還内府の章 三十四、寿永元年秋(3)
今からおよそ2年前。
東国の反乱鎮圧のため、都を発った平家の軍勢は、およそ1万。それが目的地にたどりつく頃には、7万を越える数にまで膨れ上がっていた。
平家の軍勢は、国のトップである朝廷の命令で動いている。つまり、お上の権限によって、各地の兵を徴集していくことができるのである。
一見、便利な話だが、問題がある。それは集められた兵が、平家と直接の関わりはない、ということ。
彼らにとっては、命じられたから戦うだけの利のない戦だ。もともと士気が高いとは言えないところに、兵糧の不足などもあって、大軍の統制が思うようにいかなかったらしい。
一方の反乱軍である。
実盛が言うには、東国では古来より土地を巡る争いが絶えず、さまざまな勢力が割拠してきた。
京とは異なる文化と伝統を持ち、都と離れている分、朝廷からの独立心も強い。
もともと勢力争いをしていただけに、けして一枚岩というわけではなかったが、それでも「自分たちの土地」を朝廷から守るという強い目的意識のもと集結していた。
その数、十万以上。兵の数においても、追討軍を大きく上回っていたのだ。
ろくな補給もないまま、一月近くも旅を続けてきた追討軍では、始めから勝てるはずもなかった――。
聞いていた将臣はなるほどと思ったが、知盛は話が終わる前から、すでに興味を失ったような顔をしていた。
「そんな話か……」
「そんな話か、っておまえな。他人事みたいに言うなよ」
将臣を無視して、知盛は冷たい目を実盛に向けた。
「つまり……敵を甘く見た一門の失態だ。総大将の維盛殿に責任はない、と」
「あ、いえ。全く責任がない、とは申しませんが」
口ごもる実盛を見て、将臣は助け舟を出したくなった。
「あれだろ。戦わずに逃げた、ってのが間違いだって言いたいんだろ。そんな状態なら、戦わなくてむしろよかったんじゃねえのか?」
知盛は、あくまで実盛から視線を外さない。
「兵を退く機会なら……いくらでもあったはず、だがな?」
実盛は下を向いてしまった。
「はい……。維盛様にも、平家の嫡流として、功なり名遂げん、というお気持ちはあったものと思われます。伊藤殿がお止めになっていなければ、あのまま無謀な戦いを挑み、命を落とされていたやもしれません」
伊藤とは、平家の有力家人の1人、伊藤忠清のことである。維盛の乳父――教育係でもあるとかで、『維盛派』の筆頭と言っていい。
「あの維盛が『無謀な戦い』ねえ……」
将臣には想像できない。そもそも、維盛が鎧兜をまとい、戦場に立っている姿が思い浮かばない。
将臣の知る維盛は、楽を奏で、舞をたしなみ、風流を愛す。宮中の女官たちにも人気の、優雅な貴公子だ。
おとなしく控えめな性格といい、正直、戦なんて向いてないんじゃ――と思うが、それを口に出したら失礼に当たるのだろう。維盛は武士なのだから。
「まあ……どうでもいい。すんだことだ」
知盛が言う。将臣は思わずツッコミを入れた。
「いや、どうでもよくはねえだろ」
「はい、よくはありません」
実盛も顔を上げ、知盛と正対した。
「維盛様のせいではない、と申し上げたのは、某の間違いでございました。維盛様お1人のせいではない、と申し上げるべきだったのです」
どうでもいい、と知盛は繰り返した。
「次の戦は、維盛殿が率いていけばいい。それで富士川の汚名も消せる。……満足、だろう?」
「いや、満足とかいう以前に、ちゃんと勝てんのか?」
将臣は再度ツッコミを入れた。
一瞬、沈黙が落ちた。
実盛が驚いたように目を見開き、知盛は「クッ……」と口元を歪ませる。
「なんだよ、なんで笑うんだ?そこが肝心なとこだろ?」
「おまえでもわかる程度のことが――」
「あ?」
「一門の中には、わからない者も居る。なぜ、だろうな?」
「何言ってんだ?わかるように話せって」
知盛は愉快そうに笑っているだけだ。代わりに、実盛が言った。
「将臣殿の仰る通りにございます。平家は武門の家柄。かつて平治の乱で勝利したからこそ、今日の繁栄があるのです。負ければ全てを失い、賊軍の身に落ちましょう。今の源氏がそうであるように……」
「言うじゃないか、斉藤」
ようやく、知盛が笑うのをやめた。
「そういう話なら悪くない……。もっと言ってやったらどうだ?宗盛兄上や……叔父上方にも」
「申し上げました」
「……ほう」
かすかに眉を上げて、意外そうな表情を作る知盛。
「ですが、普通に戦えば平家が負けることはありえぬと、そう思われているようで……」
「……だろうな」
ちらりと、知盛の目がこっちを見た、気がした。
平家の敗北。それは将臣の世界では、過去に実際あった「歴史」だ。
一応この世界の人たちには秘密にしているが、以前、知盛にだけは、うっかり漏らしてしまったことがある。
ほんの一言、二言だ。知盛が本気にしているかどうかも怪しい。いや、おそらく本気にはしていないだろうと、将臣は思っているが。
いっそ、全て打ち明けるのも1つの手かもしれない――。
一門の敗北を知れば、こいつも少しは危機感を持つだろう。どうでもいい、などと言わずに、真面目に考える気になるやもしれぬ。
ただ。
将臣の知っている歴史では、源氏に敗れた平家は、そのまま滅亡の道を辿る。
一族の多くが討ち死に、女たちも海に身を投げる、という悲惨な最期だったはず。
それを告げるのは、いくら相手が知盛でもためらわれた。
この世界でもそうなる、と決まったわけではないのだ。加えて、将臣自身の知識もかなり曖昧である。
具体的に、平家が負けるのは何年後か。それもわからない。
将臣が知っているのは、あくまで有名な歴史上のヒーロー・源義経に関する逸話であり、平家について詳しく学んだわけではない。
逆に言えば、義経の名前が出てくるまでは、まだ余裕があるということになるが。
「あー、実盛さん。話は色々あるだろうけど……そろそろ、出掛けねえか?」
「は?」
実盛がきょとんとする。
「ほら、また剣の稽古つけてくれって。実盛さんの邸でさ」
「…………?」
唐突に話を切り上げようとする将臣に、実盛だけでなく、知盛も怪訝なまなざしを向けてくる。その理由――廊下の奥に宗盛が姿を現したことには、まだ気づいていないようだ。
逃げるが勝ちだ。
将臣は問答無用、実盛の肩を押した。
その後、兄弟の間でどんなやり取りがあったかは知らない。ただ、庭を出て、邸の門が視界に見えてきた辺りで、宗盛の怒鳴り声が背後から聞こえた気がした。