還内府の章 八、平家の猫(1)

 

「つまり果たし状、というのは誤解なのだ」

 (のり)(つね)が言う。将臣は軽くうなずいて、相手の顔を見上げた。

 猛禽(もうきん)のように鋭い目つき、無駄な肉を削ぎ落としたかのようにシャープな(ほお)

加えて長身、筋骨(きんこつ)隆々(りゅうりゅう)の体つきと来れば、ただ立っているだけでも迫力十分だ。

 しかし、よく見れば兄の(みち)(もり)同様、人懐っこそうな目をしており、どこかのんびりした話し方を聞けば印象も変わる。多分、見た目ほど怖い奴ではないのだろう。

 年齢もそう違うまい。せいぜい二十歳(はたち)かそこらだ。

「俺はただ、将臣殿と話がしてみたかっただけだ。それで、邸に来ていただこうと……」

 ようやく落ち着いて話が聞けるようになった時には、日が暮れかけていた。

騒ぎの発端となった例の(ふみ)は、当人(いわ)く、招待状のつもりであったのだそうだ。

「だが、文を出した後で、やはりこちらから出向くべきであったと気づいてな」

手紙に書かれていた午の刻より早く、教経は邸を出た。行き先はこの邸ではない。手土産の1つも必要だろうと、港に出向いて、新鮮な魚を手に入れてきた、とのこと。

「……ここに来た時は、手ぶらじゃなかったか?」

 将臣が首をひねると、教経はうなずいた。

「間もなく、届けられるはずだ」

 先に邸の調理場に寄り、下処理を頼んできたらしい。後はこの場で焚き火を起こし、焼き立ての魚を将臣に食べさせてくれるつもりだという。

 気持ちはありがたい。ただ、寄り道せずにまっすぐ来てくれていれば、今日の騒ぎは起きなかったかもしれない。聞けば、教経らの邸は、ここからいくらも離れていないそうだ。

「大切なお客人に、果たし状など送りつける気はない」

そう言った後で、教経は真顔で付け加えた。

「無論、将臣殿が俺と太刀を合わせてくれるというなら、それに越したことはないが……」

 例のでたらめな噂を、頭から信じ込んでいるらしい。

「あのな。期待してるとこ悪いんだが」

将臣は本当のことを話した。

太刀など使えない。重盛がどれほど強い男だったか知らないが、自分は違う。

 教経は黒目がちの瞳を、まん丸に見開いた。

「なんと。そうであったか」

「なんでそこまで驚かれるのか、俺にはわからんが……とにかく、そういうことだ」

「どうやら迷惑をかけてしまったようだな。すまぬ」

 大真面目な顔で詫びる教経。その横で、兄の通盛が頭を抱えている。

「今頃、気づいたのか……」

 もはや怒る気力もない、ただ疲れたという顔をしている。

「俺はまあ、実害がなかったからいいけどな」

と将臣は肩をすくめた。

教経に悪気がないことはわかった。……悪気がないだけに、タチが悪いタイプというやつだ。

教経がふっと相好を崩す。

「心の広い男だな。重盛殿を思い出す――」

 まだ何か誤解しているような気もするが、このさい聞き流すことにする。

「詫びの代わりと申しては何だが、ひとつ、今宵は俺の盃を受けてくれ。共に飲み、大いに語り合おうではないか」

 いそいそと焚き火を起こし始める教経。さっき言っていた土産の魚を、調理する気なのだろう。

 弟の大きな背中を眺めながら、通盛が深々と嘆息した。

「全く、人騒がせな男だ」

 将臣も同感だ。

「それはそれとして、俺たちも飲むとしよう」

 ぱん、と大きな手を打ち合わせる通盛。意外にあっさり、気持ちを切り替えている。

あんなことがあった後でも、あくまで飲むという予定は変えない。将臣には理解しがたいところだが、見れば、経正と知盛も盃を取り出し、互いに酒を酌み交わしていた。

清盛とおっさんたちは、ここには居ない。兄弟水入らずで飲むという約束を果たすため、姿を消した。

(深く考えたら負け、か)

