還内府の章 八、平家の猫(2)

 

 辺りがぼんやり明るくなった。

 将臣は夜空を見上げた。いつのまにか雲が晴れ、月が顔を出している。

「福原の月も見納めか……」

 (みち)(もり)が妙にしんみりした口調で言った。酔いが回ってきたのか、頬がかすかに赤い。

 そうですね、とうなずく(つね)(まさ)

聞いた話によれば、彼らの引越し先はさほど遠い場所でもないはずだが……そのわりに、どこか感傷的な口ぶりだった。

「そういや、まだ聞いてなかったが……」

 将臣が口をひらくと、全員の視線が集まった。

「なんでまた、一族そろって引っ越すことになったんだ?」

『…………』

 沈黙。

 経正や通盛・(のり)(つね)兄弟が複雑な表情を浮かべるのを見て、将臣は察した。どうやら、色々と面倒くさい事情があるらしい、と。

「できれば、手短に頼む」

 そう言うと、3人はさらに困った顔をした。

「手短に、と言われても、話せば長くなってしまうな」

「うむ、確かに」

「そうですね……」

 すると、知盛が口をひらいた。盃を傾けながら、いつものけだるい声で、

(いくさ)をするためさ……」

 将臣はぎょっとした。

「知盛殿」

 経正が小声でたしなめる。知盛はうっすら笑みを浮かべた。

「手短に、だろう……?」

(いくさ)って……」

 いったい何と戦う気だ?と言いかけて、将臣はハッとした。

 ここは大昔の日本によく似た世界で、彼らは平家一門。戦と来れば当然、『源平合戦』のことに違いない。

「まさか、あの義経(よしつね)と戦うんじゃねえだろうな?」

 歴史に疎い将臣でも知っている。源平合戦で平家を倒したのは、源氏の英雄、源義経(みなもとのよしつね)

馬で崖を駆け下りたという『(ひよどり)(ごえ)逆落(さかお)とし』や、鎧を着たまま船から船へ飛び移ったという『八艘(はっそう)飛び』など、とにかく派手な話が色々あったはずだ。

 もしも相手があの義経なら――正直、(いくさ)などするのはやめておいた方がいいと思う。

「ヨシツネ……?」

 知盛が眉をひそめる。

「誰のことだ?」

首をひねる通盛。経正や教経もぴんとこない様子だ。

将臣は意外な気がした。義経といえば、元の世界ではけっこうな有名人だったと思うが、ここではわりとマイナーなのだろうか。

 そういえば、と経正が口をひらいた。

「東国で挙兵した(より)(とも)のもとに、血縁を名乗る若武者が奥州(おうしゅう)から馳せ参じた、という噂を聞きました。亡き源氏の棟梁(とうりょう)(よし)(とも)の末子で、名は確か九郎(くろう)義経(よしつね)……」

「ああ、それだ、それ」

 将臣はぽんと手を叩いた。

「九郎義経が、どうかなさったのですか?」

と経正。

「あ、いや、それは……」

 将臣は口ごもった。

 通盛や教経も怪訝な顔をしている。それに、知盛も。

 まずい。他の奴らはともかく、知盛には、昨夜、将臣の世界の歴史を少しだけ話してしまった。

 知盛があの話を信じたのかどうかは、結局うやむやなままだが……、何にせよ、余計なことは言わない方がいい気がする。

「その……、別に何でもない。俺の勘違いだ。それより、さっきヨリトモがどうとか言ってたが、それってあの『頼朝』のことか?」

 源頼朝(みなもとのよりとも)。義経の兄。鎌倉幕府をひらいた人物として、教科書にも名前が載っている。

「うむ。帝に反旗を翻した不忠者だ」

 教経が鼻息も荒くうなずいた。……何やら、違う人間のことを言っているようだが。

「もうちょっと、詳しく教えてもらってもいいか」

と将臣は頼んだ。

「うむ、承知した」

教経は話し始めた。

 その頼朝が、東国――つまり関東地方の武士たちをまとめて、大規模な反乱を起こしていること。

反乱を鎮めるため、平家が追討軍を派遣したこと。

それが、今からおよそ2ヶ月前。昨夜の宴で維盛が話していた、『富士川の合戦』のことらしい。戦わずに逃げた、とか言っていたから、要するに負けたのだろう。

「もともと畿内でも兵を挙げる不届き者は居たが、富士川で敗れて以来、特にその数が増えてな」

 教経が言う。弟の後を受けて、通盛が続ける。

「我らは反逆者どもから帝をお守りするため、福原を離れることになった、というわけだ」

 頼朝が帝に反逆?

