還内府の章 三十一、母と子(2)

 

「そっちだ!そっちに行ったぞ、清宗!」

 帝の声に、清宗が慌てて手網を差し出す。銀の(うろこ)を月明かりに(きら)めかせ、魚はするりと逃げる。

 跳ねる水しぶき、子供らの歓声――。

キャンプといえばアウトドア、そしてアウトドアの楽しみといえば、やはり自然の中で体を使って遊ぶことだろう。

皆で協力してテントを張り、かまどで火を起こし、釣った魚を焼いて――。

本当なら、帝にもそういう経験をさせてやりたかった、が。

今、将臣の目の前にあるのは、魚捕りというより、金魚すくいと呼んだ方がふさわしいような眺めだった。

大きめの(たらい)に小魚を泳がせ、それを子供たちが手網で捕まえるのだ。

せめてひとつくらいアウトドアっぽい遊びを、という将臣の頼みに、内裏の人々が用意してくれたものである。

それ自体は非常にありがたいのだが、見た目は前述の通り。言ってみれば子供だましで、帝が果たして満足してくれるかどうか、かなり不安だった。

しかし実際にやってみると、帝は案外楽しそうにしていた。

日頃は大人にばかり囲まれているせいだろう。年頃の近い子供たちと一緒になってわいわい遊ぶという経験は、やはり新鮮だったようだ。

宗盛の息子である(きよ)(むね)副将(ふくしょう)(まる)に、先日も顔を見た(もり)(さだ)親王(しんのう)範子(のりこ)内親王(ないしんのう)、それに先日は居なかった(これ)明親王(あきしんのう)という副将丸くらいの男の子も加わって、にぎやかにしていた。

将臣はその様子を遠目に眺めつつ、ホッとしたような、帝にすまないような気持ちでいた。

帝が喜んでくれたことはよかった。――しかし、こんな形でしか約束を果たせなかったのは、やはり残念だ。

もうひとつ、残念なことがある。楽しげな子供たちの輪の中に、(たか)(ひら)の姿だけが見えないことだ。

儀式の時には、教子と手をつないで、おとなしく立っていたはずだが……その教子も、今は姿が見えない。

 どこへ行ったのだろう。もしや、帰ってしまったのか。

やはり、帝と一緒に遊ぶ気にはなれなかったか――と、将臣は嘆息した。

「将臣殿!」

 帝が駆けてきた。捕った魚を誇らしげに掲げている。

「見てくれ、私がつかまえたのだぞ!」

「へえ、大物じゃねえか」

 将臣がほめると、帝は嬉しそうに笑った。

「『きゃんぷ』は楽しいな、将臣殿」

 その無邪気な瞳に、ちくりと良心が咎めた。現実は『きゃんぷ』と呼ぶにはあまりにお粗末なキャンプもどきだ。

「そうか、いや――おまえが楽しいなら、よかったよ」

「うむ、楽しい!」

 力強くうなずく帝に、将臣は心の中でそっと詫びた。

 いつか、本物の自然の中で、本物のキャンプをさせてやることができればいいと願いながら。

「……ん?」

 ふと将臣は気づいた。地面が揺れている。

「なんだ、地震か?」

 辺りを見回す。そして、どすどすと地響きのような足音をたてて近付いてくる、大柄な男の姿に気づいた。

 地震の正体は、門脇兄弟の長男・(みち)(もり)だった。

「すまぬ、将臣殿。助けてくれぬか」

「は?助けって……」

 どうしたのかと問う暇もなく、強引に腕を引っ張られる。

「って、おい!」

「事情は後で話す。ともかく来てくれ」

「将臣殿!」

 腕どころか体ごとひきずられていく将臣を見て、帝が大きな目を見開く。

 将臣はだいじょうぶだと手を振って見せた。

「悪い、帝。すぐに戻る――」

「待っているぞ、将臣殿!」

 通盛にひきずられ、将臣は広い庭の隅――(かがり)()の明りが、ギリギリ届くか届かないかという場所まで連れて行かれた。

 事情は聞かずともわかった。そこに尊成が居たのだ。

 見るからに機嫌が悪そうで、横顔が「俺に近付くな」と言っている。

 尊成のそばには、通盛の父である(のり)(もり)と、弟の(のり)(つね)が居て、気難しい親王様のご機嫌をどうにか直そうと努力している。

 大の男が――門脇一家は全員、文字通り体がでかい――幼い少年を必死になだめようとしている姿は、滑稽(こっけい)でもあり、気の毒でもあった。

「見ての通りだ」

 通盛がため息と共に言った。

「貴殿は親王様と親しいのであろう。何とか機嫌を取ってくれぬか。我らではどうにも、(らち)が明かぬのだ」

 将臣は別に、尊成と親しいわけではない。そういうことなら、自分などより頼りになる人物が居るはずだ。

「教子さんはどうしたんだよ?」

 尊成の乳母で、通盛の妹でもある教子はどこへ行ったのか。彼女が居れば、こんなことにはならぬはず――。

 通盛の顔色がすうっと暗くなった。

「教子は、ここにはおらぬ」

 続く言葉に、将臣は耳を疑った。

「先程、急に倒れてな。今、薬師が診ているところだ」




三十一、母と子(3) に進む



目次に戻る



サイトの入口に戻る