還内府の章 三十三、星に願いを(2)

 

 初秋の月をうつす池と、池の畔に咲き誇る秋の花々を眺めつつ、2人は盃を傾けていた。

 将臣の姿に気づくと、重衡だけが小さく会釈した。

 知盛の方は無言・無反応だ。茫洋とした焦点の定まらない瞳で、夜空に浮かぶ月を見上げている。

「なんでこんな所に居るんだ、おまえら」

 2人の横に腰を下ろしつつ、将臣は率直に尋ねた。

「宴の途中で、抜け出してきたもので」

 重衡は悪びれずに答えた。

「院のお相手は肩が凝る――」

 こちらは悪びれるどころか、平然と不真面目なセリフを口にする知盛。

「いいのかよ。後で宗盛あたりにどやされるんじゃねえの?」

「そう思ったからこそ、1人で出てきたのだがな……」

 知盛がちらりと意味ありげな視線を弟に投げる。

「兄上は、その肩の凝るお役目を、私1人に押し付けようとなさったのですよ」

 全くひどい方です、と重衡はすました顔で付け加える。

 弟の言葉に、知盛は皮肉っぽく口の端を持ち上げて、

丹後局(たんごのつぼね)と、楽しそうに飲んでいたじゃないか……?邪魔をしては悪いと……そう思ったのだがな……」

「たんごのつぼね?」

 将臣は首をひねった。知盛は盃に酒をつぎ足しながら答える。

「後白河院の……女だ」

「………………」

 将臣は沈黙した。

 後白河院の――帝の祖父にして京の権力者である人物の女と、楽しげに酒を酌み交わす重衡。

 なんとなく、嫌な想像をしてしまうのは自分だけか。

「兄上、誤解を招く言い方はなさらないでください」

 重衡が釘を刺す。

「将臣殿も、どうかお気になさらずに」

「……ああ、わかった」

 本音を言えばかなり気になっていたが、確かにここは深く追及しない方がよさそうだ。

「要はおまえら、お偉いさんの集まりから逃げてきたんだな」

 ずけっと言ってやる。

 知盛は全く表情を変えない。一方、重衡は苦笑して、

「途中までは、経正殿ともご一緒していたのですが」

「は?経正が?」

 この兄弟と違って真面目な奴だ。面倒だから抜け出した――などということはありえない。

「七夕だからな」

 知盛が言う。意味がわからない。

「1人にしておくのも……哀れだと思ったのだろう……?」

 1人に?

 聞き返そうとして、ああ、と思い当たる。

 病気で伏せっているという、経正の弟のことか。

 将臣は詳しい病状を知らないし、それどころか、いまだに会ったこともない。だからその弟の顔かたちも知らないわけだが、なぜかこの時は、邸の縁側に並んで、仲良く星を見上げる兄弟の姿が頭に浮かんだ気がした。

 知盛も重衡も、経正の病気の弟については、それ以上話題にしようとしなかった。代わりに、

「経正殿は、将臣殿のことを心配されていましたよ」

「俺のこと?」

「ええ。帝と親王様の件で、心を悩ませていらっしゃるようだと」

 そういえば、経正には以前その件で話を聞いてもらったことがあるのだった。

 院御所を辞した後、本当はそのまま邸に戻るつもりだったが、経正に頼まれて内裏の様子を見に来たのだ――と重衡は言った。

 ……だったら、なんでこんな場所で飲んでいる?

「それで……?どうなった?」

 知盛が短く問いかける。

 帝と尊成のけんか顛末(てんまつ)聞いているのだ。

 重衡もまた、将臣の説明を待っている。

 2人の目の中にあるのは、心配ではなく、好奇心。それも興味津々というほどではなく、酒の(さかな)の暇つぶしを求めている程度だ。

 さあな、とか知らねえよ、とか投げやりに答えようかとも思ったのだが。

 ごまかしても、どうせすぐに知れてしまうことだ。帝の機嫌を損ねてしまった件も含めて、気がついたら大方の事情を話してしまっていた。

「それはそれは……災難だったな」

 知盛が笑う。話を聞く前より、明らかに楽しそうである。

(まこと)に」

 こちらは真面目な口調でつぶやく重衡。しかしながら、その整い過ぎた無表情の奥にある感情が、将臣もだいぶ読めるようになった。

 こいつもやっぱり、おもしろがっている。

 将臣は肩を落とした。別に、この2人に期待したわけではない――将臣よりも帝との付き合いが長い分、何かいい知恵を出してくれるのではないか、とか。そんなことは考えていない。多分。

