還内府の章 三十三、星に願いを(1)

 

 こちらの世界でも、将臣の居た世界と同じように、七夕に願い事をする、という風習はある。

 ただし、願い事は短冊に書いて笹に吊るすのではなく、梶の葉に書いて水に浮かべるものらしい。

 内裏の庭の一角に(むしろ)を敷き、テーブル型の台を2つ並べ、水を張った(たらい)を置く。

 盥の水には当然、夜空の星々がうつりこむ。

その水に、願いを書いた梶の葉を浮かべれば、その願いは天まで届く――というわけだ。

いかにも悠久の都らしい、雅な風習である。

 ただ、梶の葉というのは、大きさはせいぜいてのひらサイズ。しかもトランプのクローバーのようなくびれた形をしている。紙でできた長方形の短冊と比べて、だいぶ書きづらそうだ。少なくとも、あまり長い文章は収まりそうにない。

 現に、先程から帝や、帝の異母兄弟たちが、願い事は何にしよう、どんな風に書こうか、とあれこれ頭をひねっているところだった。

 子供たちの様子をほほえましそうに見ているのは、時子や建礼門院、宮中の女官たち。

 庭の周囲には(かがり)()が焚かれ、警備の武士たちが目を光らせている。目立たないが、そこそこの人数は居るようだ。

 将臣は儀式の時のように、庭の隅っこで帝たちの様子を眺めていた。

 今度は人目につかないため、ではない。帝のお怒りが解けないからだ。

異母弟の(たか)(ひら)親王とのけんかであちらの味方をしたことは――将臣にはそのつもりがなかったとはいえ、想像以上に帝のご機嫌を損ねたらしい。

さりとて尊成のように帰れとも言われないところを見ると、心底嫌われてしまったわけではないと思うが。

「将臣殿、薬湯(やくとう)はいかがですか?」

 1人突っ立っている将臣のもとに、年若い女官が1人、近付いてきた。手に持ったお盆の上には、湯気の上がる湯飲みが1つ。

「冷えて参りましたから、お風邪を召されませんよう――」

「ああ、すみません。気を遣ってもらって」

礼を言って薬湯を受け取り、ふと気づく。相手の顔に、何やら見覚えがあるような。

……先日、宮中で将臣に付け文をした女官だった。

 将臣が気づいたことに、相手も気づいたらしい。意味深にほほえんで、

「先日は、ご迷惑をおかけ致しました」

「あ、いや。その……何ていうか」

 将臣は意味もなく頭をかいた。仮にも恋の手紙を断った手前、どうにも気まずい。

 うろたえる将臣を見て、女官の笑みが深くなった。そっと自分の胸元に手を当て、目を閉じて、

「思い出をありがとうございます」

と、人が聞いたら、誤解を招くようなセリフを口にする。

「はい?」

 女官はくすくす笑って言い添えた。

「私の如き者に、あのように素敵な歌を返していただけるなんて……一生の思い出に致しますわ」

 恋文には和歌を添えるものだ。恋文の返事にも同様。そして、将臣が代筆を頼んだ経正は、京でも有数の和歌の名手である。

 女官はほんのり頬を染め、夢見るような瞳でこちらを熱く見つめている。いったいどんな歌を返したのか、後で経正に確認しておいた方がいいかもしれない。

「それでは――」

 名残惜しそうに将臣を見つめ、軽く礼をしてから、女官は去っていった。

 将臣はしばしその後ろ姿を見送った。女官はしずしずと着物の裾を引きながら、帝や他の女官たちが居る方ではなく、庭を囲むように炊かれている篝火の1つ――その横に立っている警備の武士へと近付いていく。

