還内府の章 五、平家一門の宴(2)

 

 月が昇っている。

 宴席を離れた将臣は、ひとけのない廊下を適当にぶらついた。

「……ん」

 廊下の途中に、誰か居る。

 月を見ながら1人、(さかずき)を傾けている。

知盛だった。

「……よう」

 目だけでこちらを見て、けだるい挨拶をよこす。

「ああ、なんだ。ここに居たのか」

 宴が始まった直後から、姿が見えないと思っていた。

「宴は……退屈だ」

 そう言いつつ、酒の肴だけはしっかり持ち出してきたらしい。知盛の傍らに置かれた皿の上には、料理が並んでいる。

「まあ、な。けど惜しいことしたな」

「?」

「もうちょっと我慢してりゃ、いいもん聞けたのによ」

「……経正殿の琵琶か?」

将臣は少し驚いた。

「なんだ。もしかして、ここまで聞こえたのか?」

「聞こえた。……妙な叫び声もな」

 将臣はぽりぽりと頭をかいた。

「あー、そりゃ多分、俺だ」

「わかっているさ」

 うっすらと、知盛の口元に笑みが浮く。馬鹿にしているのか、からかっているのか。どちらにせよ、

(もしかして、性格悪いか、こいつ)

と、将臣は思った。

「一切れもらうぞ」

 相手の返事も待たず、皿の上から鶏肉らしきものをつまんで、口に入れる。

 静かだ。ここに居ると宴のにぎわいも遠い。

 月の光が明るく照らし、庭の白砂がぼんやり輝いている。

 幻想的、と表現してもいい。そんな光景を眺めていると、これが現実だということがいよいよ信じられなくなってくる。

「月は……月だよな」

 将臣はぽつりとつぶやいた。

 頭上にある月は、故郷・鎌倉から見上げていた月と同じ姿をしている。世界が違うというなら、いっそ四角い月でも出ていればわかりやすいものを。

「異界とやらにも……月はあるのか?」

 同じようにぽつりと、知盛が言う。

「異界、か。正直、実感わかねえ」

 投げやりに言って、将臣は頭をかいた。

「けど、現実なんだよな。いい加減、受け入れるしかねえか」

 実感がわかないと言っていたところで、この状況が変わるわけではない。覚悟を決めて、今後のことを考える他あるまい。

「父上の話では……その異界とやらは、こことよく似た世界だとか?」

 盃に酒をつぎ足しながら、知盛が言う。

 抑揚のない、ゆっくりとした話し方。最初に会った時にも思ったが、会話に独特のペースがあるようだ。

「まあな。あんたは信じてる方か?俺が別の世界から来た、って話」

 知盛はまた口元だけに薄く笑みを浮かべた。

「言っただろう?嘘でも真実でも……どうでもいい、と」

「はあ、そうか。似てるって言っても今じゃなくて、大昔と似てんだよ。七九四(なくよ)ウグイス平安京……じゃない。一一九二(いいくに)作ろう鎌倉幕府……だから、だいたい八百年前か」

 歴史の年表をそらんじる。知盛は黙って聞いていた。

「そんで、俺らの世界にも、昔、平清盛って奴が居たんだ。あと確か……安徳帝ってのも居たな」

 歴史に疎い自分が、なぜ覚えていたのか。一瞬考え込んだが、答えはすぐにわかった。

 その幼い帝が、印象に残るような、悲劇的な最期を遂げたからだ。

 祖母に抱かれて、海に沈む、という……。

(――祖母?確か、尼さん姿の……)

