還内府の章 三十二、兄と弟(1)

 

星が輝いている。

(あま)の川の両岸に分かたれた織姫と彦星が、一夜限りの逢瀬を楽しむように(またた)きを交わす。

その姿を見上げながら、将臣はつい今し方の、母子のやり取りに思いを馳せていた。

(たか)(ひら)の答えは、率直に言って意外なものだった。

――お母さんがそうしてほしいなら、僕、我慢する。生まれてくる赤ちゃんのこと大事にするよ。

 誰かのために、自分の気持ちを二の次に。それは大人でも簡単にできることではない。色々と困ったところの多い親王様ではあるが、幼い身でそれができるのは立派なものだと思う。

そんなことを考えていたら、当の尊成が後から追いかけてきた。

「おい、有川将臣。ちょっと待て」

「なんだ、どうした?」

尊成は1人だった。こちらの目の前まで駆け寄ってくると、まっすぐに将臣の顔を見上げ、

「俺に謝り方を教えろ」

と言った。

「……は?」

 尊成はじれったそうに両足を踏み鳴らし、

「おまえは言っただろう。うまり謝り方を教えてやると」

「……ああ、なんだ。昼間の話か?」

 将臣はようやく思い当たった。確かにそんなことを言ったような気が――。

「って、待てよ。まさか、帝に謝る気になったのかよ?」

 にわかには信じがたい。今までは謝罪どころか、反省の色さえ微塵も見せていなかったはずだ。

しかし、尊成は不承不承ながらも、「ああ」とうなずいた。

「なんで急に?」

「決まっているだろう。俺の()母子(のとご)のためだ」

そう口にする尊成は、ひどくまじめな顔をしていた。

(のり)(すえ)が罰せられたら、その子は罪人の子になってしまうではないか」

 なるほど、と将臣は納得した。

 つまり尊成は、教子の子供を守ろうとしているのだ。そのために、帝に――絶対謝ったりしないと言っていた相手に謝ろうとしている。

「それより、早く教えろ。うまい謝り方とは何だ。それをやれば、帝に謝っても負けにはならないのか?」

 ただ、あくまでそこにはこだわると。

 本心から帝に悪いと思っているわけではなく、必要だから謝ると決めただけ。

 それを喜んでいいのかは微妙だが、そういうやり方を教えてやると言ったのは他ならぬ自分だ。

「帝がなんで怒ってるのかは、わかってるんだよな?」

 将臣の問いに、尊成は年にふさわしくない冷笑を浮かべ、

「俺に本当のことを言われたからだろう」

 本当のこと、とは清盛や帝の母親が、先帝の后の座を横取りしたとかいう話か。それが本当に本当のことかどうかはこの際、置いておくとして、

「だったら、それは取り消すって言って、あとは普通に謝ればいいさ」

 予想はしていたが、尊成は怒り出した。

「俺が間違っていたと認めろと言うのか!」

「まあ、そうなるな」

「ふざけるな!誰がそんなことをするものか!」

 怒りもあらわに、将臣の顔をにらむ。そんな尊成に、将臣はわざと冷めたまなざしを向けてやった。

「おまえ、教子さんと子供を守りたいんだろ?そのために、とりあえず事がおさまればそれでいいんだよな?」

「…………」

「だったら、その目的を第一に考えろよ」

「…………」

「ごめんなさいって謝るだけですむなら、それでいいじゃねえか。無理にとは言わないが……だまされたと思って、1度試してみろよ。実際のところ、頭を下げるくらいで損することなんざ何にもねえと俺は思うがな」

