平家の鬼子 三、(もの)()(やかた)(2)

 

ギシッ……ギシッ……

 

足音が近付いてくる。

暗く静まり返った邸の奥から。

灯台の明かりが、風もないのにふいに揺れ始め、やがて御簾(みす)の向こうに、細い女の影がうつる。

「お待たせ致しました、平重衡殿」

 聞こえた声は、鳥のさえずりのように美しかった。

 名を呼ばれた銀髪の少年は、部屋の奥でじっと動かない。

「どうぞ、お楽になさいませ。そう硬くならずともよいのですよ」

 女はするすると部屋の中に入ってくると、動かない少年のもとに歩み寄った。

「かねてより、お招きしたいと思っておりました。お噂は耳にしております。それはそれは、生き人形のようにお美しいと。……そのようにうつむいていないで、お顔を見せてはいただけませんこと?」

 つと女の手がのびる。

 白く細い指が、少年の頬にふれかけ――そして、ぴたりと止まる。

揺れる灯台の明かりが、女の姿を照らし出す。

 年頃は二十歳を過ぎたばかり。切れ長の瞳に細い眉、形のよい唇に、濃い紅を引いている。

 美しい女だ。宮中に上がれば、数多くの(きん)(だち)の目を引くに違いない。

その美貌に訝しげな表情を浮かべて、女は言った。

「そなた――重衡殿ではありませんね?」

 少年は無言で女を見上げている。

 脅えている様子はない。ここがどこだかわからないと、戸惑っている風でもない。

 その目は冷たいほど冷静に、自分の置かれた状況を理解している。

 女は細い指を自分の頬に当て、思案顔を作った。

「同じ髪の色、瞳の色。さては、兄の知盛殿でしょうか。いつ入れ替わったのです?」

「……いつでもいいだろうさ」

 初めて、少年が――知盛が口をきいた。

「見張りが居るわけでもない。柵も、鍵もない。入り込むのはたやすかったぜ」

 女の口元が意地悪く歪んだ。

「生意気な口をきくものだこと。自分から罠にかかったとも知らずに」

 嘲るような女の言葉に、知盛は小さく眉をひそめた。

「牛車の後をつけてきたのかえ?なんと愚かなのでしょう。助けを呼ぼうとは思わなかったの?」

 知盛は答えない。

 女は、少年の姿を上から下まで眺め、1つ満足げな吐息を漏らした。

「まあ、よいわ。そなた、まだおなごの肌にふれたことがないであろう?私が教えてあげますよ――」

 女の手が、そっと知盛の頬をなでようとする。

「願い下げだな」

 知盛が言った。

同時に、女の手首をつかむ。みしり、と骨のきしむような音がした。

「ひっ……?……ぁぁああああっ!?

女の体が、くるりと宙を舞った。

 座ったまま軽々と女を投げ飛ばし、知盛は立ち上がった。

「人を呼んでもよかったが……」

 冷めた声でつぶやきながら、袖の中に隠し持っていた小太刀を抜き放つ。

「物の怪退治というのも、暇つぶしくらいにはなるかと思ってな……」

「おのれ、小僧!」

 女が飛び起きた。

 かっと見開いた瞳は血走り、みずみずしい頬はやせこけ、もはやそこに美女の面影はない。

 一瞬で老婆の形相になり果てた女が、長くのびた爪を振りかざし、奇声を上げて踊りかかる。

見た目はおぞましいが、さして鋭い動きでもない。

 知盛は苦もなく相手の爪をかわすと、床を蹴って跳んだ。

 そしてためらわずに、小太刀を一閃する。

「ギャアアアアア!!

