平家の鬼子 三、(もの)()(やかた)(3)

 

 弟2人を乗せた馬が京の町に引き返していくのを見届けてから、重盛は背後を振り向いた。

 まばらに立ち並ぶ木々の向こうに、古びた邸の屋根がひっそりとのぞいている。

「さてと。ちょっくら行ってくるぜ」

 重盛はコキコキと手首を鳴らし、ついでに肩も回した。

「そうじゃな。行くとするか」

 着物の袖をまくり上げながら、清盛がうなずく。

「……って、一緒に来るのかよ?いい年して、無理すんなって」

 ハッ、と清盛が笑う。

「そなたこそいい年であろう。太刀の腕は衰えていまいな?」

「言ってくれるな」

 軽口を返しつつ、重盛は気づいていた。一見、落ち着いて見える父の瞳が、実は底冷えするような怒りを(たた)えていることに。

「京に現れるという物の怪の噂、放ってはおけぬと思っておった。その上、息子たちが世話になったのじゃ。親として、礼の1つもせねばなるまい?」

「その点は同感だな。じゃあ……行くとしますか、父上」

 重盛は口調をあらためて言った。

「うむ。参ろう」

 2人並んで歩き出す。

 邸の門には、まるでひとけがなく、重盛らの侵入を阻む物もなかった。

 それもそのはず。邸の中は大騒ぎになっていたのだ。

 白髪の女房たちが、キイキイと鼠のような声を上げながら辺りを駆け回り、家具や着物を手当たり次第にかき集めている。

「……引越しか?」

「どうも、そのようじゃのう」

 重盛のつぶやきに、清盛が返す。

 その声で、緋色の着物をまとった若い女が、こちらに気づいた。

武士(もののふ)に坊主とな。うぬら、何者じゃ!」

 美しい顔を歪めて詰問する。

「別に、名乗るほどのもんじゃないが……身内が世話になったからな。一言、礼を言いに来た」

世間話のように言いながら、重盛は大太刀(おおだち)を抜き放った。

身の丈ほどもある片刃の太刀だ。厚みも重さも、並の刀とは比較にならない。当然、その威力も。

「身内……?まさか貴様ら、平家一門の……!」

 女の顔がさらに歪んだ。

 その瞳に宿るのは、怒りと憎しみ、そして根深い怨嗟(えんさ)の色。

「栄華を(むさぼ)り、富を(かす)め取る、傲慢な一族めが!貴様らさえおらねば、このように落ちぶれて暮らすことはなかったものを……!」

「傲慢てのは、別に否定しねえよ」

 重盛は言った。

「恨むのも勝手だ。けどな。それは大人相手だけにしとけ」

 わずかに腰を落とし、大太刀を正眼に構える。両の瞳が、獣のような鋭い光を帯びる。

「子供に手を出すような奴の話は、聞いてやる価値もねえな」

「おのれ!調伏されてなるものか!」

 女が叫ぶ。

 次に何が起こるか、重盛には予想できた。多分、清盛もそうだろう。

 思った通り。

 物の怪が正体を現す。つまり、変身した。

 顔が長くのびて鼻先が尖り、逆に手足は縮んで、剛毛に覆われる。着物の下から、長い鞭のような尾が1本。

 大鼠の化け物だった。

 見れば、女だけではなく、白髪の女房たちも同様の変身を遂げている。

「芸がないのう。もっと気の利いた姿になれぬものか」

 清盛がつぶやく。

 しかし重盛は、物の怪の姿に目を奪われていた。

正確には、その首筋に刻まれた真新しい刀傷に。

 おそらくは知盛がつけたものだろう。鋭く、迷いのない太刀筋だ――相手が人間ならば、確実に仕留めていたはず。

(末恐ろしい奴)

 心から、そう思う。

 キィキィと耳障りな鳴き声を上げ、大鼠が襲いかかってくる。

 ――遅い。

 気合一閃、重盛は手にした大太刀を振るった。

「おらあっ!!

刀身が唸りを上げ、風を裂き、床を砕く。

 それは一刀のもとに、大鼠の首を両断していた。

「オン・ソラソバテイ・エイ・ソワカ……」

 清盛の呪が響く。

(いつく)(しま)の祭神。我ら一門の守護者よ。不浄の者どもに、裁きの(いかずち)を!」

 両手で結んだ印から真っ白な雷光がほとばしり、元は女房だった鼠たちを焼き払う。

 戦いはほんの短時間で終わった。

 後に残ったものは――。

「これが物の怪の正体、か……」

 大鼠と化した女は、いつのまにか元の姿に戻っていた。

しかしそれは、もはや女であったのかどうかさえわからない、干からびた亡骸だった。

 一門との間に何やら確執があったようだが、重盛には興味がない。

「こちらは野鼠のようじゃのう」

 清盛が言う。

 女房たちの方は、人の大きさだったものが縮んで、ただの鼠になっていた。

「さてと。どうする?」

 大太刀を肩にかつぎ、重盛は静まり返った邸の中を見回した。

「どうもこうも。もはや用は――

 清盛が言いかけた時、部屋の隅で気配が動いた。

 とっさに武器を構えた重盛だったが、そこに居たのは見覚えのある白猫である。

「おまえ!帰ったんじゃなかったのか?」

 確か知盛らと行くのを見た……ような。

 白猫は聞いていない様子だった。それよりも、野鼠の死体の方に興味を引かれたらしい。とことこと近付いてくると、長い尾をくわえ、3匹まとめて器用に持ち上げる。

「食うのか?」

 白猫の目がきらりと光る。一瞬、重盛は背筋が寒くなった。

 野鼠をぶら下げたまま、白猫は衝立(ついたて)の陰に姿を消した。

「何者なんだ、あいつ……」

「さてな。何者でもよかろう」

 そう言う清盛も、何かしら思うところはあるようだった。

「確かなのは、あれが知盛と重衡を守護しておることよ。なれば、問題はない」

「……まあな」

「戻ろうぞ。時子が心配しておろう」

 清盛がきびすを返す。

「そうだな。知盛の容態も確かめねえと……」

 立ち去る前に、重盛は衝立の陰に視線を投げた。……まあ、放っておいても勝手に帰ってくるはずだ。

 夜明けはまだ遠い。

 物言わぬ亡骸を残して、重盛と清盛は、物の怪の館を後にした。




平家の鬼子 後日談 に進む



目次に戻る



サイトの入口に戻る