還内府の章 六、一門の引越し(1)

 

 宴の翌朝は、妙に眠かった。

 酒を飲んだわけではないのだが、宴の空気に酔ったのかもしれない。鈍い頭痛がする。おかげで、なかなか寝床から出ることができなかった。

 誰も起こしに来ないのは、多分、将臣が客人として大切にされているから、なのだろう。

 しかし、他人の家で2日続けて朝寝というのも……。

「…………」

 起きるべきだと頭では思いつつ、体は動かない。

 ひたすら横になって目を閉じていると、誰かに呼ばれた気がした。

「………?」

 ごろりと寝返りを打ち、声のした方を見る。

 きのう帝が連れていた白猫が、床に座り、白い尾をゆらゆらと振っている。

……2匹居る。

将臣はまばたきしてみた。

そっくり同じ毛並みに、そっくり同じポーズ。一瞬、目の錯覚かと思った。

『ニャーオ』

 2匹が声をハモらせる。

「……なんだよ、俺に何か用か?」

 将臣は起き上がった。猫たちが近付いてくる。そして、するりとふとんの中に潜り込む。

「おい、どうし……いてっ!何すんだ」

 猫たちにひっかかれ、追いたてられて、将臣はふとんから這い出した。

『ニャーオ』

寝床を乗っ取った猫たちが満足そうに鳴く。

別に、将臣に用があったわけではないらしい。

今日も邸の中は寒い。凍えた猫たちが、朝寝をしている将臣を偶然見つけ、これ幸いと寄ってきた、ということか。

 こうなっては仕方ないので、起きることにする。

(腹減ったな……)

 今は何時頃だろう。この腹具合からして、確実に朝食の時間は過ぎている。

寝巻き代わりに着ていた無地の着物を脱ぎ、自分の服に着替えてから、将臣は部屋を出た。

 いい天気だ。……しかし、気の短い冬の太陽は、早くも傾き始めている。

朝寝どころの騒ぎではない。我ながら、寝過ぎだ。

だが、眠い――。もしや時差ボケならぬ、時空ボケだろうか。

「失礼致しますわ。そこを通してくださいませ」

 背後から、女の声がした。

 昨夜の宴でも見かけた、十二単(じゅうにひとえ)の女性たちだった。

全部で4、5人は居ただろうか。ぼんやり突っ立っている将臣を押しのけるようにして、せかせかと通り過ぎていく。

手に手に、飾りのついた小箱や火鉢、鏡などを抱えている。何やら忙しそうだ。

そういえば、寝床を出て初めて気づいた。

人の声、足音、物を運び出す音――。

邸全体が、なんとなく騒がしい。

「おお、起きたか、将臣」

今度は清盛がやってきた。将臣が返事をするより早く、

「そなた、馬には乗れるか」

「は?」

 とっさに、質問の意味が理解できなかった。

「馬に乗ったことはあるか」

「いや……乗馬の経験はねえけど」

 意味がわからないまま答えると、

「そうか。ならば、輿(こし)に乗せるのがよいかのう」

 清盛はすぐに(きびす)を返して立ち去ろうとした。何ともせわしない。

「おい、ちょっと待てって。いったい何の話だ?」

 清盛が立ち止まる。振り向いた顔は、愉快そうに笑っていた。

「何の話、ではあるまい。京へ行くと申したであろうか。まさか、もう忘れたか?」

「あー、そういや……」

 言っていた。最初に会った日も、昨夜の宴でも。

 正確には、『京に戻る』と言っていた。詳しい事情はまだ聞いていないが、つまり彼らは、もともとその『京』に居て、何か理由があって今回、帰ることになった。そういうことらしい。