 少年のような幼い顔立ちの武士だった。何やら小声で言葉を交わすと、2人連れ立ってひとけのない方へと歩いていく。

 将臣は感心した。既に別の相手を見つけていたのか。さすが、恋多き宮中の女官である。

温かい薬湯を飲みつつ、恋人たちの背中を見送っているところに、「将臣殿」と今度は足元から呼ばれた。

視線を下げると、清宗が立っていた。片手で幼い弟の手を引いている。

「おう、どうした?」

 ついさっきまで、帝と一緒に梶の葉の願い事を書いていたはずである。清宗はためらうように目を伏せて、

「ええと、願い事はもうなさいましたか?」

「?」

 意味がわからず、将臣は目を丸くした。清宗は目を伏せたまましどろもどろに、

「えっと、あの、せっかくの乞巧奠(きっこうでん)だし。こんな所に1人で居たら、退屈じゃないかなって……」

 思わず苦笑が漏れた。こんな幼い子供にまで気を遣われるとは。

「俺は別にいいよ。願い事って年でもねえし」

「…………」

「心配してくれてありがとうな」

将臣が言うと、清宗は意を決したように顔を上げた。

「あの。帝も、別に怒ってるわけじゃないと思うんです」

「うん?」

「さっきからずっと、将臣殿のこと気にしてるみたいで」

 ちらりと帝の方を振り向く清宗。将臣もつられてそちらを見やると、どうもこちらの様子を伺っていたらしい帝と、ばっちり目が合った。

 帝は一瞬驚いたような顔をして、それから思い出したようにふくれ面を作ると、ぷいと顔をそむけた。

 そのわざとらしい所作に、将臣は吹き出しそうになった。

 なるほど、怒っているわけではない。あれは単に、拗ねていると言うべきだ。

「だから、将臣殿もあっちで、一緒に願い事をしませんか」

 清宗は真摯な面持ちでそう言った。心優しい少年だ。将臣はもう1度ありがとうなと言って、清宗の頭をなでた。

「俺はもうしばらくここに居るよ。あいつのお許しがないのに、戻るわけにもいかねえしな」

「将臣殿……」

「そう心配すんな。帝には、後でもう1度謝ってみる。……多分、そのうち許してくれるだろ」

時間はかかるかもしれないけどな、と胸の内で付け加える。

「お人好しですよね、将臣殿って」

 その時、聞き覚えのある声が話に割り込んで来た。

 弓矢を携え、羽飾りのついた烏帽子をかぶった男が1人。

警備の武士たちと同じ格好をしていたので一瞬判別できなかったが、すぐに小松家の四男・有盛だとわかった。

「けんかの仲裁なんて面倒くさいことしなければ、帝に恨まれることもなかったのに」

「しょうがねえだろ。成り行きでそうなったんだよ」

 将臣は苦々しい気持ちで言い返した。

自分でも、多少、出過ぎた真似をしたかもしれないとは思う。が、帝と尊成のけんかに居合わせながら、途中で逃げたこいつにだけは言われたくない。

「まあ、これで将臣殿が帝の周りをうろつかなくなれば、こっちとしてはありがたいけど……」

「おい」

 そこまで露骨に邪魔者扱いすることはないだろう。将臣が目付きを鋭くすると、有盛は涼しい顔で首を振り、

「俺じゃないですよ。兄上がそう言ったんです」

 その視線の先に、弟と同じ装束に身を包んだ小松家の次男・(すけ)(もり)の姿を見つけて、将臣はいささか気が重くなった。

「そりゃ、資盛にとってはそうかもしれないが……」

「言ったのは(きよ)(つね)兄上ですけど?」

「は!?そっちか!?」

「ええ。そっちです」

 有盛が指差す。よく見れば、資盛の隣りには、三男・清経の姿もあった。

「ちなみに、資盛兄上はその時、くだらないこと言うな、って怒ってましたけどね」

「…………?」

「あ、別に将臣殿の味方したわけじゃないですよ。どういうことかっていうと――」

 有盛が説明を始める。

(いわ)く、両者のやり取りは以下のようなものだったらしい。

 ――くだらないとは何だよ。公卿でもない将臣殿が内裏に入り込むのはおかしいって、いつも口にしていたのは自分じゃないか。

 清経が怒って返せば、資盛は弟に言い聞かせる口調で、

 ――俺が言っているのはそういうことじゃない。それが自分たちの得になるかのような浅ましい物言いはよせ。見苦しい。

 説教がましく言われて、清経はさらに腹を立てた。

 ――浅ましいってなんだよ、事実じゃないか。いつも綺麗事ばかり言って、資盛兄上の格好(カッコ)つけ。

 ――貴様、もう1度言ってみろ!

「……で、それからずっと兄弟げんかですよ。いいかげん、勘弁してほしいんだけど」

「…………」

 将臣は無言になった。

 確かにここから見える2人は、何やら小声で言い争っているようでもあるが。

「アンタ、それを俺に伝えてどうしたいんだよ?」

 自分が原因の争いとはいえ、詳しく聞かされたところで対処に困る。それとも、責任を取れとでも言い出すのだろうか?

「別に」

有盛は細い肩をすくめて見せた。

「ただ、将臣殿って、俺たち兄弟のこと色々誤解してるみたいだし」

 そう言われると、否定はしにくい。つい先日、有盛に聞かされるまで、資盛がなぜ自分を敵視するのか、深く考えもしなかった自分だ。

「……って、待てよ。今の話だと、資盛だけじゃなくて、清経にも嫌われてる、ってことにならないか?」

 先程の会話を素直に解釈すれば、そうなる。

 有盛は違いますよと首を振った。

「別に嫌ってはいないです。ただ、早く居なくなってくれればいいのにとは思ってるけど」

「おおい!?」

「しょうがないじゃないですか。将臣殿にその気がなくたって、小松家にとっては厄介事の種なんですから」

「…………」

「あと、資盛兄上の方は嫌ってるんじゃなくて、単に怒ってるだけです。……前にもそう言いましたよね?」

「…………」

 何と答えればいいのか皆目わからず、将臣は沈黙した。本当にこいつは、そんな話を自分に聞かせてどうしたいというのだ――。

「そう言うあんたは俺のことどう思ってるんだよ?」

 思いついて聞いてみると、

「お人よしで変な人だと思ってますよ」

 間髪入れず帰ってきた答えに、また沈黙させられるハメになった。

「将臣殿、今度、小松殿に遊びに来ませんか」

今の会話の流れで、なんでそういう話になる。

 のこのこ遊びに行ったら、毒でも盛られそうではないか。しかし有盛は涼しい顔で、「だって楽しそうだから」などとのたまう。

 本当に、心底、理解不能だ――。

「……っと、そうだ。肝心の用件を忘れてた――」

有盛は暗い庭の一方を指差して、

「あっちの隅で、知盛殿と重衡殿が飲んでますよ。暇だったら一緒に飲まないかって、さっき言ってました」

「……?あいつら、院御所に行ったんじゃなかったのか?」

 つい先程、他の平家の人々と共に行くのを見たはずだ。

 早めに切り上げて戻って来たにせよ、なんでまた、そんな人目につかない場所で飲んでいるのか。

将臣の疑問に、有盛は「さあ」と首をかしげた。

「行ってみればわかるんじゃないですか?」

「……わかった」

 ここでぼけっと突っ立っているのも暇だし、これ以上こいつの相手をしたくない。

「将臣殿……」

 まだ何か言いたそうに見上げてくる清宗の頭を軽くなで、将臣は有盛の指差した方に向かった。




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