還内府の章 三十四、寿(じゅ)(えい)元年秋(1)

 

 秋が深まりつつあった。

 京の秋は美しい。亡き清盛の邸でも、庭の木々が色鮮やかに紅葉し、見る者を楽しませてくれる。池の水面が、散り落ちたもみじで真っ赤だ。

――寿(じゅ)(えい)元年10月。

 この世界にやってきてから、およそ2年。

将臣は19歳になった。

 来たばかりの頃に比べれば背も伸び、腕っ節も強くなった。そこらのごろつきや追いはぎ相手なら、数人がかりでも負けない自信がある。

 ……実際、何度かそういうこともあった。

 京の治安は改善の兆しがなく、町には不穏な空気が立ち込めている。

 前年から続く飢饉(ききん)は、ようやくピークを越えたばかり。

各地の戦乱も続いている。昨年、墨俣(すのまた)(がわ)の戦いで平家に敗れた源氏も、その後、東国で勢いを盛り返していると聞く。

大臣(おおい)殿(どの)、お待ちくださいませ」

 庭のもみじをぼんやり眺めていた将臣の耳に、騒々しい声と足音が聞こえてきた。

 振り返ると、長い廊下を、早足で歩いてくる宗盛の姿があった。引き止めようと後を追って来るのは、時子に仕える侍女の1人。

「よう、久しぶり――」

 将臣のあいさつを遮って、

「ここに知盛が来ておらぬか」

開口一番、宗盛は切り出した。

「は?見てねえけど」

 宗盛は疑わしそうに目を細めた。

(まこと)であろうな、将臣殿。よもや隠し立てはしていまいな?」

「……何だか知らんが、なんで俺があいつを隠さなきゃならねえんだよ」

「ここにもおらぬか――」

 舌打ちしそうな顔で吐き捨てる宗盛。

「ですから、そう申し上げましたのに」

侍女がため息をつくのも聞いていない。

「あいつがどうかしたのか?」

 別に知りたくもなかったが、それでも一応聞いてみることに。

 宗盛は怒鳴るように声を張った。

「此度の宴のことだ!万が一にも、あれが姿を見せないなどということがあっては困る!今のうちに、よく言いきかせておかねば……!」

「宴……ああ、あれのことか」

 この秋、宗盛は内大臣に出世した。その祝いの宴である。

帝の祖父で、将臣はまだ1度も会ったことがない「後白河院」をはじめとして、京のまつりごとを担う貴族らが大勢やってくると聞いている。

このご時世に、お偉いさんが集まって祝いの宴。

(のん気過ぎんじゃねえのか?)

