序章 旅の始まり(1)



 空は晴れている。

 見上げれば冬の陽射しがまぶしく、空気はさわやかに澄んでいる。

「だからね、駅前のお店でいいと思うんだ。去年と同じになっちゃうけど、飾りつけとか可愛かったし……」

 明るく弾むように続いていた望美の声が、不自然に途切れた。

「将臣くん、話、聞いてる?」

 くるり、とこちらを振り向く。

 一歩遅れて望美の後ろを歩いていた将臣は、寝癖のついた頭をかきながら言った。

「おまえ……朝から元気だな」

 どうやら機嫌を損ねたらしい。望美は軽く下唇を突き出し、将臣の顔をにらんだ。

 子供(ガキ)だな、と将臣は思った。その幼い表情(かお)は、子供の頃と少しも変わらない。

 望美と将臣は、物心つく前から兄妹同然に育ってきた。家が隣り同士の、いわゆる幼なじみという奴である。

「今は朝じゃないでしょ、将臣くん。お昼だよ」

 望美が言う。将臣もあくび混じりに言い返す。

「日曜の昼なんて、朝みたいなもんだろうが」

「さては――きのう、夜更かししたでしょ」

「当たり前だろ。休みの前に早く寝てどうすんだ?」

 かくいう望美も、宵っ張りで早起きは苦手なはずだ。しかし予想に反して、得意げに胸を張り、

「私は早く寝たよ。今日に備えて」

 将臣はあきれた。

「おまえ……遠足前の小学生か?」

「だって、一緒に出掛けるの、すごく久しぶりじゃない?ええっと……3週間ぶり、くらい?」

 望美は指折り数えながら言った。

 自分と出掛けるのをそれほど楽しみにしてくれていたというなら、男としては本来、喜ぶべきところだ。

が、あいにくこれはデートではない。望美(いわ)く、もうすぐやってくるクリスマスの下見と打ち合わせ。

仮にも高校生の男女が休日を共に過ごそうというのに、甘い空気は欠片もない。少なくとも望美の方は、完全に幼い頃のままのノリだ。

将臣は言った。

「あのな。普通、高2にもなって、いつも一緒に遊ぶとかありえるか?いくら幼なじみだからって、普通はねえだろが」

 言い方がきつかったのかもしれない。望美が口をつぐむ。その場で立ち止まり、じっとにらむように将臣の顔を見上げてくる。

 こちらはそれなりに上背がある。もう少しで180に手が届く。望美も女子としては低い方ではないが、身長差はおよそ20p。

 付け加えると、将臣はやや目付きが悪く、初対面の女子にはたまに怖がられることもあるご面相だ。

 しかし、望美は恐れず怯まず、目をそらそうともしない。

 人と話す時、必ず相手の目を見ようとするのは、望美の幼い頃からの癖だ。

 ひたむきで、意志の強い瞳――に見える。

 すっきり整った目鼻立ち、凛と引き結んだ口元。

 子供っぽい表情が消えると、逆に大人びた雰囲気になるから不思議だ。

 腰まで届く長い髪。体つきは細く、敏捷そうで、どこか野生の獣を思わせる。

 きょうは白のジャケットとインナー、というシンプルな服装だった。

いつもはもう少し可愛い系というか、「女の子」を強調した服を着ていたはずである。

何か、心境の変化でもあったのだろうか。ちなみに将臣はこちらの方が好みだが、もちろん関係はあるまい。

2人はしばし無言で見つめ合った。やがて口をひらいたのは、望美の方だった。

「もしかして――嫌だった、とか?」

 将臣は思わず苦笑した。

「馬鹿、そんなんじゃねえって」

「けど、今年も一緒にクリスマスしよう、って言った時、なんか微妙な顔してたよね?将臣くんも、(ゆずる)くんも」

 望美がもう1人の幼なじみの名を口にする。

将臣の弟。1つ年下の高校1年生。

甘い空気になれない、最大の理由がそれだ――今日はそもそも3人で出かける約束になっている。

弓道部の譲は午前中、練習があるので、高校の正門前で待ち合わせている。

「……そう、か?」

 将臣は軽く目をそらした。後を追いかけるように、そうだよ、と望美の声がする。

「それに、最近2人、ちょっと仲悪いし」

 痛いところを突いてくる。

「普通だ、普通。男同士なんて、そんなもんだ」

「そうかなあ……。私は兄弟とか居ないからわかんないけど……」

「考え過ぎだって。譲とは趣味も違うし、行動パターンがズレてくるのは当然だろ」

 将臣の適当な言い訳に、望美が眉根を寄せる。

「去年のクリスマス、楽しかったよね?」

「ん?ああ。そうだな」

 望美と将臣の家は、家族ぐるみの付き合いだ。クリスマスも共に過ごすのが通例だった。

 ただ、昨年は違った。幼なじみ3人だけでクリスマスをしたのだ。たまたま親たちに用事があったのか、もう高校生なのだから自分たちだけでやれと思ったのか、ともかくそういうことになった。

「すっごく楽しかったから、今年も3人でしたいって私は思ったんだけど……」

 なるほど、と将臣は思った。

 望美としては、あわよくば仲直りのきっかけになれば、というつもりで自分たち兄弟を誘ったわけだ。

 ふっと将臣は笑った。

「3人、か……」

 え?と望美が聞き返してくる。

「別に、けんかしてるわけじゃねえんだよ。ただ、な。人間なんて、欲張りなもんだ、ってこと」

 望美は誤解している。このところ譲とぎくしゃくしているのは事実だが、それは兄弟げんかとは違う。もう少し複雑で、微妙で、やっかいなものだ。

「去年のクリスマスは、俺も楽しかったさ。楽しかったから、欲が出る。もっと……この時間を独り占めしたい、とか」

「1人?」

 望美が小首を傾げる。

「あー、つまり……」

 将臣は言葉につまった。今はまだ、言うわけにはいかない。

「おまえが心配することは、ない。そりゃいつまでもガキじゃねえから、前とは同じじゃないことだってあるさ。……けどな。けんかとは違う。多分、もうちょっと時間が要るんだ。俺にも、譲にも」

 何のことやら、説明になっていない。望美も不思議そうに耳を傾けていたが、将臣の言葉が途切れると、やがて小さくうなずいて言った。

「よくわからないけど……わかった。将臣くんがそう言うんなら、今は聞かない」

「さんきゅ」

望美の頭をかき回す。望美が口を尖らせて抗議する。

「もう、私、子供じゃないよ」

「はは、わりぃわりぃ。そろそろ行こうぜ。ここで長話(ながばなし)してたら、譲を待たせちまうだろ」

「え?……あ!本当だ!」

 望美が慌てて腕時計をのぞきこむ。

「譲のことだから、約束の10分前にはきっちり来てそうだよな」

「急ごう!将臣くん」

 望美が駆け出した。長い髪が風になびく。その後ろ姿を、将臣はしばし立ち止まって見つめた。

「何やってるの?将臣くん。早く!」

 振り向いてこちらを呼ぶ声。瞳。

 大人の女と呼ぶにはまだ早い。だが、美しくなった――。そう思うのは、幼なじみの欲目なのか。

 いつまでも子供ではない。自分も、望美も、譲も。3人の関係も、きっと変わっていく。

 だからこそ――今は時間が必要なのだ。

「せかすなよ。今行くって」

 ゆっくりと、将臣は歩き出した。駆けていく望美の後を追って。




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