平家の鬼子 〜空木(うつぎ)の章〜

 

第一話 小松(こまつ)殿(どの)の朝 (1)

 

 平重盛(たいらのしげもり)の邸宅は、平家一門の拠点・六波(ろくは)()の東にある。

 地名の小松から名を取って、「小松殿」と呼ばれている。季節を問わず緑に囲まれた風情のある邸で、重盛はここで家族と共に暮らしている。

 小松殿の朝はにぎやかだ。

 何しろ腕白盛(わんぱくざか)りの子供が、男ばかり5人。さらに昨年生まれたばかりの乳飲み子も居る。にぎやかでないはずがない。

 おかげで重盛の朝も早い。まだ夜も明けやらぬうちに寝床から起き出して、剣や弓の稽古に励むのを日課にしている。

 だがそれは生来の日課ではない。若い頃の重盛は朝に弱く、昼過ぎまで惰眠を貪っていることも珍しくなかった。今でもたまに寝過ごすことはある。

 すると、どうなるか。

 ダダダダダダ……と廊下を走る音。寝所の戸が勢いよく開いた、かと思えば、子供が2人、飛び込んできた。

「待て、(きよ)(つね)!俺(ふで)返せ!」

 次男の(すけ)(もり)と、三男の(きよ)(つね)だった。朝っぱらから、兄弟げんからしい。

「ちゃんと『貸してください』って言ったじゃないか!資盛兄上のけち!」

「俺は貸してやるなんて言ってない!返せ!それはおじいさまにもらった大切な筆なんだぞ!」

 寝ている親をまたぐ、飛び越える、あげくに踏む。けして広いとは言えない部屋の中で、上に下にの大騒ぎである。

「おまえら、いいかげんに……」

 重盛がむくりと身を起こした時には、2人は突風のように部屋から出ていった後だった。

「ったく……」

 重盛は寝癖のついた頭をぼりぼりかいた。

 邸のどこかから、火がついたように赤子の泣く声がする。

今の騒ぎで目を覚ましてしまったのだろう。赤子の世話をするはずの乳母は、妻が実家から連れてきた雑仕女(ぞうしめ)で、もう十年以上、邸に住み込んでいる。気心は知れているが、気が向かない限り働かない女でもある。

案の定、いくら赤子が泣いても、起き出す気配がない。

 妻はどうしているのか――おそらく、朝餉(あさげ)の支度か、他の子供らの世話で手が離せないのだ。

 要は、自分が動くしかない。

ため息をつきながら、重盛は寝床から起き出した。これだから、のん気に朝寝などしていられないのだ。

 泣きじゃくる我が子をあやし、どうにか泣き止ませた頃、妻が呼びに来た。

「重盛殿、朝餉の支度ができました」

「あー、今行く」

 妻――経子(つねこ)は、寝起きの重盛をじっと見上げてきた。

 ほっそりした体つき、小顔で小柄、長く艶やかな黒髪、と見た目からして貴族生まれの貴族育ちだ。

 しかし、吹けば飛ぶようなその女が、実は恐ろしく肝が太い、ということを重盛は知っている。(めと)ったその日に、思い知らされた。

 妻との馴れ初めは――まあ、語ると長くなるので、今は置くとして。

「きちんと支度をしてから来てくださいましね、重盛殿」

 そう言う経子は、朝からきっちりと身支度を整え、化粧まで終えている。年齢は重盛と同じ、30代半ば。ただ、生まれつき幼げな顔立ちをしているため、実年齢よりも若く見える。

「皆、もうそろっておりますから、お早く」

「わかってるよ」

と重盛は答えた。

 経子は礼儀にうるさい。見た目と違い、子供らのしつけにも厳しい。

 例えば、皆が顔をそろえる朝餉の席に、だらしのない姿で現れようものなら、食事を取り上げられる。それは重盛とて例外ではない。

 ようやく起き出してきた乳母に赤子の世話を任せ、重盛は自室に戻った。

着替えをすませて廊下に出る。

ふと、涼しげな微風が、重盛の(ほお)をなでていった。

――いい天気だ。

 季節は草木の萌える初夏。小松殿の緑が、いっそう鮮やかだ。

 重盛がしばし足を止め、景色に見入っていると、同じように立ち尽くしている小さな背中に気づいた。

(ゆき)(もり)?」

「あ……義父上(ちちうえ)