「どうかお力を落とさずに」

 重衡が言う。内心でおもしろがりつつ慰められたのでは、あまりありがたくはない。

「放っておくしかないだろうさ……」

 知盛の方は、慰める気も皆無らしい。

「って、ちょっと待てよ。放っておくって、まさか帝のことか?」

 知盛はあっさりうなずく。

「ご機嫌を損ねてしまったものを……しつこく弁解したところで無駄、だろう……?いっそ、おまえの方からつれなくしてやれば……またあちらの方からお声がかかる、かもしれんぞ……?」

「……あのな。女を口説いてるわけじゃねえんだぞ」

 将臣は心底あきれた。

 だいたい、知盛が言っているのは、モテる男のやり方だろう。相手の側に好意があることを前提としている。

「お2人とも、少々不謹慎ですよ」

くだらないことを考えていたら、重衡にたしなめられてしまった。

「……だよな。馬鹿言ってねえで、真面目に考えねえと……」

 将臣はがしがしと頭をかいた。知盛がいっそうおもしろそうな顔をする。

「クッ……、必死だな。よほど捨てられるのが怖いと見える……」

「だから、おまえな」

言い返そうとして知盛をにらんだ瞬間、その背後で白いものが動いた。

「おい、後ろ――」

「?」

 知盛が緩慢な動作で振り向く。そしてその「白いもの」をつまんで目の高さに持ち上げた。

「……どうした、胡蝶(こちょう)。俺に何か用か……?」

 知盛がつまみあげているものは、昼間見かけた平家の白猫だった。飼い主の問いに、うに、とくぐもった声で答える。

 なぜくぐもった声かといえば、口にくわえているからだ。

緑色の梶の葉を、2枚。

「…………」

 知盛は白猫を自分の膝に下ろし、梶の葉を手に取った。

 葉の表面には墨で文字が書かれているようだ。が、将臣の場所からは読み取れない。

「おい、知盛?」

 声をかけても、返事なし。

「兄上、どうなさったのですか?」

「…………」

 知盛は無言のまま、梶の葉を重衡に手渡した。

 兄から梶の葉を受け取った重衡は、軽く目を見張った。

「これは……帝の字ですね」

「帝の?」

 重衡は軽くうなずいて、そこに書かれている文字を読み上げた。

「『将臣殿と双六(すごろく)がしたい』」

「………っ!」

 驚く将臣に、重衡はもう1枚の梶の葉を見せて、

「こちらは『将臣殿と肩車がしたい』と書いてありますね」

「…………」

 言葉が出ない。

「ありがとう、胡蝶」

 重衡は白猫の頭を軽くをなでて、

「兄上、どうやらこれは。敢えてつれなくする必要もないように思われますが」

「そのようだな……。あちらが所望されているのなら、早い方がよかろう……」

 あいかわらず不謹慎な会話を交わす兄弟であるが、今はどうでもいい。

「帝の所に行ってくる」

 将臣は立ち上がった。

「ああ、お待ちを。将臣殿」

 先に、帝に文を書いてはどうか、と重衡は言った。自分がそれを帝に持って行き、許しをもらってくるという。

「面倒に思われるかもしれませんが、帝にもお立場がございます。段取りというものも必要なのですよ」

「……わかった」

 将臣は素直にうなずいた。

 何か書くものを、と思ったタイミングで、白猫がにゃあと鳴いて、長い尾を一振りした。

ひらりとその足元に落ちる、梶の葉が1枚。

「……おい。そいつは魔法使いの猫か何かか」

 将臣は唸った。

「何のことやらわからんが」

 とぼけつつ、知盛が梶の葉を拾い上げる。

「最初から3枚持っていたんだろうさ……」

 そんなわけはないし、どっちにしろ神がかっている、あるいは魔法めいていると思ったが、口には出さずにおく。何にせよ、今は白猫に感謝すべきところだろうし。

 尚、白猫は墨と筆までは持っていなかったので、知盛に命じられた重衡が、結局は書くものを取りにいくハメになった。

 何も書かれていない梶の葉を前に、将臣はしばし考え込んだ。

 てのひらサイズの小さな葉に、長い文章はおさまらない。知盛ではないが、くどくどと言い訳したところで意味がない気もする。

 結局、「悪かった。また一緒に遊ぼうな」とだけ書いて、重衡に託した。

「まるで子供だな」

と知盛には馬鹿にされたものの、しばらくして戻ってきた重衡は口元に笑みを浮かべていた。

 そして、帝がお召しです、共に参りましょうと将臣に告げたのだった。




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