 かなり長い沈黙の後、尊成は「わかった」と口にした。

「おまえの言う通りにしてやろう」

 尊大な態度は貫きつつも、自分にとって必要なことは何かを理解し、実行できる。やはりこの子供は頭がいいと思う。あるいは、空恐ろしいとも思う。

 それから簡単に打ち合わせをした。

 いきなり尊成が謝罪に来ても、帝が信じるわけはない。当然、すぐに許すとも言わないはずだ。

 そこをうまく和解に持っていくためには、将臣1人では手が足りない。誰かの協力が要る。

 将臣は時子に頼むことにした。

 優しい祖母に帝は懐いているし、時子の言うことなら素直に聞いてくれるだろう。多分。

 尊成をその場に残し、将臣は「キャンプ」の行われている天幕の方に1人こっそりと戻った。

 幸い、話を聞いた時子は、快く協力を約束してくれた。

 またこっそりと天幕を離れ、待っていた尊成と合流。それから、今度は堂々と天幕の方に戻った。

「遅いぞ、将臣殿!どこに行っていたのだ!?」

 帝が駆けてくる。そして、将臣の後ろに尊成が居るのに気づいて、ぎくりと足を止めた。

「あのな、帝。こいつがちょっと話したいことがあるんだってよ」

 帝は明らかに不安そうな顔をした。先日のけんかは、やはり相当なトラウマになっているようだ。

「……話とは何だ」

硬い声で問い返してくる。

 この先は尊成に言わせなければならない。将臣が目で促すと、尊成は前に出た。少しは神妙な顔をしておけと言ったのに、無駄に偉そうな態度は変わっていない。軽くあごをそらして胸を張り、