 耳を覆いたくなるような絶叫が辺りに響いた。

 切っ先は、女の首から肩にかけて、致命傷となる位置を正確に切り裂いていた。

 知盛が着地する。同時に、女の体が床に落ちる。

 どろりとした黒っぽい血だまりが床に広がった。

 知盛はしばらく女の様子を伺っていたが、やがて完全に動かなくなったのを確かめると、小太刀を鞘に収めた。

「兄上……」

 ひそめた声がした。

 知盛は振り向いた。邸の内外を隔てる(しとみ)()の隙間から、重衡の顔がのぞいている。

「逃げよ、と言ったはずだが」

「兄上だけ、物の怪の顔を見るのはずるいではありませんか。……もう、終わってしまったのですか?」

 半分は恐れつつ、もう半分は興味をおさえられないといった様子で、重衡は部屋の中に入ってきた。

倒れた女の姿は、思い描いていた「物の怪」とはいささか違ったらしい。軽く首を傾げて、

(まこと)に、物の怪なのでございますか?ただの人ではなく?」

「さあな」

 知盛の口ぶりは、自分が斬ったのがただの女であっても構わない――と聞こえるくらいにはそっけなかった。

「どちらにせよ、期待したほどおもしろくなかった」

 重衡は不満そうに口を尖らせた。

「そういう言い方はないではありませんか。私はとても怖い目にあったのですよ?」

「……なぜ、邸を抜け出した」

 ひやりと冷たいものが重衡の背をなでる。即座に言い訳の言葉が口を突いて出る。

「外の空気が吸いたくなっただけです」

「たっぷり吸えたか?」

 知盛は笑っている。危険な兆候である。

 足が勝手に動いて、重衡は逃げ出した。逃げ切れないことはわかっていた。どこかで兄が追ってくるのを期待しながら――。

「止まれ!重衡」

 知盛の警告の声を聞いた時には、廊下を蹴って、邸の外に飛び出した後だった。

 両足が地面に届く寸前、重衡の視界の外から、長い腕がのびてきた。その腕に絡め取られ、喉を締め上げられて、息がつまる。

「…………!?

 何が起きたのかわからなかった。

 物の怪は倒れている。

 では、自分を捕らえているこの腕は?

 重衡は必死で身をよじり、相手の姿を見ようとした。

 地味な着物をまとった、白髪の女だった。重衡を捕らえている以外にも2人、影のようにたたずんでいる。

 ――女房たち。

「まあ、そうだろうな……。化け物と同じ屋根の下に住んでいるのが、ただの人間のはずがない……か」

 知盛の声がした。再び小太刀を抜き放ち、ゆっくりとこちらに歩み寄ろうとする。

「近付くでない」

 重衡を捕らえた女房が言った。

「弟の命がどうなってもいいのかえ?」

「構わんが」

「……兄上っ!少しは迷ってから答えて下さい!」

 喉を締め付けられて苦しい息の下からでも、抗議を忘れない重衡であった。

 知盛の目付きは冷ややかだった。

「勝手に捕まったのはおまえだ。それに、2人そろって殺されたのでは意味がないだろう?」

「殺しはせぬ」

 重衡を捕らえた女房が、獲物をなぶるような声で言った。

「そなたがおとなしく太刀を捨てるなら、弟の命だけは助けてやってもよい」

「それを信じろ、と?」

「信じぬ、というのであれば、そこで弟が死ぬのを見ておれ」

 女房の腕に力がこもる。

「…………っ!」

 苦痛に、重衡はもがいた。

「…………」

 知盛は黙ってその様子を見ていたが、はっ、と短く息をつくと、無造作に小太刀を放り投げた。

 誰あろう、重衡が最も驚いた。

「重盛兄上の――」

 知盛が何か言いかける。その時、重衡は見た。やせ細った腕が兄の背後からのび、仰向けに引き倒すのを。

 あれは――兄が斬り倒したはずの物の怪ではないのか?

「おとなしくしておれば可愛がってやったものを……」

 間違いない。動いている。

「かくなる上は、生きたまま(はらわた)を食らってやるわ」

倒れた兄の上に、物の怪が覆いかぶさろうとする。

「兄上っ……!」

重衡は夢中で暴れた。女房の手を振り解こうと、手足をジタバタさせる。

「ええい、おとなしくしなさい」

 女房が言う。それでも暴れ続ける重衡を見て、仲間の女房たちも加勢に入る。複数の腕に押さえつけられて、もはや身動きさえとれなくなった。

「知盛兄上!!

 重衡は必死で兄の名を叫んだ。その声に紛れて――何か、聞こえた気がした。

人の声ではない。シャーッとかシーッとかいう高い音。

 重衡にはそれが、敵を威嚇する時の猫の声に聞こえた。

 女房たちの腕から力が抜けた。

 顔色をなくし、棒立ちになって、がくがくと震え出す。

 理由を考えている暇はない。(いまし)めを逃れた重衡は、

「知盛兄上!!