この世界の常識と、自分の世界の常識は違うのかもしれない。そう思っておこう。

話をしているうちに、とっぷりと日が暮れていた。

この世界には電気も街灯もないから、夜はとにかく暗い。今夜は月も雲に隠れているようだ。おかげで、教経の起こした焚き火が、やけに明るく見えた。

パチパチと、火の粉が爆ぜる音も楽しげだ。昔、キャンプに行った時のことを、なんとなく思い出した。

やがて魚の焼ける香ばしい匂いが、辺りにただよい始めた。

「さあ、食べてくれ、将臣殿」

 教経が焼けた魚を差し出す。

「どうも」

と礼を言って、将臣は魚を受け取った。

 起きてから何も食べていなかったこともあり、捕れたて焼きたての魚は、文句なしにうまかった。

 飲み会が始まって、しばらくたった頃。

 暗い廊下の奥から、白猫が2匹、姿を見せた。

 魚の匂いにつられてきたのかと思えば、そうではなかった。さらにぱたぱたと可愛い足音がして、(みかど)が走ってきたのだ。四角い(かご)を持っている。

「待てーっ!」

と叫んで、猫たちの上から籠をかぶせようとする。ちょうど、蓋でもするように。

 身軽な猫たちは、ひょいと身をかわす。

「逃げるな!待て!」

 帝はじれったそうに籠を振り回す。遊んでいるようには見えない。猫たちをつかまえようとしているようだ。

「おいおい、何やってんだ。動物を(いじ)めちゃだめだろ」

と将臣は言った。

「虐めてなどおらぬ!」

 帝が言い返す。懲りもせず猫たちに籠をかぶせようとして……べちん、と大の字になって転ぶ。

「おい、だいじょうぶか?」

将臣は思わず腰を浮かせかけた。

 経正と通盛・教経兄弟も、「帝!」と顔色を変えて立ち上がる。知盛だけは微動だにせず、軽く眉をひそめて様子を伺っていた。

 帝はすぐに顔を上げた。おでこの辺りが赤くなっている。

「痛くなどない!私は泣いたりしないぞ!」

「帝――」

 経正がそっと帝を助け起こし、着物の汚れを払った。

「いったい何だってんだよ。あいつらがどうかしたのか?」

 将臣は猫たちを見た。

 猫たちもこっちを見ている。目が合うと、ふいと身を翻して、闇の中に姿を消した。

 将臣は足元に転がっていた籠を拾い上げた。

「これでつかまえようとしたのか?そりゃ、猫だって逃げるだろ」

「つかまえようとしたのではない!」

と帝は言い張った。

「京に行く時に、みんなが迷子になっては困ると思ったのだ!」

「……それで、これか?」

 引越しの荷造りでもあるまいに。

「帝、ご安心ください。京には猫たちも連れて参りますよ」

経正が言う。相手がこの国の帝だと知ってはいても、幼児相手に大人が畏まっているのを見ると、なんとなく妙な感じがする。

「ほら、だいじょうぶだってよ」

「だけど、だけど――京から福原に来る時、1匹迷子になってしまったのだ!」

 帝はうつむいて、口をへの字に曲げた。

「迷子……?もしや、揚羽(あげは)のことですか?」

 経正は驚いたように目を見張り、それからふっと笑った。

「揚羽は迷子になったのではありませんよ、帝。京に残ったのです」

 帝が顔を上げた。

「……本当か?」

「ええ。ですから、六波羅の邸に行けば会えますよ」

「本当に、本当か?」

「そうですね、知盛殿」

 なぜか話を振られた知盛は、盃を傾けながら、半分眠そうな声で答えた。

「あれは、六波羅が気に入っているようでしたので。邸の番をするつもりで残ったのでしょう」

 察するに、揚羽というのは猫の名前なのだろうが……番犬ならぬ、番猫というのは初めて聞いた。

「本当に、迷子になったのではないのだな?京に行く時も、みんなで行くのだな?」

 やけにこだわるな、と将臣は思った。

 よほどその猫がお気に入りだったのか、あるいは、引越しというイベントを前にして、些細なことにも不安を感じているのか。幼い子供のことだ、後者もあるかもしれない。

「帝がそれほどご心配ならば――」

知盛が立ち上がる。すたすたとこちらに歩いてくると、将臣の手から籠を取り上げる。

何をするつもりなのかと思って見ていると、そのまますたすたと廊下を歩いていってしまった。

「…………?」

 知盛はすぐに戻ってきた。

 両手に抱えた籠の中には、そっくり同じ毛並みの白猫が――3匹。身を寄せ合い、おとなしくおさまっている。

「……増えてるぞ」

 将臣は言った。

「?」

「あー、何でもない。それより、どうやってつかまえたんだ?」

「捕らえたわけでは……ない。京に戻るから……皆、この中に入れと言っただけだ」

「すごいすごい!さすが知盛殿なのだ!」

 帝はきらきらと尊敬のまなざしで知盛を見上げている。

「言っただけって……、猫語でも話せるのか?」

 知盛はそ知らぬ顔で、猫入りの籠を床に置いた。

「みんな、一緒に京に行くのだぞ」

 嬉しそうに籠の中に手をのばす帝。猫たちはおとなしくしている。見れば見るほど、よく似ている。

「三つ子みたいだな」

将臣のつぶやきに、経正が笑って相槌を打った。

「ええ、姉妹ですから」

「……メスなのか」

「正確には、七つ子ですが」

「まだ増えるのかよ?」

「はい。私の邸に1匹、通盛殿の邸に1匹、維盛殿の邸にも1匹……、それに六波羅に残った揚羽が居ますので、全部で7匹ですね」

「七つ子か……」

「もとは伯父上の邸で母猫を飼っていたのです。この子たちが生まれた時に、それぞれの邸に引き取ったのですよ」

 平家の7匹の猫。

 昔話のタイトルのようなものが、将臣の頭に浮かんだ。

「本当によく似ているので、私もたまに見間違う時があります」

 帝は自慢げに胸を張った。

「私には見分けられるぞ。この子が胡蝶(こちょう)。こっちが空蝉(うつせみ)で、こっちが蜻蛉(かげろう)だ」

 名前を呼びながら、3匹を順番に指差す。

 どこがどう違うのか、将臣には見分けがつかない。

「どれ、こやつらにも魚をやろう」

教経が焼いた魚を取ってきた。ちゃんと手でほぐして、冷ましてから食べさせてやるところが、見た目によらず細やかだ。

 将臣も試しに魚をやってみた。

 ぷいとそっぽを向かれる。

「なんだよ、俺の魚は食えねえってか?」

猫たちはにゃーおと鳴いた。なんとなく、馬鹿にされているような気がする。

「今朝は寝床を貸してやったろ?」

『うにゃあ』

「……おい、通訳してくれ」

 知盛に声をかけると、「知るか」という返事だった。

「私も、私もみんなに魚をやりたい!」

 帝にせがまれて、教経が程よく冷めた魚を、その小さな手に乗せてやる。

「ほら、みんな、ごはんだぞ」

 猫たちが籠から出てくる。3匹で押し合いながら、帝の手から魚を食べようとする。

「くすぐったいぞ」

と身をよじりつつ、帝は目を輝かせている。

 ま、いいか。

 猫と戯れる帝、というほほえましい光景を眺めつつ、将臣は少し焦げた魚をかじった。




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