平家の鬼子 〜空木の章〜

 

第二話 入内(じゅだい)憂鬱(ゆううつ) (1)

 

 (たいらの)(きよ)(もり)の邸は、六波羅の北西にある。

重盛の小松殿に対し、(いずみ)殿(どの)と呼ばれている。……というか、そちらも本来、重盛の邸である。

 清盛は数年前に出家(しゅっけ)して、政界を引退したことになっている。その際、家人(けにん)も邸も、全て重盛に引き継がれた。

……あくまで表向きの話だが。

平家一門の権勢は、いまや時の帝さえ(しの)ぐ勢いである。

清盛が朝廷の要職から退いたのは、しがらみのない自由な立場から、その力を存分に振るうため。

平家一門の棟梁が今も清盛であることは周知の事実だし、重盛自身、父から正式に一門を継いだ覚えはない。

 清盛は庭に居た。魚にエサでもやっていたのか、池の淵にたたずんでいる。

 遠目に見ると、細い背中だ。せいぜい中肉中背――武士としては、いっそ華奢(きゃしゃ)なくらいだろう。

顔立ちも、若い頃は優男と形容してもいいほどだった。

しかし実の息子が言うのも何だが、清盛にはある種、神がかり的な存在感があった。

見る者をたやすく屈服させるその眼力(がんりき)は、(よわい)50を過ぎても、衰えを感じさせない。

 重盛の顔を見ると、かすかに口角を持ち上げて言った。

「なんじゃ、珍しいの。何か用か」

 おもしろがっているような目――重盛がここに来た理由など、とうにお見通しなのだろう。

「用か、じゃねえよ。知盛の奴、何があったんだ?」

「あれが、どうした?」

 まだとぼけている。清盛のこういう話し方には慣れているが、いちいち付き合うのは面倒だ。

「どうしたのかはこっちが聞いてんだって。しばらく俺の所に居る、とか言ってるぞ」

 清盛は考え込むような目をした。

「……そうか。あれは、そなたの所に行ったのか」

「あ?」

 意外なセリフに、重盛は眉をひそめた。

「何だよ、知らなかったのか?」

「姿が見えなんだゆえ、どこに居るのか、とは思っておったがの」

 それはまた、えらくのん気な話である。

「姿が見えなかったら、普通は探すだろ」

 親ならば当然である。しかし清盛は慌てず騒がず、

「おらぬのに気づいたのは、朝になってからのことだからの。重衡(しげひら)の話では、昨夜のうちに出て行ったらしいが」

「おいおい!?俺の邸に来たのは今朝だぞ?」

「ならば、どこぞで夜明かししたのであろうな」

清盛はやはり悠然と構えている。

「ちょっと待て……」

 重盛は頭を抱えた。どうにも、父の態度が()せない。

「何がどうなってんだよ。いや、その前に……義母上(ははうえ)はどうしてんだ?」

知盛が急に姿を消したりすれば、さぞ心配しているに違いない。

 しかし、清盛の答えはさらに意外なものだった。

「時子はおらぬよ。西八条の邸に行っておる」

「はあ?」

徳子(とくこ)癇癪(かんしゃく)を起こしおっての。落ち着くまで、しばらくあちらで様子を見ると言っておる」

 出てきた名前に、重盛はようやく、少しだけ話が見えてきた。

 徳子は重盛の妹だ。清盛と時子夫婦の間に生まれた、唯一の娘でもある。

 今年17歳という娘盛(むすめざか)りで、まだ内々にではあるが、いずれ(きん)上帝(じょうてい)(きさき)となることが決まっている。

 天皇の后。

 もしも皇子が生まれ、その子が次の帝にでもなれば、徳子は国母の地位を手にすることになる。

清盛にとっては、自分の孫が帝になる可能性が出てくるわけだ。徳子の入内が、平家一門にもたらすものは計り知れない。

 しかし、である。

 2人の婚姻は、当人同士の希望で決まったわけではない。清盛と、帝の父である後白河院との間で取り決められたことだ。

 もちろん、重盛も話に絡んでいる。一門の栄華栄達のため、妹を利用しようとしている。その自覚はある。

 徳子は自尊心の強い娘だ。入内の話にも、表向きは動揺を見せなかった。いや、見せまいとしていた。

 心の内は、繊細で、傷つきやすい娘だ。仮に不満があったとしても、父や兄の取り決めに逆らうほどの強さはない。

 自分が后になることを、本心ではどう思っているのか――正直、重盛にはわからない。

 ただ、このところ、徳子が不安定になっているのは事実だ。

「知盛の奴、徳子とけんかでもしたのか?」