「おい、帝。先日は悪かったな」

「…………」

 将臣は頭を抱えた。謝っているようには見えない――言われた帝もきょとんとしている。

「先日の件だ。おまえのジジイと母親を泥棒だと言ったことは取り消してやろう。あれは、俺の――」

 尊成は少し考えてから、鷹揚(おうよう)にうなずいた。

「勘違いだった。そういうことにしてやってもいい」

「おい、尊成」

 将臣は小声でささやいた。

「呼び捨てにするなと言っただろう、無礼者」

「それより、打ち合わせと違うだろうが。ちゃんと相手にわかるように謝れよ」

「チッ。面倒だな」

 尊成はあらためて帝に向き直った。そして今度こそしっかりと頭を下げて、

「先日はすまなかった。心から謝罪する」

「…………」

 帝の表情が揺れる。一瞬驚きに目を見開き、それから怒ったように頬を紅潮させる。相手が本気で謝っているのではなく、また嘘をついているのだ、と思ったのだろう。

 まあ、当然だ。あれだけ悪口を言われて、取っ組み合いをして、今更ほいほいと謝罪の言葉など信じられるはずもない。問題はそこではなく、

「あのな、帝」

 将臣は頭を下げたままの尊成の前に出た。

「そういうわけで、こいつも反省……はともかくとして、一応、謝ってはいる。おまえも腹に据えかねる部分はあるだろうが、とりあえずこの件は手打ちにしてくれないか」

「……将臣殿は、こいつの味方をするのか」

 帝は不満そうに唇を尖らせた。

 そうじゃねえよと将臣は首を振った。

事実、そんなつもりはない。どっちの味方云々(うんぬん)ではなく、2人がうまく和解できなければ、困ったことになるのはむしろ周囲の大人の方なのだ。

だが、そのために当事者の気持ちを(ないがし)ろにしてもいいとは思わない。

「無理に許せとは言わない。おまえが嫌なら、別に許さなくてもいいさ」

「おい、有川将臣」

 下を向いたまま、尊成が険悪な声を出す。

 将臣は無視した。

「…………」

 帝は口を尖らせたまま黙っている。

 感情では、絶対に許したくなどないに決まっている。しかし、帝は賢い。ここで駄々をこねたら、いささか格好が悪いというのもわかっているはずだ。

 将臣はそっと時子に目配せした。静かにうなずいて、時子が前に出る。

 その時だった。帝がくるりと背中を向け、駆け出したのは。

「おい、帝!?」

 将臣の声にも立ち止まることなく、そのまま天幕の向こうに姿を消してしまう。

 後を追おうとした将臣を、時子が止めた。

「だいじょうぶでございますよ」

 時子は落ち着いていた。軽くほほえんで、帝の後を追う。心配だが、ここは時子に任せるしかない。

「おい、有川将臣」

尊成が言う。

「もう帰ってもいいのか」

 どこまでも尊大な少年である。

「……まだだ。帝が許すって言うまで待ってろよ」

 チッと舌打ちする尊成。

 2人並んで、帝が戻ってくるのを待つ。その間、尊成は口をひらかなかった。

そっと横顔を伺ってみたが、別に不安そうな顔もしていない。自分にはやましいことなど何もないとばかりに――謝罪に来たのだからそれでは困るのだが――立っている。

 これでもし、帝が尊成を許すと言わなければ、逆にもっと怒らせてしまったりしたら、どうなるのか。あまり考えたくないな、と将臣は思った。

 それから15分ほどもたっただろうか。やがてゆっくりと天幕の向こうから姿を現したのは、時子だけだった。

「尼御前――」

 将臣を視線で制し、時子は尊成を見た。そして静かに告げる。

「親王様。帝は、先日の無礼を許すと仰せにございます」

 ぴくりと尊成の頬が揺れた。

「その代わり、今宵は邸にお戻りになり、そのまま謹慎なさるようにとのことです」

 ぴく、ぴく、と尊成の頬が震える。

 つまり、許してやるから、今日は帰れと。

尊成が「キャンプ」に参加することまでは認められなかったか。まあ、幼い帝にしては、それでも最大限の譲歩かもしれないが。

「よろしゅうございますか、親王様」

 時子の声は優しく、見つめるまなざしは幼い少年に対する思いやりに満ちていた。

 しかし、尊成は相手の顔を見ていなかった。

 うつむいた横顔に安堵や喜びの色はなく、むしろ上からの物言いを屈辱に思っている顔をしていた。

「……承知した」

 それでも一言、返答する。時子はもう1度小さくうなずくと、今度は将臣の方を見て、

「帝は乱れたお心を鎮めていらっしゃいます。今しばらく、この場でお待ちくださいませ」

 将臣の胸がざわめいた。怒っているのか、拗ねているのか。もしや、泣いているのか――。

「……わかりました」

 時子が天幕の向こうに戻っていく。それを見届けてから、将臣は尊成を見た。少年はじっと下を向いたまま動かない。

「なあ、尊成」

 将臣は少年の小さな肩に手をかけた。尊成は勢いよくその手をはねのけ、

「さわるな、無礼者」

「……そう嫌うなよ。よかったじゃねえか、ひとまずうまくいって」

 形はどうあれ、帝から「許す」という言葉を引き出すことができたのだ。それは尊成にとって目的通りのはずだが、

「何がいいものか。こんな屈辱は初めてだ」

「尊成――」

「俺をだましたな。頭を下げたところで損をすることなど何もないと言ったのに」

 燃えるようなまなざしで将臣をにらむ。

「…………」

将臣は静かに少年の顔を見下ろした。そして問いかける。

「何が損なんだ?」

「…………」

「今、おまえが悔しいと思ってることか?」

「…………」

「自分のちっぽけなプライドより、家族を守ることをおまえは選んだんだろ。……立派な男だって、俺は思ったけどな。後悔、してるのか?」

 無言で唇を噛みしめる尊成を見ながら、本当に俺は、こんな子供相手に何を言っているんだろうな――と将臣は思った。自分が尊成の年の頃には、難しいことなど何も考えずに子供で居られたものを。

「……とは、何だ」

 その時、少年が何事かを口にした。

「ん、悪い。聞こえなかった」

 少年が声を張り上げる。

「ぷらいど、とは何だと聞いたのだ!」

「あ、ああ。それか。『誇り』ってことだ。確か」

「誇りか。なるほど」

 気持ちを落ち着かせるように小さな肩を上下させ、やがて尊成はかすかに笑みを浮かべた。

「俺は、自分の誇りをちっぽけだとは思わん。今日のことは絶対に忘れんぞ。いずれ、必ず後悔させてやる。帝にも、おまえにも」

「尊成――」

「もういい、失せろ。これ以上、貴様と話すことは何もない」

 まっすぐに将臣の顔を見上げ、尊成は迷いなく決別を告げた。

「さっさと帝のご機嫌取りに行くがいい。おまえは帝の、平家の犬なのだからな」

 そう言って、獣のようにすばやく身を翻す。

 駆け去っていく少年を、将臣は引き止めなかった。

弁解しようとも思わなかった。

 プライドという言葉には自尊心という意味もある。そういう意味では、少年は確かにプライドを傷つけられた。幼い彼の心情を思えば、憎まれ役を引き受けるくらい何でもない。

 ただ、尊成に言ったことは本心だった。

少年の選択は立派だ。そして、そんな彼を教子が自慢に思うと言った。真に守るべき誇りとはそういうものだと、いつか少年が気づいてくれればいい。




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