 時子の顔が脳裏をよぎる。

小さく頭を振って、将臣は嫌な想像を打ち消した。

 所詮、うろ覚えの知識だ。ここの人たちには関係ない。

「こんな話、いきなり聞いても信じられねえだろ?」

「鎌倉……平安京……」

 知盛がつぶやく。

「頼朝の本拠である鎌倉が……京と並び称される……?」

「あ?何の話だ?」

 知盛は答えない。ぼんやりと宙を見つめて、独り言のように言葉を紡ぐ。

「朝廷が、頼朝を認めた、ということか……?クッ……ありえんな……」

 意味不明なことを言って、1人で笑っている。本当に変な奴だな、と将臣は思った。

「もっとも……平家が(いくさ)に敗れ、源氏に京を明け渡す……とでもいうなら、話は別か……」

「ち……ちょっと待て」

さすがに将臣は面食らった。

「なんでそうなるんだ?話が飛び過ぎ――」

「クッ……何を焦っているんだ?まさか、その通りだ、とでも?」

「…………」

 将臣は言葉を失った。細かい状況はともかく、平家が源氏に負ける、というのは確かにその通りだったはずだ。

 一瞬、知盛の笑みが消える。

「なるほど、な……」

 表情を読まれた。そう気づいた時には遅かった。

「この戦に勝つのは源氏か……なるほど……」

 知盛は1人納得したようにうなずいている。

 だから、ちょっと待て――。

 たったあれだけの情報で、なんでその結論になる。カンがいいにも程があるだろう。

 自分が迂闊(うかつ)だったのか?

