序章 旅の始まり(2)


 約束の校門前に着いた時、まだそこに譲の姿はなかった。

 いい天気だ。休日の校庭には、部活動に励む生徒たちの声が響いている。

将臣がぼんやり空を見上げていると、

「絶好の外出日和(びより)だね!」

と、望美が笑いかけてきた。

将臣は眉をひそめた。

「おまえ、なんでそんなテンション高いんだ?」

「だって今日のこと、楽しみにしてたし」

「それはいいんだが……その服、寒くねえ?」

 ずっと気になっていたことを口にする。

 白のジャケットの下は、ダークグリーンのショートパンツ。ソックスは(くるぶし)(たけ)で、すらりとした足を惜しげもなく人目にさらしている。

望美は手足が美しい。健全な男ならば、つい目が行ってしまいそうになるだろう。

もっとも、本人はそのことに全くの無自覚だ。将臣の言葉に、いかにも心外だというように目を見開いて、

「ええ?普通だよ。制服だって、このくらいの長さだし」

 内心ため息をつきつつ、将臣は言った。

「うちの学校、女子のスカート短過(みじかす)ぎだよな。将来何かあったら、どう責任取るんだか」

「将来って……お母さんになった時とか?」

 一瞬、不思議そうな顔をして、それからくすりと笑う望美。

「将臣くん、なんか、おばあさんみたい」

 将臣は軽く肩をすくめた。

「そりゃな。ガキの頃、うちのばあさんにさんざん教え込まれたからな。女の子は大切にしろ、って」

「言ってた、言ってた。私も言われたもん。お腹は冷やしちゃだめ、とか」

 望美は懐かしそうにほほえんだ。

 将臣の祖母・スミレは、望美のことがお気に入りだった。実の孫以上に、可愛がっていたものだ。

「ところで将臣くん、今日の私の服、なんだかわかる?」

 望美は悪戯っぽく笑って、くるり、とその場で回って見せた。

「は?なんだ、クイズか?」

「ヒントは、色」

「色……?緑、白、赤……」

 将臣は、望美の着ているもの、ショルダーバッグにアクセサリー、と順番に色を挙げていった。

 ぽん、と手を打つ。

「交通信号か!」

「全然、ちがーう!」

 望美が細い肩を精一杯いからせる。

「信号は黄色でしょ!白じゃないよ」

「……ん、ああ。そうか」

「もう!私たち、これからどこに行くの?」

「どこって、クリスマスの下見に……」

 そこまで言って、ようやく気づいた。

「あー、クリスマスカラー、か」

「そうだよ。クリスマスといえば、赤と緑でしょ?サンタさんにツリーに、あと、ホワイトクリスマスの白とか」

「そこまでこだわるか。おまえ、どんだけ好きなんだよ、クリスマス」

 もう1度、将臣は上から下まで望美の姿を眺めた。

言われてみれば確かに、クリスマスにはつきもののアレを連想させる。将臣は意地悪くにやりとした。

「ホワイトクリスマスじゃなくて、生クリームの白だな」

「え?」

「おまえが楽しみにしてるのって、(おも)に食いもんだろ。その格好、イチゴのショートケーキ、か?」

「………っ!ひどい!失礼だよ!」

将臣は音を立てて吹き出した。ケーキの着ぐるみをまとった望美の姿を、リアルに想像してしまったのである。

「もう、馬鹿!」

望美がぽかぽかと殴りかかってくる。

「悪い、悪かった。落ち着け」

 2人でじゃれあっているところに、足音が近付いてきた。

「すみません、春日(かすが)先輩。待たせてしまって――」

 息せき切って走ってきたのは譲である。2人の様子に、一瞬あきれたような顔をして、

「何やってるんだよ、兄さん」

 なぜ自分だけが責められるのかは釈然としないが、まあ、それはいい。

「譲。おまえ、今日の望美の服、何だと思う」

「は?何って……」

「ヒントは食い物だ」

「ちがーう!」

 望美が顔を真っ赤にして叫ぶ。譲はいっそう戸惑い顔で、

「……ええと、先輩?いったい何の話……」

「何でもない!……それより譲くん、部活終わったの?急いで来たみたいだけど、だいじょうぶ?」

 確かに、譲にしては珍しく、約束の時間ギリギリだった。髪が少し乱れているのは、慌てて着替えたのかもしれない。

「すみません、片付けに手間取って。でも、だいじょうぶです。行けますよ」

 そう言って、譲は顔にかけた眼鏡を軽くかけ直した。

 こいつは女子に怖がられることなどあるまい。1つ違いの兄弟だというのに、将臣とは全く似ていない。

 知的で涼しげな顔立ち。高1にしてはかなりの長身。

実を言うと、現時点では、将臣より譲の方が高い。ほんの数pにも満たない差であるが、弟に抜かれたのは、ごく最近のことだ。要するに、成長期というやつなのだろう。

 品行方正な優等生、しかも弓道部期待の新人。

当然というか、女子に人気がある。将臣の学年にも、さらにその上の学年にも、譲のファンが居るほどだ。

 もっとも譲本人は、いくら黄色い歓声を浴びても超然としている。

 いや、違う。譲が見ているのは、昔からただ1人。そのため、他の女など視界に入らないだけだ。