 名前を呼ばれて振り返る、華奢(きゃしゃ)な赤毛の子供。

「こんな所で何やってんだ?」

 経子は、もうみんなそろっていると言ったはずだが……まさか、朝食を抜かれたわけでもあるまい。この行盛に限って、経子を怒らせるようないたずらをするとは思えない。

「庭のお花、キレイだったから……」

そう言って行盛が指差した方を見やれば、生垣(いけがき)空木(うつぎ)が、真っ白な五弁の花を咲かせていた。

「……キレイだったから、義父上(ちちうえ)や、みんなにも見せたいと思ってた」

「そっか。ありがとうな」

 ぐりぐりと赤毛の頭をなでてやる。行盛は少し恥ずかしそうに笑った。

父と呼ばせているが、実の子ではない。

 早世した弟・(もと)(もり)の遺児で、重盛が引き取り、実の子たちと共に育ててきた。今年9つになる。

 その境遇のせいもあるのだろうか。兄弟の中ではおとなしく、目立たない方だ。

 おっとりしている、と言った方がいいかもしれない。

武芸よりも和歌や漢詩を好み、古歌に詠まれた草花を眺めながら、終日、物思いにふけっているのが好きな子供だった。

「っと、こうしてる場合じゃねえな。行くか。経子を待たすと怖ぇから」

行盛はこっくりうなずいた。それから、「あ……」と何かに気づいたような顔をする。

「義父上、行ったらびっくりするかも……」

「?」

「みんなもびっくりしてたから……」

「なんだよ。何かあったか?」

「えと……」

 行盛は基本、言葉を選びながら、ゆっくりと話す。重盛もそれは心得ているから、せかすでもなく、耳を傾ける。

しかし行盛が次の言葉を選び出すより、家族が食事を取る広間に着く方が早かった。

 食事の膳が人数分並べられ、子供たちも全員、顔をそろえている。

 手前に居るのが長男の(これ)(もり)。現在14歳。そろそろ子供っぽさも抜けて、だいぶ大人びてきた。

つややかな栗色の巻き毛、色白で細身。その外見は、武士よりも貴族の血を色濃く示している。

平家一門は皇族を祖に持ち、武門の家として栄えつつ、京の貴族の家々とも交わってきた。だから重盛のように、見た目からして武士、という者が居るかと思えば、維盛のような、貴公子然とした風貌の者も居る。

その見た目通り、維盛は武芸をやや苦手としている代わりに、舞や楽の道には優れた才能を示す。そちらの方面に疎い重盛としては、大いに頼もしいところだ。

 性格はいたって温厚。弟たちにも優しい。

維盛の向こう隣りに、先ほど追いかけっこをしていた次男の(すけ)(もり)が居る。

維盛より3つ下の11歳。見た目は兄とよく似ている。

ただ、資盛の場合は、外見と中身が相反している。舞や楽より、武芸の稽古に熱心だ。

また、兄と違って気が強く、こうと決めると頑なに己を曲げないところがある。その気性のせいで、昨年、大変な事件に巻き込まれたが、それも語ると長くなるので今は置く。

 三男の(きよ)(つね)。顔立ちは経子に、くせっ毛の黒髪は多分、重盛に似た。

 まだまだ甘ったれた子供だが、頭の出来は悪くない。5人兄弟のちょうど真ん中だからか、空気を読む能力にも長けている。

 ただし、すぐ上の資盛とだけは、いつもけんかばかりしている。年が近いせいか、性格の問題か。

その向こうに、今年8歳になった四男の(あり)(もり)

兄弟の中では、最も重盛に似ている――と、経子は言う。

あくまで外見の話だ。中身の方は、行盛とはまた違った意味でおっとりしている。

正確には、ぼんやりしている。普通に道を歩いていても塀にぶつかる。放っておくと、1日中、部屋の中から動かない。

それでいて、妙に勘の鋭いところもあったりするから、油断できない奴だ。

『おはようございます、父上』

 重盛の到着に、全員が頭を下げる。この辺りは、経子のしつけの賜物(たまもの)だ。

「ああ、待たせたな――」

と言いかけて、重盛の声が途切れた。

 見下ろす中に、明らかに色の違う――銀髪の頭が混じっていたからだ。

「おはようございます、重盛兄上」

 驚く重盛を平然と見返す、紫の瞳。

「知盛っ!?おまえ、何やってんだ!?

