いていた』話によれば」

 ふいを突かれたように、徳子が口をつぐむ。知盛は小さく笑って、言葉を続けた。

「どうやら姉上は、一門のために尊い犠牲になるおつもりのようですが……」

知盛の瞳に、冷たい光が揺れる。横で見ていた重衡は嫌な予感がした。止めるべきだと、思った。

「ですが、もしも……、姉上が仰る通り……、母上のもとにお生まれになっていなかったとしたら……」

「兄上、おやめください!」

 重衡は叫んだ。

知盛は言葉を止めない。それどころか、こちらを見ようともしなかった。クッ、と嘲笑を漏らし、

「ご自分で生き方を選べたはずだ、と……。それは、さぞ素晴らしい人生だったのでしょうね?」

「……っ!」

 パーンと甲高い音がして、知盛の顔が横向きに跳ねた。白猫が悲鳴のように鳴き声を上げる――。

「徳子が、知盛を殴ったってのか?」

 重盛は信じられない思いで聞き返した。

「とても、強い音がしました」

重衡がうなだれる。

 知盛の言ったことが、よほど気に障ったのだろうか。徳子は泣きながら、知盛を(ののし)ったそうだ。

 普段はあまり感情を表に出す方ではないが、激高すると手がつけられないところがある。その点は、清盛の血を引いたのだろう。

「知盛兄上がお生まれになった時、母上のお命が危なかった、というのは本当でございますか?」

 重盛はぎょっとした。

「まさか……徳子が、そう言ったのか?」

 うなずく重衡。

「……あのな。別に、珍しい話じゃない。赤ん坊を産むってのは、女にとって命がけなんだ。時にはそういうことだってあるさ」

 平静を装いつつ、内心では動揺を隠せなかった。

 知盛は普通の赤ん坊より1ヵ月も早く生まれた。にも関わらず、既に髪も生え、瞳もひらいていた。

 しかもあの容姿だ。家族の誰とも似ていない。似ているというならむしろ京の民ではなく、かつて京に侵攻した鬼の一族――。

 不吉だ、鬼の呪いだと恐れる者が、一門の中に居なかったわけではない。

 幸い、その後すぐに時子は回復したし、1年後に兄とそっくりな重衡が生まれた時には、もはや鬼の呪いだなどと口にする者も居なかった。

 徳子は覚えていたのだろうか。当時、まだ5つである。でなければ、大人たちの誰かに聞かされたということになるが。

「姉上は、他にもたくさん、兄上にひどいことを言いました」

 重衡はうつむいている。どんなことを言ったのか――正直、詳しく聞く気にはなれなかった。

「……それで、騒ぎに気づいた親父が止めに来たんだな?」

「いいえ」

 重衡は首を振った。

「宗盛兄上が来ました」

 そういえば、宗盛も居たようなことを清盛が言っていたか。

 父の後妻である時子の長男で、現在18歳になる。重盛にとっては、腹違いの弟の1人だ。

勝手気侭(きまま)な知盛や、天真爛漫(てんしんらんまん)な重衡とは違い、真面目で、責任感の強い男である。

非常に家族思いな性格でもあり、さらに「長男」としての自覚がそうさせるのか、下の妹弟たちに対してはいささか過保護だ。

騒ぎに気づいて現れた宗盛は、状況を一目見て顔色を変えた。

「これは、いったいどうしたことだ」

 徳子は両膝をついて泣きじゃくっており、知盛の顔には殴られた跡がある。何か只事でないことが起きたのは一目瞭然。

「知盛、その顔はどうした?」

 兄に問われて、知盛が口をひらきかける。

とっさに、重衡は姉をかばっていた。

「知盛兄上が悪いのです。姉上にひどいことを――」

「…………」

 宗盛の眉間にしわが寄る。泣いている徳子と、無表情の知盛を見比べて、どちらが被害者であるか、結論付けたらしい。

「何があったのかは知らぬが……知盛。まずは、徳子に詫びよ」

 知盛は無言で眉をひそめた。

「どうした。詫びよ、と申しておる」

「…………」

 本当は、一方的に詫びなければならない状況ではなかった。

 言ってみれば誤解なのだが……。兄の命令に、知盛は逆らわなかった。言われた通り、徳子に頭を下げる。

「申し訳ございません、姉上」

 キッと徳子が顔を上げる。再び、怒りに火がついたようだった。

「……何よ、涼しい顔して……人のこと見下して……」

 涙混じりのせいで、その声は聞き取りにくい。

「あんたの顔なんか、もう見たくない……どこか行っちゃって……」

「……姉上のお望みとあらば、そのように」

 くるりと背を向け、立ち去ろうとする知盛。それを、宗盛が呼び止めた。

「待て、知盛」

「……何か」

 知盛は首だけ振り返る。宗盛は険しい目付きで、弟の顔を見下ろした。

「私が詫びよ、と命じた意味がわかっていないようだな」

「?」

「実の姉がこれほど傷つき泣いているというのに、おまえは何も感じぬのか?徳子にすまぬとは思わぬのか」

「…………」

 しばし無言で見つめ合う、兄と弟。やがて、目をそらしたのは、宗盛の方だった。

「わからぬ、か……。おまえに人の心は理解できぬのだな」

 ふっと肩を落とし、疲れたようなため息を漏らす。

「……何を仰りたいのでしょうか?宗盛兄上」

 知盛が言う。その目は少しずつだが、不穏な光をただよわせ始めている。

 宗盛は答えなかった。いや、答えの代わりに、謎めいた言葉を口にした。

「おまえはまるで、あの花のようだな」

 その目は、誰も居ない庭を――生垣に咲く、白い空木(うつぎ)の花を見つめている。

「人に憂いをもたらす花だ。美しいが、空虚な花だ……」

 何を言っているのか、重衡にはわからなかった。

 知盛にはわかったのだろうか。一瞬、その頬がぴくりと揺れた。

――その時になってようやく、清盛が様子を見にやってきた。

「父上のご命令で、私は姉上をお部屋に連れて行きました」

 徳子が落ち着くまで、重衡はそばに付き添っていた。

だから、その後、父や兄たちがどうしていたのかはわからない。ただ、夜になって自室に戻ろうした時、知盛が邸を出て行くところを偶然、見たのだという。

「止めようとは思わなかったのか?」

重盛が言うと、重衡は不満そうに口を尖らせた。

「兄上は、私の言葉など聞いてくださいません」

 余計なことを言うな、と冷たい目でひとにらみされて、黙って見送るしかなかったらしい。

「兄上は、いつお戻りになるのですか?」

じっとこちらの顔を見上げる重衡。その真剣なまなざしに、重盛は意外な気がした。

「あいつに戻ってきてほしいのか?」

 けんかばかりしていても、やはり兄のことは心配か。

重衡はいっそう不満げな顔をした。

「そんなことはありません。兄上はひどい方です。姉上を泣かせても平気な顔をしているし、私にはいつも意地悪です。ずっと帰ってこなかったとしても構いません」

 ずっと小松殿に居られたのでは、今度は重盛の方が構う。

「私はただ、兄上が沙羅を連れていってしまったのでつまらないだけです」

 知盛の話では、白猫の方がついてきたらしい。そう教えてやったら、重衡は()くだろうか。

「とにかく、おまえが知ってるのはそれだけなんだな?」

 うなずく重衡。

「……そうか」

 重盛は軽く腕組みをして唸った。

 どうやら思った以上に、話は複雑らしい――。




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