 この世界が過去の日本、もしくはそれとそっくりなパラレルワールドなのだとしたら、「京」とは、今の京都のことだろうか。

 平城京とか長岡京とかいうのもあったはずだが、あれは源平合戦よりもっと前だった気がする。

将臣が考え込んでいると、ふいに清盛が言った。

「そなた、その手はどうした?」

「あ?手?」

「何かの爪跡のようだの」

 言われて気づいた。右手の甲に、細いひっかき傷ができている。

「ああ。さっき、猫と遊んでたんだ」

 清盛は事情を察したらしい。軽く顔をしかめて、

「すまぬな。我が子らが可愛がり過ぎるゆえ、わがままに育ってしまったようでの」

「このくらい、別にどうってことねえさ」

「かばわずともよい。手を出せ」

「?」

 将臣は素直に従った。すると、清盛は傷口に手をかざし、ぶつぶつと、意味不明の言葉をつぶやき始めた。

「オン・コロコロ・センダリ・マトウギ・ソワカ……」

 一瞬、その指先が白い光を放つ。

「……っ!」

 将臣は息を飲んだ。右手に心地よい温もりを感じたかと思うと、できたばかりの傷が、見る間に癒えていく。

「すげ……魔法か?」

 まじまじと自分の手を見る。もはや傷の痕さえ残っていない。

「ただの癒しの術よ。珍しいものではない」

清盛は平然としている。

 しかし、今のは驚いた。ずっと半信半疑だった『異世界』という言葉が、初めて実感できたような気がした。

「京には明後日、出立する。それまでは多少、騒がしくなるやもしれぬが、そなたは楽にしておれ。この邸を自分の邸と思って、ゆるりと過ごすがよいぞ」

 そう言って、清盛はやはりせわしなく立ち去っていった。

 将臣はまだ驚きから覚めぬまま、傷の癒えた右手を意味もなくひらいたり閉じたりした。

ふと、背中に人の気配を感じた。

清盛が戻ってきたのかと思えば、そうではなかった。そこに立っていたのは長い黒髪の女性――さっき、荷物を抱えて通り過ぎていった気がする。

「申し訳ございません、忘れておりました。お休みの間に、こちらの(ふみ)をお預かりしておりましたわ」

愛想良くにっこりほほえみながら、折り畳まれた白い紙を将臣に差し出す。

「……文?」

門脇(かどわきの)宰相(さいしょう)殿のご子息、(のり)(つね)様から、でございます」

 ノリツネ、ノリツネ……。

 知らない名前だった。昨夜は大勢の人間に挨拶されたから、もしかするとその中に居たのかもしれないが……少なくとも、文などもらうような心当たりはない。

「では、わたくしはこれで」

 女性が立ち去ろうとする。清盛同様せわしないのは、多分、引越しの準備中なのだろう。

本当は、差出人について、もう少し詳しく教えてほしいところだが、邪魔をするのも悪い気がした。

ひとまず廊下に腰を下ろし、受け取った文とやらをひらいてみる。

墨で書いたとおぼしき流麗な文字。辛うじて日本語らしいことは読みとれるものの、判読は不能だ。

 やはり、誰かに読んでもらうしかない。辺りを見回し――都合よく知った顔を見つけた。

 遠目にも目立つ、銀色の髪。

 知盛、ではない。弟の、重衡の方だ。何やらふわふわした足取りで、こちらに歩いてくる。

「よう、おはようさん」

 声をかけても気づかない。

重衡の目は虚ろだった。妙な病気にでもかかったのかと思い、

「おい、どうした?」

と、その肩を叩く。

ようやく、重衡が振り向いた。

「ああ……将臣殿。どうかなさいましたか?」

「こっちが聞いてんだって。どっか具合でも悪いのか?」

 将臣の問いに、重衡は上の空で話し始めた。

「それが……福原を離れる前に、こちらで親しくさせていただいた方々にご挨拶に行ってきたのですが」

「へえ。そりゃ、律儀なことで」

「帰り道、美しい琴の音を聞いた気がするのです。その音色が耳を離れず……」

 重衡はぎゅっと目を閉じ、苦悶の表情を浮かべた。

「ああ、だめだ。やはりあの音色の主を確かめなければ。さぞや美しい女性に違いない――」

 やおら廊下を引き返していく重衡。

将臣は無言でその背中を見送った。

妙な病気と思ったのは、どうも恋の病らしい。もしかすると、「親しく」していた相手というのも女のことだろうか。

 まあ、どうでもいい。

 ひとまず服のポケットに手紙を押し込み、誰か暇そうな人間は居ないかと、邸の中を散策する。

 掃除をしている女性、荷物を運び出していく男たち……誰もが忙しそうだ。

 歩いているうちに、立派な門が見えてきた。