 本来、この場に居るはずのない弟の知盛が、なぜか息子らと並んで座っていた。

 年齢は親子ほども離れているが、弟である。全く欠片(かけら)も似てはいないが、とにかく弟である。

 京の民は、基本的に黒髪黒目。

ただ、これには例外がある。生まれつき色素の薄い体質の者が、(まれ)に居るのだ。

この場では、維盛と資盛が当てはまる。

父の清盛も、出家して髪を剃る前は見事な赤毛だった。珍しいが、別にどうということもない。

ただ、知盛の場合は――。

 銀糸の髪、白い肌、紫苑の瞳と、やや極端な異貌の持ち主だ。しかも並外れた美形ときているから、初めてその姿を見る者は、まず驚きに言葉を失う。

 無論、重盛が驚いたのはそんな理由ではない。

 朝っぱらから、何の連絡もなく知盛が押しかけてくるなど、これまで1度もなかったからだ。

「重盛殿、お行儀が悪うございますよ」

 経子が言った。

「お食事の席で、大きなお声を上げないでくださいませ」

「いや、けど……なんでこいつ……」

「知盛殿は、今朝早くこちらに見えられたのですわ」

 経子は落ち着き払っている。当の知盛も、

「しばらくの間、お世話になります、兄上」

と、既に決まったことであるかのように言ってくる。

「ちょっと待て。なんでおまえがここに居るんだ?」

 重盛の問いには答えず、知盛は軽く肩などすくめて見せた。あいかわらず人を食ったような、兄を兄とも思わぬ態度だ。

「おい、こら。ふざけんなよ、ちゃんと答えろ」

「重盛殿」

 経子が止めに入る。

「まずはお食事に致しましょう。お話はその後で」

「いや、けどな……」

「どうぞ召し上がって。知盛殿のお口に合うといいのですけど――」

「恐縮でございます、義姉上(あねうえ)

 知盛が頭を下げる。

 重盛としては、この場ですぐに事情を聞きたいところだったが……経子に逆らっても仕方ない、と思い直した。とりあえず自分の席に着こうとして、そこに先客が居ることに気づく。

 雪のように真っ白な猫が1匹、軽く首をもたげてこちらを見上げている。

 知盛が可愛がっている猫だ。名を、沙羅(さら)という。

「おい。こいつも連れてきたのかよ」

 知盛はすまして答えた。

「連れてきたのではありません。ついてきました」

「どっちでもいい。そこをどけ」

 白猫はふいとそっぽを向いた。人を食ったところは、飼い主とよく似ている。

 追い払おうとすると、誰かが後ろから重盛の袖を引いてきた。

「義父上……猫、いじめたらかわいそう……」

行盛だった。すがるような目でじっと見つめられて、重盛も多少ひるんだ。

「父上、僕も猫欲しい。買って」

 清経が反対の袖を引っ張ってくる。

「わがままを言うな!」

と弟を叱りつつ、ちらちらと白猫の様子に目が行っている資盛。

 いつもはぼんやりの有盛も興味を引かれたようだ。膳の前に座ったまま、うずうずしている。

 維盛など、白猫の美しさに、言葉もなく見惚れている始末。

「……別にいいけどな。俺はどこで朝飯を食えばいいんだ?」

「来い、沙羅」

 知盛が呼ぶと、白猫が動いた。さっと音もなく立ち上がり、知盛のそばに腰を下ろす。

 尊敬と羨望のまなざしが知盛に集まった。

 やれやれと思いつつ、重盛は自分の席に腰を下ろした。まずは朝飯を食ってから、ゆっくり事情を問いただすとしよう。




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