平家の鬼子 後日談

 

 (もの)()の毒を受けた(とも)(もり)は、その後、高熱を出し、3日間寝込むことになった。

 もっと幼い頃から風邪すらひいたことがない奴だけに、重盛(しげもり)は少しばかり心配だったが。

 それでも4日目には熱が下がり、5日目には(とこ)から起きられるようになったと聞いて、小雨の降る中、邸まで会いに行った。

 時子が出迎えてくれた。

「ようこそいらっしゃいました、重盛殿」

 重盛は恐縮して頭を下げた。

「すみません。もうちょっと早く来るつもりだったんですが――」

 実際、そうすべきだったろう。ただ、今回の件では、重盛自身も多少責任を感じるところがあったので、顔を出しづらかったのだ。

 事の始まりは重衡(しげひら)が邸を抜け出したことだが、そのきっかけを作ったのは、重盛の言いつけ、かもしれない。

「重盛殿。どうかそのようなお顔をなさらないでください」

 事情を知っても、時子は重盛を責めなかった。いつものように優しくほほえんで、

「さあ、どうぞ。知盛殿に会ってくださいませ。今朝は退屈しているようでしたから」

 もう1度、時子に頭を下げて、重盛は邸の奥に向かった。

 知盛は(とこ)に寝転んでいた。具合が悪いのか、いつもの朝寝か、判断が難しい。足元には、例によって白猫が丸くなっている。

「退屈、か」

 時子の言葉を思い出しながら、重盛は(ゆか)にあぐらをかいた。

「退屈です」

 知盛が繰り返す。重盛は深々と嘆息した。

「反省も後悔もしてない、って顔だな」

「……しております」

「うん?」

 意外なセリフに、重盛は眉をひそめた。見れば、知盛は珍しくバツの悪そうな表情を浮かべている。

「母上にご心配をおかけしましたので……」

 ははあ、と重盛は察した。

「さては、泣かれたんだろ」

「…………」

 この3日、時子は寝ずの看病をしていたと聞く。

 無茶はやめてくれ、もっと自分を大切にしてほしいと、涙ながらに懇願されたか。

 さすがの知盛も、母の涙はこたえたと見えるが、

「別に、今度のことだけに限った話じゃないだろ」

と重盛は言った。

義母上(ははうえ)がいつもどれだけ、おまえの心配をしてると思ってるんだ?」

 知盛はふてくされたようにそっぽを向いてしまった。

 少し説教が必要だな、と重盛は思った。まあ、もともと見舞いがてら説教に来たのであるが。

「黙ってないで答えろ。それと、具合が悪いわけじゃないなら、ちゃんと起きろ」

 知盛はのろのろと起き上がり、(とこ)の上で座り直した。

「だいたいの事情は、重衡から聞いたよ」

 あの日、兄との諍いがもとで邸を抜け出した重衡は、運悪く物の怪の牛車に遭遇し、かどわかされた。

 有無を言わさず牛車に引き込まれ、そのまま気を失ってしまったらしい。

気がつけば、見知らぬ邸の中に1人。そこになぜか、知盛が助けに現れたのだという。

 おそらく、弟の後を追って邸を出た知盛は、重衡が怪しい牛車に連れ去られるのを偶然、見たのだろう。

 そして牛車の後をつけて例の邸にたどり着き、隙を突いて忍び込んだわけだ。

「途中で助けを呼ぼうとは思わなかったのか?」

 重衡がさらわれるのを見た時か、あるいは、牛車の行き着く先を見た時か――機会はあったはずだ。

「なんで、1人で物の怪退治なんてしようと考えた?」

 重盛はひたと弟の目を見据えた。

「……退屈しておりましたので」

それが、知盛の答えだった。さすがに、重盛はあきれ果てた。

「退屈しのぎで死ぬ目にあってどうすんだよ」

「…………」

「おまえ、本当に反省してるんだろうな」

「しております」

知盛は涼しい顔で繰り返す。

「それに――退屈が過ぎると死ぬこともある、と以前、兄上が申されましたが」

 一瞬、重盛は虚を突かれた。

 確かに、そう言った。ただ、知盛がちゃんと聞いていたとは思わなかった。

「……あれは、そういう意味じゃない。あの時、俺が言いたかったのは、生きがいみたいなもんを見つけろってことで……そのために自分の命を危険にさらしてもいい、とは言ってないぞ」

