還内府の章 三十四、寿永元年秋(2)

 

 早起きは三文の得、というのは嘘なのか。今朝は珍しく早い時間に目が覚めたので、ガラにもなく紅葉など眺めていたら、これだ。

「はあ……」

 将臣は廊下に腰を下ろした。何もしていないのに、妙に疲れた気分だった。

「おはようございます、将臣殿」

 声に振り向けば、庭先に、1人の老人が姿を現していた。

 斉藤(さね)(もり)。この世界に来てから、何かと世話になっている平家の武士である。

 (よわい)70、烏帽子からのぞく髪はすでに真っ白だが、立ち姿は端正で、背筋ものびている。

主君の清盛から「異世界からの客人」である将臣の世話を任された経緯があり、清盛亡き後も、その役目を忠実に果たしてくれている。

将臣に剣の手ほどきをしてくれたのも彼だ。たまに時間があると稽古に付き合ってくれるし、特に用がなくても、こうして顔を見せてくれることも多い。

「おはようございます、実盛さん」

 将臣はあいさつを返した。実盛は少し不思議そうな顔をして、

「宗盛様がお見えになっていたようですが……。何かございましたでしょうか?」

「別に、大した用事じゃないさ。例の宴のことだってよ」

「宴の……」

「ああ。こんなご時世に、宴なんてやってる場合なのかね。そのうちまた戦があるんだろ?」

 将臣はそう聞いている。東国の反乱鎮圧のため、大規模な遠征軍を派兵する計画があるのだ、と。

 正確には、東国への派兵は、今回で3度目になるらしい。

 最初は2年前。清盛の孫・維盛が総大将を務めた「富士川の戦い」。これは色々あって、戦うことなく兵を退いた。

 2度目は昨年。亡き清盛の遺言で行われた派兵で、平家が大勝したが、飢饉の影響もあって決着をつけるには到らず、休戦状態になった。

 3度目の派兵の、具体的な時期はまだ決まっていないらしい。ただ、かなり大がかりな遠征になる、という噂だ。

「それは……確かに……

 実盛の眉間にしわが寄る。

「かような時に祝いの宴とは、いささか悠長に過ぎるやもしれませぬな」

 将臣は少し驚いた。いつも穏やかな実盛にしては、強い口調だったからだ。

「次の戦には、平家の命運がかかっていると言っても過言ではございません。一門の総力を挙げて、これに備えなければ」

 実盛は強い口調のまま言い切った。

「次の戦は、おそらく北になるでしょう」

「北?東じゃないのか?」

「は。北陸道は京に近く、兵糧の供給地としても重要でございますので。来るべき東国出兵に向けて、制圧の必要がございましょう」

 ……そういえば、前に経正が似たようなことを言っていた気がする。

 北陸への出兵は、今から1年ほど前にも行われた。その時の副将が経正で、大将は門脇家の長男・(みち)(もり)だった。

詳しい経緯は知らないが、ろくに成果を上げられないまま、数ヶ月で兵を引き上げることになった――と聞いている。

「そういや、通盛の奴、雪辱に燃えてたっけな」

 いわば敗戦の将として、このままでは終われないと燃えていた。

 実盛は慌てたようだ。

「通盛様は、平家でも有数の将にございます」

とほめてから、その「有数の将」がなぜ勝てなかったのか、フォローする。

「ただ、昨年は兵糧の不足などもあって、思うように戦えませんでしたので……」

 腹が減っては、戦はできぬ。ここでも飢饉の影響が出たわけだ。

 ともあれ、再び北陸に出兵するというなら、同じ失敗は繰り返せないはずである。

「対策とか、どうなってんだ?」

 将臣が尋ねると、実盛はやや困ったような顔をして、

「対策……と申しますか。現在、一門の中で問題になっているのは、次の戦の総大将を誰が務めるか、ということで……」

「…………」

「……意見が割れているのです」

 知らず、将臣の口からため息が漏れた。

 一門の中にも、実は派閥争いのようなものがある。

 簡単に言えば、『宗盛派』と『(これ)(もり)派』だ。