何やら話が妙だ。少なくとも、将臣がイメージする頼朝とはだいぶ違う。

 ちなみに、その帝は――先ほどから妙におとなしいと思ったら、白猫たちを抱えて、うつらうつらしている。そろそろ寝る時間らしい。

「寝所にお連れした方がよさそうですね」

 経正がほほえんだ。

「知盛殿、お願いできますか」

「…………」

 知盛は無言で立ち上がり、帝に歩み寄った。白猫たちがさっとよける。まるで、会話の意味がわかったかのように。

 知盛はひょいと帝の体を抱き上げると、そのまま廊下を歩いていってしまった。

「なんで、あいつに頼むんだ?」

 子供の世話なら、経正の方がふさわしい気がする。

「帝は、建礼門院様と一緒にお休みなのですよ」

建礼門院、とは帝の母親のことである。

「俺や教経が寝所に近付くわけにはいかぬからなあ」

通盛が笑う。将臣には、まだ事情が飲み込めない。

「知盛ならいいのか?」

 全員が目を丸くして、それからふっと笑った。

「実のご(きょう)(だい)ですから」

と経正。

「……あ、ああ。そういうことになるのか」

 帝の母親が清盛の娘で、知盛は清盛を父上と呼んでいる。同じ親を持つのだから、2人は姉弟だ。

「ん?ちょっと待てよ。ってことは、帝と知盛は……」

 甥と叔父、という関係になる。

 身内に敬語を使っているのか――つくづく理解しがたい世界だ。

「どうした、将臣殿。妙な顔をして」

 通盛が首をひねる。

「いや、別に」

 まあ、ぼちぼち慣れていく他あるまい。

 知盛はすぐに戻ってきた。廊下に腰を下ろし、また酒を飲み始める。

 白猫たちが寄っていく。

 1匹が膝に乗り、あとの2匹がそばに寄り添う。知盛は無表情だが、たまに猫たちの耳をかいてやったりしている。

 少しだけ、うらやましくなる光景だった。ずっと屋外に居たせいで、体が冷えてきたのだ。猫が3匹もくっついていたら、コートを1枚着るより暖かいかもしれない。

 他の連中は、寒くないのだろうか。

 ちらりと見ると、手持ちの酒を飲み尽くしてしまった通盛・教経兄弟が、追加の酒を持って来させているところだった。

(そういや、酒は体を温める、っていうしな)

 将臣には使えない手だ。

 どうやら飲み会はまだ続くようだし、ここらで部屋に戻った方がいいかもしれない。

「どうかなさいましたか、将臣殿?」

 経正が声をかけてきた。こちらは堅実なペースで盃を開けている。飲み始めてから既にけっこうな時間がたっているのだが、口調はしっかりしているし、顔色も変わらない。

「ああ、ちょっと冷えちまって。悪いが、先に戻ってもいいか」

「それは……風邪を引くといけません。どうぞお戻りください」

「サンキュ」

と礼を言って、将臣は立ち上がった。

「クッ……。よければ、寝所までお連れしようか?」

 知盛が笑う。こちらも顔色は変わっていない。目尻と色の薄い唇だけが、まるで朱でも差したかのようにほんのり赤く染まっている程度だ。

「タチの悪い冗談はやめろ」

 将臣はうんざりした。

「俺たちのことは気にせず、休まれよ」

 豪快に盃を干してから、通盛が言った。

「明後日には京に発つのだ。体調を崩してしまっては、旅どころではないからな」

 言われてみれば、確かに。

この世界には、当然のことながら車も電車もない。引越し屋もないから、荷物は自前で運ぶのだろう。

その上、旅の道連れは、目の前に居る彼ら――平家一門だ。

 楽な旅には、なりそうもない。




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