 清盛はあっさりうなずいた。

(むね)(もり)重衡(しげひら)の話では、そうらしいの」

 その場に居たのは、兄弟だけだったらしい。清盛が騒ぎに気づいて様子を見に行ってみると、徳子は泣き叫んで手がつけられない状態だったという。

「で?何があったんだ?」

清盛はこちらの問いには答えず、

「しばらく放っておけ」

とだけ言った。

此度(こたび)はそなたの出る幕ではない。黙って見ておればよい」

 勝手な言い草には、微妙に腹が立った。 

「放っておけ、って、知盛は俺の邸に居るんだがな」

「それがどうした。なんぞ不都合でもあると言うか?」

「俺も暇じゃねえんだよ」

 そう言うと、清盛はなぜかにやにやしながら、

「迷惑そうな顔をしおって。実は嬉しいのではないか」

「は?」

「あの知盛が、そなたのもとに行った――兄として頼ってくれたと思えば、まんざらでもなかろう?」

「……なに、わけのわからねえこと言ってんだ」

 重盛の抗議を無視して、清盛はまた池の方に目をやった。

「まあ、単にそなたの所が気安いだけかもしれんがの。黙って姿を消されるよりはよかろう。しばらくは、あれの好きなようにさせておけばよい」

「だから、ちょっと待てって」

 重盛は頭をかいた。

「まだ話が見えねえぞ。だいたい、あの知盛に限って、徳子とけんかしたくらいで家出なんかするか?」

 さてな、と清盛はそっけなくつぶやいた。

「徳子に何か言われたか、あれが言ったのか。……どちらにせよ、知盛が居ると、徳子は落ち着かぬでな。しばらくの間、顔を見せるな、と言ったのよ」

 あ?と重盛は剣呑(けんのん)な声を上げた。

「あんたが知盛を追い出したのか?」

 父の命令だというなら合点はいく。しかし、(きょう)(だい)げんかの仲裁にしては、またえらく乱暴な手段を取ったものだ。

「出て行け、などとは言っておらぬよ。顔を見せるな、と言っただけよ。邸のどこかに居るのかと思えば、そなたの所とはのう」

「おい――」

 怒りの気配に気づいたのだろう。清盛が振り返る。おもしろがるような笑みは消え、ひやりと冷たいまなざしがそこにあった。

「まだわからぬのか。此度はそなたの出る幕ではない。黙って見ておれ――三度は言わぬぞ」

 話は終わりだとばかりに、こちらに背を向ける。

 そんな言葉で、納得できるはずもない。……が、これ以上、父と話しても時間の無駄だということはよくわかった。

「ああ、そうかい。わかったよ」

 捨てゼリフを残して立ち去ろうとすると、清盛の声だけが後から追いかけてきた。

「弟のことを可愛がるのはよい。だが、構い過ぎるでないぞ」

 どういう意味だ、それは。

 振り向いてにらんでやったが、清盛はこちらを見てもいない。

(何だってんだ、くそっ――)

父と別れて廊下を引き返しながら、重盛は心中穏やかでなかった。

 力任せに壁を叩きつけようとして、やめる。物に当たるなど、子供でもあるまいし、だ。

 ふう、とひとつ息を吐いて気を鎮める。――その時、御簾(みす)の影から、ひそめた声が呼びかけてきた。

「重盛兄上……」

 振り向けば、そこには知盛によく似た顔があった。

重衡だった。知盛の1つ下の弟である。

髪や瞳の色、顔立ちや体格までも兄とそっくりだが、受ける印象はだいぶ違う。

年齢にふさわしくない、冷めた空気をただよわせた兄に対して、重衡の方には年相応の子供らしさ、素直さが備わっている。……もっとも、その子供らしさには多少の計算もあるのだけど。

 周囲に誰も居ないのを確かめてから、重衡は近付いてきた。

「知盛兄上は、重盛兄上の所に居らっしゃるのですか?」

「ああ、まあな」

 重盛がうなずくと、重衡はホッとしたような、心配そうな、何とも複雑な表情を浮かべた。

「いったい何があった?親父は放っとけ、としか言わねえし」

「……知盛兄上が悪いのです」

重衡は言った。何やら元気のない声だった。

「ともかくおまえは、事情を話す気があるってことだよな?」

 うなずく重衡。

「よし。なら、まずは場所を変えるぞ」

 立ち話もなんだ。ひとまず重衡の部屋に移動し、話を聞くことにした。




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