 この世界では、嫡流を重んじる、という考え方があるらしい。要するに、1番先に生まれた奴が偉い。

 その考え方に従えば、平家一門を継ぐのは、清盛の嫡男である重盛のそのまた嫡男、つまり維盛になるはずだった。

 しかし、実際は宗盛が継いだ。この辺の事情は、また色々とややこしい。

 まず宗盛は、清盛の正妻である時子の「長男」だ。

 母親の実家はそこそこ地位のある貴族で、現当主である時忠は、宗盛から見れば実の叔父に当たる。当然、色々と手助けするわけだ。いわば後見人である。

 対する維盛には、有力な後ろ盾がない。

 早くに亡くなってしまった清盛の先妻――重盛の母親は、身分が高くなかった。

重盛の妻の実家は有力な貴族だったそうだが、こともあろうに5年ほど前、平家失脚の陰謀に加担して権力を失ってしまう。

当時は重盛自身も、一時政界から身を引くなど、苦しい立場に追い込まれたらしい。

 それでも重盛には人望があった。清盛も、一門の武士たちも彼を信頼していたおかげで、後継者の地位を失うことまではなかったのだが。

2年後。その重盛が急死。さらに翌年、維盛が総大将を務めた富士川の戦い――これが決定的だった。

敵の軍勢を前にしながら、戦わずに逃げ帰るという失態を犯した維盛は、清盛の怒りを買い、一門の中でも信頼を失墜させた。

 今現在、一門の主流を成すのは、当然『宗盛派』の方である。

『維盛派』はなんとなく隅に追いやられている感があり、危険で遠い戦地に送られるのは、だいたい彼らと相場が決まっていた。

 昨年、九州の反乱鎮圧に赴いた(たいらの)(さだ)(よし)もそうだ。1年以上が過ぎても、いまだ京に帰ってこない。

 それでも、長年平家に仕えてきた家人たちの中には、平家の嫡流たる維盛に一門を継いでほしい、と願う者も少なくない。

 彼らにしてみれば、富士川の汚名をそそぐためにも、来たるべき戦の総大将は、何としても維盛に務めてもらいたいのだ。

「結局、富士川で負けたのが1番まずかったんだろ?戦わずに逃げた、とか何とか――」

「あれは維盛様のせいではございませぬ!」

 温厚な実盛が、珍しく語気を荒げた。

 彼は、重盛に仕えていた縁で、その息子たちとも親しくしている。維盛とは、祖父と孫――ではなく、じいやと坊ちゃまのような間柄だ。

「あの時の平家の軍勢は、ひどいものでございました。誰が率いたとしても、勝つことはできなかったでしょう。たとえ、平家一の戦上手と名高い、知盛様であっても……」

「おもしろそうな話をしてるじゃないか」

 ふいに背後から聞こえた声に、実盛が咳き込んだ。

「おまえ、立ち聞きすんなよ」

 いつのまにか、知盛が現れていた。

まるっきり、音も気配もなく――わざと気配を隠し、話を聞いていたようだ。

「も、申し訳……ございませ……」

「実盛さん、だいじょうぶか?無理にしゃべんなって」

 老いなど微塵も感じさせない実盛だが、実際はいい年なのだ。将臣は背中をさすってやった。

「聞かせろよ、斉藤……。なぜ、あの時の平家は勝てなかったのか」

「いいかげんにしろよ、おまえ」

 老人を驚かせるなど、あまり趣味がいいとは言えない。じろりとにらみつけてやったが、知盛は意に介さない。

 宗盛がついさっきまでここに居て、自分を探していたことを知っているのか。……知らないのかもしれないが、教えてやるのはやめた。とっつかまって説教されて、その性格の悪さを少しでも直してもらえばいい。多分、手遅れとは思うが。

「いえ……よいのです、将臣殿」

 実盛は軽く咳払いをして、姿勢を正した。

(それがし)申し上げようとしましたのは……、知盛様もすでにご存知のことではございますが……」

 そう言って、話し始める。

 維盛が総大将を務めたという、富士川の戦いについて。




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