たとえうろ覚えの知識であっても、歴史は歴史。ここが過去ではなく、よく似た異世界だとしても、気安く口にすべきではなかったのか――。

「……どうした?なぜ黙っている?」

 知盛が言う。

 じっとこちらを伺うその目は、将臣の反応を待っているようにも見える。

 相手にも確信はないのかもしれない。だとしたら、まだとぼけることもできるかもしれないが……。

 沈黙を続ける将臣に、

「……そう警戒するなよ。ただの酒の上の戯れ……だろう?」

と知盛は言った。

「戯れ?……冗談、だったのか?」

 微妙に気が抜ける。

 知盛はクックッと笑った。

「それで?いつ、平家は負ける?」

 なんとなく、からかわれているようでもある。相手が何を考えているのか、将臣にはさっぱり読めなかった。

「言っとくが、俺の世界の話だぞ。おまえらには、多分関係ない」

 どうでもいいさ、と知盛は肩をすくめた。仮にも平家の一員である知盛にとって、どうでもいい話ではないと思うのだが……。

「それで?いつだ?」

「……さあな。忘れた」

「隠すなよ。所詮おまえの世界の話……だろ?」

「隠しちゃいねえ。自慢じゃないが、歴史には詳しくないんだよ、俺は」

 嘘ではない。将臣が覚えているのは、ごく断片的な知識のみ。

「だが、父上の名は知っていた。帝のことも、か」

 知盛は盃を下に置き、将臣を見た。既に笑ってはいない。その目は、ぞっとするような冷たい光を放っている。

 将臣は目をそらさなかった。

「名前だけは、な」

 それは嘘だ。

 だが、自分が知っていることを、今ここで言う気はない。

 しばし互いに無言のまま、時が過ぎ。

「こんな場所にいらっしゃったのですね、兄上」

 背後から聞こえた声に振り向くと、知盛とよく似た銀髪の男が立っていた。

 さっき、遠目に見た時にも似ていると思った。

こうして近くで見ると、思った以上だ。年齢はいくつも違うまいし、背丈も似たようなものだろう。多分、双子と言っても通じる。

「……重衡(しげひら)か」

 知盛が不機嫌そうにつぶやいた。

「なぜ気配を消していた?」

「申し訳ございません。お客人とどのような話をされているのか、興味があったもので」

 おい、盗み聞きか。と、将臣は思った。

「賊と見誤り、斬ったとしても……文句はないな?」

「いえ、困ります」

 物騒なセリフを平然と言う兄、それをあっさり流す弟。

「……何の用だ」

「はい。叔父上方がお探しにございます。大切なお話があると」

 重衡の答えに、知盛の眉が寄った。

「面倒だな……。おまえが適当に聞いておけ」

「そうはいきません。どうかお戻りを」

「…………」

「兄上。お戻りにならねば、宗盛兄上もお困りにございます」

小さくため息をついて、知盛が立ち上がる。

「……またな。有川将臣」

「ああ。また、な」

 知盛が立ち去っていく。重衡の方は、後に残った。

 じっと見つめてくる。透明感のある紫の瞳で。もしも将臣が女性だったら、何か誤解が芽生えそうなほど熱心に。

「なんだよ。俺の顔になんか付いてるか?」

「いえ。失礼致しました」

 小さく首を振る重衡。

兄とはタイプが違うようだが、こいつも何を考えているのか、よくわからない。

まるで人形のように整った顔立ちのせいかもしれない。感情、というものが読みにくい。

「ただ、兄上が人の名前を覚えてしまうのは珍しい、と思いましたもので」

「そうなのか?そんな物覚えの悪い奴には見えなかったけどな」

重衡はまた小さく首を振り、

「覚えるのが苦手、というわけではありません。興味のないことは始めから覚えようともしないか、すぐに忘れてしまう方なのです」

 将臣はあきれた。

「なんだそりゃ。だったら、俺も次に会ったら忘れられてるかもしれない、ってことか?」

「いえ。将臣殿のことは、きっと覚えていらっしゃいますでしょう」

 かすかに、重衡がほほえんだ。

 急にそれまでの印象が変わり、親しみやすい表情が現れる。そのことに内心驚いていると、重衡は小さく頭を下げて言った。

「ご無礼をお許し下さい」

「あ?何を謝って……ああ。さっき立ち聞きしてたことか?」

「いいえ。実をいうと、お話は聞こえませんでした。もっと近付けば聞こえたのでしょうが、兄上に気づかれてしまったでしょうから」

「だったら何のことだよ?」

 首をひねる将臣に、

「兄上が、何かご無礼を申し上げたのではありませんか?」

と、真顔で尋ねてくる重衡。

「いや、別に……」

 ご無礼、とは違う。

 しかし、さっきの会話は結局なんだったのか――知盛自身がそう言っていたように、単に酒の上の冗談だったらいいのだが。

「そう……ですか」

 将臣の答えに、重衡は少しだけ考え込むような表情を浮かべた。やがて小さく笑って、

「兄上は、よく人を困らせたり、怒らせてしまうので。初めての方には、お詫びするのが習慣になっておりました」

「……大変なんだな。色々と」

「はい。大変でございます」

 しれっと答える重衡を見て、弟を持つ兄の立場である将臣としては思うところもあったが、口にはしないでおいた。