と、もう1度呼んだ。

 即座に、知盛が飛び起きた。悲鳴を上げて、物の怪が跳ね飛ばされる。

「兄上っ……!」

「来い!重衡」

 知盛が呼ぶ。重衡は夢中で駆け寄って、兄の手をつかんだ。

 2人並んで闇の中に走り出す。

 背後で物の怪が何かわめいているのが聞こえたが、それもすぐに遠くなっていった。

「兄上、ご無事だったのですね……」

「黙って走れ」

 ふと重衡は気づいた。

 自分とつないでいる、兄の手。そこに一筋、赤いものが流れている。

「兄上、血が……」

「腕を捕まれた時、物の怪の爪が当たった」

 知盛はどうでもよさそうに答えた。

「…………」

「泣くな。鬱陶(うっとう)しい」

「泣いておりません」

重衡は手の甲で目尻をぬぐった。

「どうも妙だな……」

 知盛が走るのをやめた。

手をつないでいる必要もないと気づいたのだろう。そっけなく重衡を放し、辺りを見回す。

「何が妙なのでございますか?」

「追ってくる気配がないのもそうだが……これほど走って、木立が途切れないのはおかしい」

 知盛が額の汗をぬぐう。

「…………?」

 様子が変だ。いつにもまして顔の色が白く、呼吸も荒い。

「兄上?どこかお悪いのですか?」

「余計なことを考えるな。結界(けっかい)、というやつなのか?」

「結界?」

 重衡は首をかしげた。確か、陰陽術(おんみょうじゅつ)の一種で、特定の場所への侵入を阻んだり、逆に閉じ込めたりするためのものだったと思う。

「罠、か……。入るのはたやすいが、簡単には出られない……」

「そのような結界があるのですか?」

 重衡の問いに、知盛は軽く肩をすくめた。

「知らん。だが、あってもおかしくはない」

「では、私たちはどうすればよいのですか?」

 重衡はすがるように兄の目を見つめた。

しかし知盛は、あくまでそっけない。

「おまえの首の上に乗っているものは何だ?少しは自分の頭を使え」

「兄上は意地悪です」

 口答えしつつも、重衡は考えを巡らせた。

(まこと)に結界ならば、術をかけたのはあの物の怪なのでしょうか」

 その可能性は高い。というか、他に考えようがない。

「ならば、あの化け物を倒せば解ける、かもしれんな」

「そんな、無茶でございましょう」

 たった今、命がけで逃げ出したばかりである。

「では、おとなしく殺された方がいいと?」

 知盛が冷たく言い捨てる。その言葉を聞いた重衡は、キッと兄の顔をにらんだ。

「殺されるのが嫌ならば、なぜ太刀を捨てたのでございますか?」

「……は?」

「兄上は、私のことなど、どうでもよいのでございましょう」

 ようやく何の話かわかったらしい――知盛はいかにも面倒くさそうに答えた。

「俺は今日1日、おまえの相手をせねばならん」

 今度は重衡が「は?」と言う番だった。

「重盛兄上の言いつけだからな」

「…………」

「おまえを死なせぬようにする、と約束した。面倒な役目だが……今日1日さえ無事に過ぎれば、それですむ」

 重衡は深々と嘆息した。

「……(まこと)にそう思われるのならば、物の怪退治などと考えないでください……」

 兄が助けに来た時、2人で逃げてもよかったのだ。だが、兄は入れ替わりを命じた。

「俺は暇つぶしがしたかっただけだ。言われた通りに逃げなかったのはおまえが悪い」

 重衡はなんとなく脱力した。ふう、と肩を落とし、

「兄上は賢い(かた)ですが、たまに阿呆(あほう)のようなことをなさいますね」

「けんかを売っているのか?」

「いえ……お忘れ下さい」

「また、吊るされたいか」

「嫌です。もうあんな思いはしたくありません」

「では、この次は屋根の上にくくってやろう」

 兄弟げんかなどしている場合ではない、と言ってやる者は残念ながらこの場に居ない。いつもなら白猫の沙羅が止めに入るところだが、ここには――。

『ニャーオ』

 兄弟は、2人同時に頭上を振り仰いだ。

 張り出した枝の上で、白い猫の尾が揺れている。

「沙羅!?