 その1人は、今も譲の視線に気づくことなく、無邪気に笑っている。晴れた空に向かって、元気よく握り拳を突き上げ、

「よーし、それじゃ出発!いざ、クリスマスの下見に!」

「先輩、元気ですね」

 譲が苦笑し、将臣もぼやいた。

「ほんっと、無駄にテンションたけえな」

 ぽつり。

 3人の頬に、雨粒が落ちてきた。

「え?」

 望美が空を見る。

 雲1つない快晴、だったはずである。ついさっきまでは。

 いつのまにか、灰色の雲が頭上を覆っている。

「ええっ、嘘。なんで?」

「なんで、たって降ってるもんはしょうがねえだろ。……とりあえず、こっちだ!」

 一足早く駆け出した将臣の後に、望美と譲もついてくる。

 校庭の(くすのき)の下に避難したところで、ざあざあと、本格的に雨が降り始めた。

 部活動の生徒たちも、悲鳴を上げながら校舎に逃げていく。にぎやかだった校庭は、すぐに人っ子1人居なくなった。

空は暗灰色に染まり、どこからか雷鳴も聞こえる。

「困ったね……」

 望美がつぶやく。通り雨だろ、と将臣が言うより早く、譲が同じ言葉を口にした。

「多分、通り雨でしょう。すぐやみますよ」

「うん、そうだね。……あれっ?」

 望美が妙な声を上げた。

 驚いたように前を見つめている。しかし、その視線の先にあるのは、雨の降りしきる校庭――それだけだ。

「どうした?」

と聞いても、望美は前を見つめたまま。やがて、ふらふらと雨の中に出ていってしまう。

「先輩?」

 譲の声にも反応しない。見る間に、細い体が雨に濡れていく。

(何やってんだ――)

 強引にでも連れ戻そうと、将臣が雨の中に踏み出しかけた時だった。雨音にまぎれて、望美がつぶやくのが、かすかに聞こえた。

「……どうしたの?君、迷子?」

 瞬間、硝子(がらす)が割れるような、甲高い音が辺りに響いた。

「…………!?」

 将臣は息を飲んだ。

 雨の降る校庭に、子供が1人、立っている。

 見たこともない、長い白銀(しろがね)の髪をした少女――いや。多分、少年だ。

 10歳前後だろうか。小さな体に、やはり見たことのない妙な服を着ている。

 着物のようだが、和服とは違う。ひらひらとした無駄に豪華な衣装で、耳に下げている石は本物の宝石のようだし、肩にかけている薄布は、まるで天女の羽衣のようだ。

 大昔の絵か、あるいはファンタジーの世界から抜け出てきたように見える。時代か、世界か、その両方かがずれている。少なくとも、通りすがりの迷子などではあるまい。

いや、そんなことよりも。

たった今まで、そこには誰も居なかったはずだ。

「………っ!子供……?」

 譲が驚愕の声を上げる。譲の目にも見えている。どうやら、自分の目だけがおかしくなったわけではないらしい。

「おい、おまえ。今どこから出てきた?」

 将臣の詰問に、少年は反応を示さない。

 あどけない顔に驚きの表情を浮かべ、まばたきもせずに見つめている。――何を?望美をだ。

 嫌な予感がした。理由はわからない。

「やっと――」

 少年がほほえんだ。

 幸福そうな笑みだった。何かを抱きしめようとするように両手を広げ、子供らしい可愛い声で、

「やっと、会えた。ずっとあなたを待ってた」

「……え?」

 望美が戸惑いの声を上げる。

「どうか、私と共に来て、この世界を――」

 雨音が強くなって、少年の声をかき消した。

 いや、違う。

 聞こえてくるのは雨音ではない。ごうごうと唸る水音――。

 将臣は音のする方を振り向いた。

 何だ、何の冗談だ。

津波のような濁流が押し寄せて来る。水しぶきを上げて、校庭いっぱいに。

将臣は走った。駆け寄った。いまだ呆然と立ち尽くしたままの望美に向かって。

「望美ーっ!!」

「先輩、危ない!!」

 一瞬遅れて、譲も駆け寄ってくる。

 直後、濁流が3人を飲み込んだ。

(…………!?)

 轟々と渦を巻く水の流れ。

 苦しい。息が――。

「………っ!ぷはあっ!」

 必死で水面に顔を出す。真っ暗な空が見えた。

「望美!譲!」

 2人の名を呼び、辺りを見回す。

 先に見えたのは望美の方だった。次いで、譲の姿も目に入る。2人とも、なすすべもなく流れに翻弄されている。どうにか水面に顔を出してはいるが、放っておいたら今にも溺れてしまうだろう。

「待ってろ、今行く!」

 ライフセイバーの経験はない。ただ、幸いと言おうか、水には慣れている。最近、趣味で始めたスキンダイビングのおかげだ。

 懸命に水の流れをかきわけ、じりじりと2人の方に近づいていく。あと少し。あと少しで、望美に手が届く。

「望美!」

将臣は夢中で手をのばした。

「将臣くん!」

 望美も手をのばし――ほんの刹那、指先がふれ合った気がした。

 瞬間、水の流れが勢いを増し、2人の姿が遠ざかる。頭から水をかぶり、したたかに水を飲んだ。

 視界がぼやけ、意識が遠くなる。それでも将臣は、最後まで2人の姿を目で追い続けた。



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