「そろそろお戻りになりませんか。ここは冷えますので」

 確かに、いつまでも抜け出したまま、というわけにはいくまい。

「そうだな。戻るか」

 将臣は立ち上がった。

 重衡の後について宴に戻ると、あでやかに着飾った女性たちが寄ってきた。

「重衡様、どちらにいらっしゃったのですか?」

「先程のお話の続きを聞かせてくださいませ。皆、楽しみにしておりますのに」

「申し訳ございません、皆様」

 女性たちに囲まれて、重衡はあっという間もなく行ってしまった。

「…………」

 戻ってはきたものの、さてどうするか。

 辺りを見回す。大勢の人々が宴に興じている。

 少し離れた場所に、知盛が居る。重衡の言っていた『叔父上方』なのだろうか。年配の男たちに囲まれて、面倒くさそうにしている。

 他に誰か知った顔は――。

「将臣殿」

 聞き覚えのある声に呼ばれて、将臣はなんとなくホッとした。

「ああ、実盛さんか」

「少しよろしいでしょうか。維盛様がご挨拶をと」

「これもり?あ……さっきの」

 実盛の影でうつむきがちに立っているのは、先程から姿を探していた青年だった。

「助かった。俺も言いたいことがあったんだ」

「わたくしに、でございますか……?」

 不安げに顔を上げる維盛。

 とはいえ、あらためて口にするとなると……どう言ったものだろう。

 実盛が気を遣って、

「ここは騒がしゅうございますゆえ、こちらに」

と招いた。

 再び、誰も居ない庭に出る。

「さっきは悪かったな」

 結局、将臣は率直に話を切り出すことにした。

 維盛は驚いたように首を振り、

「いえ、お詫びを申し上げねばならないのは、わたくしの方でございます。本当に、申し訳ございませんでした」

「あー、けどな」

 ぽりぽり、後ろ頭をかく。

「……あのな。自分の親のこととか、色々言われんのは気分悪いだろ。しかも異界から来たとかいう、わけのわからん奴と比べられて」

「…………」

 維盛は驚いた顔のまま、将臣を見つめた。

「お気遣い感謝致します。あなたは、お優しい方なのですね」

ほほえみ――というほどではないが、少しだけ緊張の緩んだ表情を見せる。

「ですが先程は、やはりわたくしが悪かったのです。おじいさまのお気持ちを壊すようなことを、申し上げるべきではありませんでした」

 それでも、と維盛は続けた。

「わたくしにとって父上は、けして他の方と比べることのできない、ただ1人のお方なのです」

 よほど父親のことを尊敬しているらしい。将臣は無論、その父親を知らないわけだが、維盛の言っていることは理解できた。自分の親を、会ったばかりの他人と比較することなどできまい。

「いや、当然だろ。清盛も、別に怒ることねえのにな」

 そう言うと、維盛はまた下を向いてしまった。

「おじいさまは、弱い者がお嫌いなのです。富士川の合戦で、敵と戦わずして逃げたわたくしのことを、いまだお許しになっていない……」

 実盛の表情が強張った。

「あの戦に敗れたは、けっして、若君お1人の責にはございません」

 真剣な口調で訴える。しかし維盛はうつむいたまま、

「そのように呼ぶのはやめておくれ、実盛。わたくしはもう、一門を継ぐ者ではないのだから」

「ですが……」

「おじいさまがそうお決めになった。あの方の期待に応えることができなかった、わたくしが悪いのだ……」

「…………」

 将臣は黙って2人の会話を聞いていた。

 何やら事情があるらしい。深刻な空気は、苦手だ。

「申し訳ございません」

と維盛はまた言った。

「お客人の前で、愚痴めいたことを申しました」

「いいさ。愚痴なんて、誰でも言うだろ」

「いえ。かようなところが、武士としてあるまじき女々しさなのでございます」

 維盛は妙にきっぱり言い切った。

「わたくしに、もっと強さが……父上のような強さがあれば、帝をお守りし、おじいさまのお役に立つこともできましょうに」

 ふっと肩を落とす。

「……おじいさまも、本当はお優しい方なのでございますよ。ですが、お若い頃からご苦労をされて……強くなければ、一門を守り支えることができなかったのでございましょう」

 気弱な青年の瞳に、飢えた獣のような光が一瞬、灯る。

「わたくしにもその強さがあれば――」

 そう言ったきり、口をつぐんでしまう。じっと、思いつめたような表情を浮かべて。

なんとなく声をかけるのもためらわれて、将臣も黙っていた。

沈黙は数分も続いたろうか。やがて、維盛がハッと我に返る。

「申し訳ございません、またおかしなことを申しまして」

「いや、別に――」

「今宵はもう失礼させていただきます。本当に、申し訳ございませんでした」

 詫びの言葉を繰り返しながら、維盛は立ち去っていった。

実盛もついていく。1度だけ振り返り、将臣に頭を下げる。

「…………」

将臣は無言で2人の姿を見送った。

謝るつもりが、結局はまた悪いことをしてしまったような、何とも後味の悪い気分だった。



六、一門の引越し に進む


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