門番が2人、立っている。将臣の顔を見ても怪しむ素振りはなく、「どうぞ、お通りください」とでもいうように頭を下げた。

別に出掛けようと思ったわけではないのだが……ここまで来たついでだ。少し外の空気を吸ってくるかと思い、将臣は門をくぐった。

潮風が吹きつける。一瞬、将臣は息を飲んだ。

見下ろす斜面に、町が広がっていた。

邸が建っているのは、小高い丘――いや、山の上だったらしい。遠くに海が見える。白い波頭が、日の光を受けて輝いている。

昨夜は気づかなかったが、なかなかいい眺めだ。将臣が感心していると、

「ああ、ちょうどようございました」

と、声がした。

緩く傾斜した道をこちらに登ってくるのは、(さね)(もり)である。

「ご報告が遅れましたこと、お詫び致します。実は、昨日(さくじつ)お伺いした件なのですが」

 昨日の件?

 というと、もしや望美と譲の行方が――。

「何かわかったのか?」

 将臣は息を弾ませて駆け寄った。

しかし実盛は浮かない顔をしていた。

「それが……どうもこの福原には、ご身内のお姿を見た者は居ないようで……」

 知り合いの役人や商人など、あちこち当たってみたのだそうだ。

その結果、見慣れない妙な格好をした若い男がうろついていた、という情報はあった。が、どうもそれは将臣自身のことであるらしい。

「そうか……」

 さすがに将臣は気落ちした。

この町に居ないというなら、ではどこに居るのか。この状況では、手がかりさえ思い浮かばない。

「お役に立てず、申し訳ございません」

 実盛は本当に申し訳なさそうな顔をした。

「あ、いや。忙しいのに、悪かったな」

実盛とて暇ではないはずだ。わざわざ骨を折ってくれたことに感謝こそすれ、謝ってもらうなど筋が通らない。

「福原では見つかりませんでしたが……京に行けば、何か手がかりがあるやもしれません」

 実盛は将臣を力づけるように言った。

「京?」

「はい。京はこの国の都。国中から人や物、噂の(たぐ)いが集まる場所ですので」

 将臣はわずかに身を乗り出した。

「その『京』っていうのは――」

 京都のことか、と尋ねようとして、それでは通じないかもしれないと聞き方を変える。

「有名な観光地――じゃない。寺とか神社がたくさんある所か?」

 かなり要領を得ない質問に、実盛は少し考えてから答えた。

「京で有名な寺や神社……というと、仁和寺(にんなじ)東寺(とうじ)……六波(ろくは)()の近くですと、清水寺(きよみずでら)祇園社(ぎおんしゃ)などでしょうか」

「ああ、それだ、それ」

 中学の修学旅行は京都に行った。清水の舞台に上り、東寺の五重塔も見た。

「やっぱり京都のことなんだな……」

「?」

「いや、こっちの話だ。で、その京ってのは、ここから遠いのか」

 京都なら、だいたいの場所はわかる。知りたいのは、この福原という耳慣れない名前の町が、日本のどこにあるのか、だ。

「遠い、というほどでもございませぬ。(それがし)、所用のたびに何度も往復しておりますゆえ。急げば、馬で半日でございます」

京都まで半日。

……と、いうことは、おそらくそう遠くではない。せいぜい兵庫か大阪か、奈良……には海がない。

「『京』か……」

この国の都。国中から、人や噂が集まる場所。そこに行けば――実盛が言うように、望美や譲の行方もつかめるかもしれない。

たとえ小さな可能性でも、ないよりはマシだ。

 彼らと共に京に行き、2人を探す。

期せずして清盛の客人となった幸運に乗っかる形になるが、今は他に方法が思い浮かばない。

「出発は明後日だったか?」

「は。一門の(おも)だった方々はその予定になっております」

 道理で、邸の中がバタバタしているわけだ。

「京の知人にも(ふみ)を出しておきましょう。何かわかれば、すぐに知らせが入るはずです」

「色々ありがとうな。本当に、恩に着る」

 将臣は心からそう言った。しかし実盛は真顔で首を振り、

「大殿のお客人をお助けするのは、平家の家人(けにん)として当然のことでございます」

 つまり清盛への忠義、ということなのだろうか?

 そういえば――望美たちのこと、清盛にはまだ話してもいなかった。

 なんとなく打ち明けるのをためらっていたのだが、この先はそうもいくまい。あらためて事情を話し、助力を請うべきだろう。

「では、某はこれにて」

「ああ。本当に、色々ありがとうな」

 もう1度、実盛に礼を言ってから、将臣は邸の中に引き返した。



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