還内府の章 九、一泊二日の旅(1)

 

 治承(じしょう)4年1122日。

 平家一門は福原を離れ、京へと旅立った。

安徳帝や清盛、時子を始めとする一門の女たちが牛車や輿(こし)に乗り、鎧兜をまとった武士たちがその周囲を固め、行列を作って街道を進む。

将臣はその中に居なかった。やや小高くなった丘の上から、行列全体を見下ろしていた。

「すげえな……」

昔、平安時代の再現行列というのをテレビで見た記憶がある。確か何かの祭りだったと思うが、本物はまるで迫力が違っていた。

輿や牛車の飾りに使われているのは、メッキなどではない、本物の金細工。それらが日の光を受けてキラキラと輝いている様子は、遠目にも美しい。

 武士たちの鎧兜さえ立派なものだ。護衛のはずが、逆にそれ目当ての野盗や追いはぎが寄ってきてしまいそうな気がした。

「将臣殿、もうよろしいでしょうか?」

「ああ、わりい」

 将臣は前を見た。手をのばせば簡単に触れられる距離に、重衡の整った顔があった。

「さほど急ぐ道中ではありませんが、この辺りの天気は変わりやすいので。今のうちに、少し距離を稼いでおきましょう」

 そう言って、重衡は馬に合図を送った。

 ゆっくりと馬が歩き出す。その足取りに合わせて、将臣の体も揺れる。

振り返れば、同じように馬に乗った武士たちがついてくる。

その数、およそ数十騎。徒歩で付き従う武者が、さらに倍ほどの数。

彼らの役目はひとつ。行列に先行して、道中の安全を確認すること。

いわば旅の先遣隊だ。そして、その責任者を務めるのが、重衡である。

将臣は最初、あちらの行列と共に行くはずだった。

しかし、紆余曲折があってこうなった――そう言うと大げさであるが、要は清盛の用意した輿やら牛車やらに乗りたくないと言ったせいである。

 とはいえ、馬に乗るのも初めてだった。

観光客用に飼育されたポニーなどではない。れっきとした軍馬である。

どっしりと四肢が太く、鼻息は荒く、眼光は鋭い。

しかも、でかい。馬というより、戦車か何かのようだ。

毛並みは茶褐色で、たてがみと尾は黒い。

名は童子(どうじ)鹿毛(かげ)、というらしい。重衡によれば、平家秘蔵の名馬なのだとか。

確かに、貫禄のある馬だ。主人の後ろに余計な荷物――将臣が乗っていても、全く動じない。

「将臣殿」

 ふいに重衡が呼びかけてきた。

 直後、馬の体が――乗っていた(くら)が、大きく揺れた。全く予想していなかったので、あやうく地面に転げ落ちるところだった。

「……この先の道は起伏が多いので、揺れることもあるかと思います。お気をつけください」

 重衡の声は淡々と続く。

「……言うのが遅いだろ」

「申し訳ございません」

 重衡は前を向いたまま謝ってくる。その背中に、将臣はうろんな目を向けた。

将臣を無事に京まで送り届けよ――と清盛に厳命されて、本心ではどう思っているのだろうか。

別にどうとも思っていない可能性もあるし、面倒な荷物を抱えることになったと、迷惑に感じているのかもしれない。

ただ、背中に乗せるなら女の方がいいと、多分そう思っていることだけは確かだ。

「俺は別に、歩いてもいいって言ったろ?」

 むしろ積極的にそうしたかった。特別製の鞍は広く、ゆとりがあるが、男と2人乗りするのは、将臣とて楽しくない。

「ですが、道中、何が起きるかわかりません。念の為、馬にも慣れていただきませんと」

 そう言って、重衡は特に意味もなく、馬をジャンプさせた。

「…………」

 今度は多少予想していたので、馬から放り出される前に、鞍の両端をつかまえることができた。

 重衡はちらりとこちらを見て、

「ああ、落ちませんでしたか」

と、何でもないことのように言った。

「……おい、いいかげんにしろ。ふざけてるのか?」

「まさか、そのような。ただ、馬に慣れるためには、色々と経験を積んでいただくことも必要かと」

「今度やったら、覚悟しろよ」

 一見、無防備な重衡の背中に向かって、将臣は剣呑な声を上げた。

「覚悟とは?」

 重衡は平然と聞き返してくる。その腰に差した太刀が、なんとなく将臣の目に止まった。

「できれば俺もやりたくないけどな……。首の骨でも折ったら洒落にならねえし。今度、馬から落ちそうになったら、おまえの体にしがみつくからな」

「………………」

 重衡はしばし黙考した。

「……将臣殿、やはり下りていただけますか」

 願ってもない言葉だ。

「ああ、下りる下りる」

「皆も休憩にしよう。馬たちも喉が乾いた頃だろうから」

重衡の凛とした声に、武士たちが馬を止める。

将臣は少し驚いた。

 重衡は細身で色が白く、貴族めいた容貌をしている。いかつい武士たちを従える姿など、普通は想像できないところだ。

 しかしその細い体は、実はちゃんと鍛えられており、身のこなしにも隙がない。腰に差した太刀を抜かせれば、おそらく腕が立つのだろう。

 将臣は地面に下りた。尻と内腿(うちもも)が張っている。やはり慣れない乗馬は、想像以上に体にきているようだ。

 さらさらと、水の流れる音がする。

小川とも呼べない小さな沢が、山道を横切るように流れていた。

 流れに口をつけて水を飲んでいる馬たちを見て、

「俺も喉が乾いたな……」

と将臣はつぶやいた。

すぐに重衡が竹筒を差し出してきた。

「どうぞ。別におかしなものは入っていませんよ」

「…………」

真面目なのか、ふざけているのか、どうもわかりにくい奴だ。

将臣が無言でその顔を見返していると、