と、将臣は思わなくもない。

 もっとも、自分が元居た世界でも、政治家といえばパーティーだの会食だのがつきものだった気がする。それはそれで、大事な仕事なのかもしれないが……。

 尚、出世したのは宗盛ばかりではない。知盛も、中納言、とかいう地位を与えられたらしい。

 いわば宴の主役の1人なわけだが、偉いさんの集まりなど面倒がって、姿をくらますということは十分ありうる。宗盛はそれを懸念して釘を刺しに来たわけだ。

「とにかく。知盛の奴を見かけたら、あんたが探してた、って言っとけばいいんだな」

 そう聞けば、おそらく知盛は、より見つかりにくい場所に雲隠れするだけとは思うが。

宗盛もわかっているらしい。

「あれに言う必要はない。私に伝えてくれ」

私に、の部分を強調して、廊下を去っていく。一緒にやってきた侍女も、やれやれといった顔で立ち去った。

微妙な気分で見送っていると、足元から「にゃーお」と声がした。

「ああ、おまえか」

邸で飼っている黒猫だった。ごろごろと喉を鳴らしながら、将臣の足にまとわりついてくる。

この邸には猫が4匹居る。出会ったばかりの頃はそっけなかったが、最近では気が向くとこうして甘えてくることもある。

将臣は黒猫をなでてやった。

「おまえ、知盛の奴、見なかったか?」

 猫と知盛は行動パターンが近い。よく一緒に昼寝している。

 黒猫はにゃあ、と鳴いた。

「見たのか?」

 バタバタと、宗盛が戻ってきた。

「今、知盛の名が聞こえたようだが?」

 とんだ地獄耳である。

「いや、見なかったかって、こいつに聞いてただけ」

「こいつ?」

 将臣が黒猫を指差すと、

「くだらん」

と言い捨てて、宗盛は居なくなった。

 居なくなったと思ったら、またすぐにバタバタと戻ってきた。

「確かに揚羽(あげは)ならば、あれの居場所を知っていてもおかしくないやもしれぬな」

 揚羽とは、この猫の名だ。

「いや、冗談だって、冗談。あいつの居場所なんて、どうやって聞くんだよ」

 宗盛は大真面目だった。

案内(あない)させればよい。揚羽、知盛のもとへ導いてはくれぬか?」

『ニャ?』

黒猫はかわいらしく小首を傾げて、飼い主の顔を見上げた。

「そうか。知らぬか――」

 話が通じているように見えなくもない。平家の人々は皆、猫好きで、宗盛も例外ではない。

 宗盛は黒猫を抱き上げると、何か思い出したように将臣を見た。

「そうだ。1つ、言い忘れていたが――将臣殿」

「ん、……何だ?」

 経験上、宗盛にあらたまって名を呼ばれるとあまりいいことがない。将臣はつい身構えた。

「帝は、此度の宴で貴殿に会えるのを楽しみにしている、と仰られていた」

「なんだ、そんなことか――」

 将臣は拍子抜けした。

宗盛は気づかなかったようだ。やや憂い顔で、

「宴にやってくるのは大人ばかりだ。幼い帝には、気詰まりなこともあろう。貴殿には、どうか帝の慰めとなってもらいたい」

 その程度ならお安い御用だ。

「……と、待てよ。俺が行ってもいいのか?」

「?」

「いや、だから。今度の宴ってのは、平家の奴らだけじゃなくて、京の偉いさんが大勢来るんだよな?帝のじいさんとか――」

 他人の空似とはいえ、死んだ重盛とそっくりな自分がそんな場所に顔を出したら、また要らぬ誤解の元になるのではないか。

 しかし宗盛は意外な答えを口にした。

「後白河院か……。あのお方は、貴殿のことを既に知っておられる」

「……は?」

「仕方がない。いずれこうなることはわかっていた」

 宗盛は軽く嘆息して、

「京は狭い。人の口に戸を立てることもできぬ。噂を耳にされたのだろう――先日お会いした時に、貴殿のことを尋ねられた。『重盛兄上に面差しが似ていたため、一門に拾われたのだ』とお話しすると、父上らしい道楽だ、と笑っておられた」

「はあ……道楽、ね」

「異界から来た、などと言っても、大抵の者は信じられぬだろう。だが、父上の道楽だと言えば納得する」

「……そういうものなのか?」

 そういうものだ、と宗盛は言い切った。

「とはいえ、宴の場ではけして目立たぬように。貴殿の素性を探ろうとする者が居るやもしれぬから、1人で行動することも避けていただきたい。何より、帝や建礼門院様や、後白河院のそばには近付くな。それから――」

 まだまだ続きそうな宗盛の注文を遮って、

「ち、ちょっと待て。さっき、帝を慰めろとか言ってなかったか」

「それは、部外者が居ない場所での話だ。宴の後で、貴殿と帝が共に過ごせる時間を設けるゆえ――」

 にゃーおと黒猫が鳴いた。甘えるような、何かをねだるような声で。

 宗盛の頬が緩む。

「どうした?餌が欲しいのか。ならば来るといい」

 黒猫を腕に抱いて、今度こそ宗盛は居なくなった。

「よいな、将臣殿。くれぐれも目立つ真似はするなよ」

 ただし、最後に念押しするのは忘れなかったが。




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