重衡の声に、木から下りてくる。間違いなく、六波羅の邸で共に暮らす白猫である。

「どうして、ここに……」

『ニャーオ』

白猫がすり寄ってくる。甘えているようでもあったし、無事を喜んでいるようでもあった。

「2本――」

 知盛がつぶやいた。

「尾が2本見えた」

「兄上、何を仰っているのですか?猫の尾は1本でございましょう」

「…………」

「沙羅、おいで」

抱き上げようとした重衡の手をするりとかわし、白猫はとことこと歩き出した。振り向いて、にゃあと鳴く。

「ついてこいと言っているのか?」

「そのようですね」

 白猫の後についていくと、間もなく、木立の間を抜けた。

「……抜けてしまいましたね」

「そうだな」

 拍子抜けして立ち尽くす兄弟の耳に、馬の蹄の音が聞こえてきた。

「……知盛!重衡!」

「あれは、重盛兄上の声では?」

「そう……だな」

 唐突に、知盛の膝が折れた。ぱったりと、身を投げ出すように地面に倒れ込む。

「兄上、兄上!?どうなされたのですか!?

『にゃあ、にゃあ』

 倒れた知盛の顔を、白猫が必死でなめる。

 知盛はかすかに目を開けた。

「少し……疲れた。寝かせてくれ……沙羅」

「兄上、兄上!どうかお気を確かに!」

「おまえら、無事かっ!?

 蹄の音が止まった。乗っていた馬から飛び下り、重盛が駆け寄ってくる。

「重盛兄上!……知盛兄上がおケガを……!」

「ケガだと!?

 倒れた知盛の体を、重盛が抱き起こす。血のついた右手の袖をまくり上げると、爪痕らしきものが一筋。

 深手ではない。むしろかすり傷だが……傷口の周りが、わずかに黒ずんでいる。

「毒か……!」

 重盛が舌打ちした。

「毒!?

「おい、親父!急げ!……知盛の奴が毒に当たった!治してやってくれ!」

 重衡はようやく気づいた。やってきたのが重盛だけではないことに。

 さらに複数の蹄の音が近付いてくる。清盛と、平家の武士たちだった。

「さように怒鳴らずとも聞こえておるわ。まったく、いくつになっても騒々しい男よのう」

「落ち着いてる場合か!早くこいつを診てくれ!」

 間もなく、清盛が到着した。年に似合わぬ身軽さで馬から下りると、こちらにやってくる。

 倒れた知盛の様子を一目見るや、清盛の表情が変わった。

「穢れを受けたか……。ちと、やっかいじゃの」

「ヤバイのか!?

「兄上は死んでしまうのですか!?

「ええい、煩いのう。静かにしておれ」

 息子2人を押しのけ、前に出る清盛。

知盛の額に手をかざし、目を閉じ、毒消しの(しゅ)を唱えかけ……ふと片目を開ける。

「これ、邪魔をするでない」

 見れば、白猫の沙羅が、知盛の傷をせっせとなめている。

「邪魔だってよ」

 重盛がその首をつまみ上げると、白猫は恨めしそうに鳴いた。

『ニー……』

「うん?」

 清盛が眉をひそめた。傷口の穢れが、先程よりも弱まっている――。

 もっとも、この場でそれがわかるのは、呪術に通じた清盛のみ。

「どうした、親父?早くしろって」

 重盛がじれったそうに言う。

「わかっておる」

 清盛は両手で印を結び、呪を唱えた。

 闇の中に、瑠璃色の光が差した。

 重衡は息を飲んだ。暖かな光に包まれて、知盛の傷が見る間に癒えていく。

「これで……死ぬことはない。邸に連れ帰り、薬師(くすし)に見せればよかろう」

重衡は兄の顔をのぞきこんだ。意識はまだ戻らないようだが、顔色はいくらかマシになっている。

「わかった。……おい、おまえら!」

 重盛が武士たちを呼ぶ。

「こいつらのこと頼む。ちゃんと連れて帰ってやってくれ」

 そう言って、意識のない知盛だけではなく、重衡のこともまとめて馬上に押し上げる。

「重盛兄上……」

「おまえは先に帰ってろ。知盛のこと頼んだぞ」

問答無用、重盛は武士たちに命じて、馬を走らせた。

 重衡は必死に振り向いた。父と長兄の姿が、あっという間に闇の中に遠ざかっていく。

その夜、重衡が目にした、それが最後の光景だった。

 恐怖から解放された安堵と疲労で、重衡の意識はゆっくりと遠ざかっていった。




第三話 物の怪の館(3) に進む



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