 知盛は冷ややかに目を細めた。

「その生きがいとやらには、命をかけるほどの価値もない、と?」

 重盛はさらに冷たく、弟の目を見返した。

「屁理屈こねるな、馬鹿。おまえがやったことは、ただ義母上に心配かけただけだろうが」

 時子のことを持ち出すと、知盛は不機嫌そうに口をつぐんだ。

(ちょっと卑怯だったか……)

と重盛は反省した。

 知盛の心配をしているのは、別に時子だけではない。自分も同じだ。ただ、それをはっきり口にするのは、いささか照れくさい。

 軽く咳払いして、話を続ける。

「まあ、重衡の奴は一応、感謝してたよ。おまえが守ってくれた、ってな」

 退屈しのぎのついでだったのかもしれないが、結果的に弟を助けたのは事実。いつもはとことん自分に無関心な兄だけに、重衡は嬉しかったようだ。

「ガキのくせに物の怪と戦おうなんざ、本当ならみっちり叱ってやるとこだが……あいつを守ったことだけは誉めてやる。……本当に、よくやったな」

「……重盛兄上の言いつけでしたので」

 知盛は答えた。他に理由はないと言いたげである。本心か、ひねくれているだけか、果たしてどちらだろうと重盛は思った。

「あのな。全然懲りてないようだから言っとくが――今回はたまたま間に合ったんだからな。そういつもいつも、俺や親父が助けに来ると思うなよ」

「重盛兄上は、なぜあの場所に?」

 知盛が聞いてきた。

「ん?……ああ、それか……」

 まあ、偶然居合わせたというのはありえない。あの夜、なぜ2人のもとに駆けつけることができたのか。重盛は話してやった。

2人の姿が見えないと、時子から知らせを受けて――はじめは大して心配もしなかった。2人が邸を抜け出すのはよくあることだからだ。ひとまず手の空いている武士たちに命じて、辺りを探させた。

しかし、時間がたっても、2人は見つからない。もしや何事かがあったのではないかと思い始めた時、部下の1人が気になる話を聞いてきた。

 銀髪の子供が牛車に引き込まれるのを、見ていた人間が居る、と。

牛車は女車(おんなぐるま)で、供もおらず、それどころか明かりもつけていなかったという。

 子供をさらう物の怪の噂は、重盛も耳にしていた。

 無論、2人がさらわれたと決めるには根拠が乏しかったが、他に手がかりもない。

 噂のもとになった女官の身元は、その気になればすぐに調べられる。邸のある場所を突き止め、清盛や武士たちと共に馬を走らせたところ、当たりだった――と、いうわけだ。

「見ていた人間、ですか」

 知盛は不審そうな目をした。自分はそんな人間を見ていない、と言いたげである。

「俺も会ってねえけどな。いつのまにか居なくなっちまったらしいから」

 話を聞いてきた部下も、相手の顔は覚えていないと言った。

 ただ、女であったと。夜目にも目立つ、真っ白な着物の――。

「……そうですか」

知盛の目から、不審の色が消えた。その手が、寝ている白猫をそっとなでる。

「…………」

重盛は白猫を見下ろした。

 白猫はすやすやと寝息をたてている。尾だけが、まるで別の生き物のように、たまにぴくりとする。

 この白猫が六波羅にやってきたのは、知盛が生まれて、少し経った頃。その時、既に仔猫ではなかった。

 では何歳なのか、それは誰にもわからない。清盛がどこかの宴の席で、見知らぬ客から譲り受けたらしい。

 何十年も生きた猫は、(ねこ)(また)とかいう(あやかし)になると聞く。

(まさか……な)

 白猫は眠り続け、知盛も黙っている。

 しばし、雨の音だけが室内を満たした。

「春の雨、か……」

 重盛はつぶやいた。

 つと、知盛が首を巡らせる。猫のような仕草だと、重盛は思った。

「雨……」

「ん?」

「雨が、降っておりましたか」

 じっと外の方を見ている。その横顔に、重盛はなんとなく引っかかるものを覚えた。

「さっきからずっと降ってるぞ。雨がどうかしたか?」

「いえ……別に」

「別にってこたぁねえな。おまえ今、何か思い出したみたいな顔したろ」

 知盛は否定しなかった。

「ですが、(さじ)にございます」

「いいから言ってみろ」

 そういえば、と重盛は気づいた。今日はまだ、重衡の姿を見ていない。あの日以来、知盛の回復を願いつつ、仕返しに脅えていた――。

 悪い予想に限って外れないものだ。

 知盛は軽く肩をすくめて、こう言った。

「重衡を、屋根の上にくくったままでした」

(終)      




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