「先程は申し訳ございませんでした」

と、重衡は表情を変えずに謝ってきた。

「将臣殿は、こちらの世界の旅は初めてでしょうし。もしや、退屈されているのではないかと思ったのですよ」

「そりゃ、どーも」

 将臣にとっては、全くありがたくない気遣いである。

「……っていうか、むしろあんたが暇なんじゃねえ?」

「とんでもない。帝や上皇様をお守りする、大切な役目ですから」

 言っていることは至極まともなのに、本当らしく聞こえないのはなぜだろう。

「さ、参りましょう」

 短い休憩が終わると、重衡はそれまでの出来事も会話の流れも全てなかったかのように、将臣に同乗を求めてきた。

「いや、俺はいいって」

「大切なお客人を歩かせるわけには参りません。どうか、ご遠慮なさらず」

「遠慮じゃねえって、わかってるだろうが」

 これ以上、暇つぶしのおもちゃにされてはかなわない。

 将臣が重衡と押し問答していると、見かねたのか、同行する武士が1人、近付いてきた。

「重衡様――そのようになさらずとも。お客人は歩くと申されているのですから」

 中肉中背、黒髪で真面目そうな男だった。……もとい。真面目過ぎて、思いつめると怖そうな男だった。

 後藤(もり)(なが)

 出発の時、名前は聞いている。そうでなくても覚えていただろう。重衡と同乗する将臣の背に、ひたすら険悪な視線を送り続けていたのだから。

 面倒なので放っておいたが、男が将臣の存在を快く思っていないのは明らかだった。

なぜ、あんな得体の知れない男を主人が馬に乗せているのか――とか、多分そんなようなことを考えているのだろう。

「そうはいかないよ、盛長。将臣殿は父上の大切なお客人なのだから」

「ならば、いっそ――お客人はこちらの馬に」

 男が指し示した馬は、重衡の馬よりやや小柄で、白っぽい毛並みをしていた。

 重衡は軽くあごに手を当て、考える素振りを見せた。

「それはどうだろう。夜目(よめ)(なし)月毛(つきげ)は気の荒いところがあるし、馬に不慣れな将臣殿を乗せるのは無理じゃないかな……」

「だから、俺は歩くって」

 男がキッと振り返る。

「控えろ!清盛公のお客人とはいえ、主人(あるじ)への無礼は見過ごせん!言いたいことがあるというなら、まずはその適当過ぎる口の利き方を(あらた)めてからにしてもらいたい!」

 将臣は驚いて男の顔を見返した。

「なんだ、その顔は?」

 さも軽蔑した、というように男が鼻を鳴らす。

「いや……なんかそういうセリフ、久しぶりに聞いたと思って」

 ぞんざいな態度を咎められたのは、最初に清盛と出会った日以来である。

「礼儀とか身分とか、しばらく言われてなかったからな。こっちではもう、これが普通なのかと思いかけてた」

「な……」

 男が絶句し、なぜか重衡が吹き出した。

 笑うと仔犬のように無邪気な顔になる。重衡の本性が無邪気でないことは既にわかりかけていたが、それでもついつい、気を許してしまいそうになる笑み。

「わかったよ、盛長。そこまで言うなら、将臣殿には歩いていただこう」

「は、はあ……」

「下がっていいよ」

「…………」

 まだ釈然としない顔をしつつも、主人の命令で引き下がる男。

「申し訳ございません、将臣殿。部下が無礼なことを」

 軽く頭を下げる重衡。将臣はついしげしげとその顔を眺めた。

 男は――後藤盛長は、重衡の()母子(のとご)であるらしい。

重衡が幼い頃、世話をした乳母の子、という意味だろう。多分。

詳しい関係はともかく、盛長が重衡に対し、並ならぬ忠義をいだいていることは将臣にもわかった。

「男にもモテるんだな、あんた」

「は?何のことでしょうか?」

と重衡はとぼけた。

「だから、あいつ。おまえのことが第一って感じじゃないか?乳母子ってのは、そういうもんなのか?」

「盛長がそこまで私のことを考えているかはわかりませんが……」

 重衡は軽く首をかしげて、それからくすりと笑った。

「仮にそうだとしても、家長(いえなが)にはかないませんよ」

「家長?」

「知盛兄上の乳母子です」

「……知盛の?」

紹介された覚えはない。また、それらしい奴を見た記憶もない。

「家長は、本当に兄上のことが第一なのです。兄上のためならば、自分の命さえ平気で投げ打つやもしれません」

「そんな奴、居たか?」

 重衡はまた少し笑って、

「兄上は、家長の忠義が鬱陶(うっとう)しいと仰って。『そばに寄るな』と追い払ってしまわれました」

「…………」

「ですから、会うのは難しいと思います。私もここ1年程、姿を見た記憶がございません」

「1年?」

 将臣は耳を疑った。しかし聞き違いではない証拠に、重衡はうなずいている。

「それだけ姿を見てなかったら、心配して探すとかしないか?」

「どうでしょう。あの兄上のことですから」

「いや、あんたも」

 普通は気にするだろう。将臣の指摘に、重衡は「そういえば」と何かを思い出したような顔をした。

「以前、兄上に尋ねてみたことがございます。『このところ、家長の姿を見かけませんね』と」

「はあ、それで?」

「兄上はただ一言、『それがどうかしたのか?』と」

 平然と――口元に意味深な笑みを浮かべて、そう言ったそうだ。

「……実は、こっそりどっかに埋めたとか?」

 冗談のつもりの一言に、重衡は真顔で相槌を打った。

「あの兄上のことですから、ないとは言い切れませんね」




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