還内府の章 三十、特別な日(2)

 

――やがて、部屋の外が少しずつ騒がしくなってきた。

人のざわめきや足音。内裏のどこかから、琵琶(びわ)や、琴の()が聞こえ出す。

 それを合図にしたかのように、部屋の隅に控えていた女官たちがさっと立ち上がった。

「帝、そろそろお支度を――」

 お支度とは着替えのことだ。人前に出るため正装するのだという。

 帝が女官たちに連れられて行き、将臣はこちらでおくつろぎくださいませと部屋の中に残された。

 とはいえ、1人で居ても退屈だ。

将臣は庭に出た。

 せっかくの七夕だが、あいにくの空模様だった。どんよりと重たい雲が垂れ込め、今にも雨粒を落としてきそうである。これでは今夜、星を見るのは難しいかもしれない――。

そんなことを考えていたら、また懐かしい記憶が将臣の脳裏に蘇ってきた。

――どうか、晴れますように。

 あれはまだ4、5歳の頃だったと思う。望美と2人、将臣の家で留守番をしながら、笹の葉に飾る短冊の願い事を書いていた時のことだ。

 将臣は適当に、欲しい物が買ってもらえますように、的なことを書いたのだが、望美は「晴れますように」と書いた。

 そんなの願い事じゃねーだろ、と馬鹿にしたら、えらく憤慨して言った。

 織姫と彦星は、年に1度、七夕の夜にだけ再会を許される。しかし雨が降っては、それも叶わないのだと。

 最初にその話を聞かせてくれたのは、両親だったか、祖母のスミレだったか。ともかく望美は、すっかり織姫に感情移入してしまったのである。

(そういや、あの時は結局、雨が降ったんだよな……)

 織姫がかわいそう、神様はひどいと、望美は空を見上げて怒っていた。

怒りながら泣きそうな顔をしていたので、将臣も見るに見かねた。

かといって、天気が変えられるわけではない。子供の頭では、気の利いた慰めも思い浮かばない。

結局、テルテル坊主を1つ作って、望美に手渡した。これで晴れるだろ、とかいいかげんなことを言って。

 望美は不思議そうに目を丸くしていた。将臣の作ったテルテル坊主を見つめて、

 ――もしかして、プレゼント?

 将臣はただ、望美に泣いてほしくなかっただけで、他のことは何も考えていなかった。

なので黙っていると、望美は花が咲いたような笑顔を浮かべた。

 ――ありがとう、将臣くん。

 いったい何が嬉しかったのだろう。あんな、紙を丸めて作っただけの人形1個で。

 もしかすると……プレゼント、という言葉には、単に贈り物という以上の意味があったのか。

 幼い将臣から望美へ、初めての――。

「誕生日おめでとう、望美」

 灰色の空を見上げながら、将臣はつぶやいた。

 今日、7月7日は、望美の誕生日だった。(※)

 将臣と(ゆずる)にとっては、毎年、贈り物に頭を悩ませる日だ。望美は基本、何を贈っても喜んでくれるが、そこはそれ、もっと喜ばせたいと思うのが男心である。

 この日を異世界で迎えることになるとは思わなかった。何より、自分の横に望美が居ないというのは想像できなかった。

 年に1度だけ会うことができる織姫と彦星にあやかって、一目だけでも望美と再会できたら言うことはないが、そんな奇跡のようなことが現実に起きるはずもなく。

 だが、たとえどこに居ても、何をしていたとしても、自分はこの日を祝うだろう。離れ離れになってもう随分になるが、いつか再会できるはず――という想いは揺るがない。

 その時、視界の端を何か、白い物が横切っていった。

(………?)

 将臣は目を凝らした。

 今のは何だ?

 こんな真っ昼間から――まさか幽霊ということもあるまいが。

『ニャーオ』

 庭木の陰から、白猫が姿を現した。先日、内裏に連れてきた胡蝶(こちょう)だった。

「なんだおまえ、まだこっちに居たのか?」

 将臣はホッとしながら近付いていった。あれ以来、姿が見えなかったので、少し気になっていたのだ。

猫には猫の都合がある、放っておけばいいと知盛は言ったが、自分が目を離したせいで迷子にでもなられた日には、さすがに平家の人々に申し訳ない。

白猫はちらりと将臣を見て、すぐに身を翻した。

「あ、おい」

 庭木の陰をのぞいてみたが、もう姿がない。

「ったく……」

 人の気も知らずに、猫は気まぐれだ。

(ま、いいか――)

 とりあえず無事だということはわかった。乞巧奠(きっこうでん)が終わったら、またあらためて探せばいい。

 遠くから、楽の音が響く。

 知盛に聞いた話によれば、乞巧奠(きっこうでん)では、貴族らが集まって詩歌や管弦の宴を催すという。

 今も琵琶や琴の音に混じって、にぎわう人々の声が聞こえる。楽しげな笑い声、歌声、男の悲鳴――。

「あ?」

 将臣は悲鳴の聞こえた方に目をやった。ひげを生やした貴族が1人、転がるように廊下を走ってくるところだった。

「おい、どうした?」

声をかけても、貴族は気づかない。よほど恐ろしいことでもあったのか、必死の形相で逃げ去っていく。

「………?」

 ケタケタと笑い声がした。

「いい気味だ、思い知ったか」

 将臣は振り向いた。そこに立っていたのは、他でもない。帝の異母弟、(たか)(ひら)親王(しんのう)である。

光沢のある濃い紫の着物をまとい、黒髪を頭上に結い、黒い飾りの付いた帽子をかぶっている。もともと並外れて整った顔には、薄化粧まで施していた。

 京の町を1人で歩かせたら、人さらいがダース単位で群がってきそうだな、と将臣は思った。

 見た目だけなら、名工の作り出した傑作のようだ。これで、中身がもう少し――ほんの少しだけでも、素直でおとなしければ。

(たか)(ひら)の目は、逃げ去る貴族を見すえている。将臣はなんとなく事情を察した。

「おまえの仕業(しわざ)かよ。……何、やったんだ?」

「烏帽子の中に虫を仕込んでやった」

と尊成は答えた。

「名前は知らんが、足のたくさんある、体の長い虫だ」

 心の中で見知らぬ貴族に同情しつつ、

「なんで、そんなイタズラしたんだよ」

と聞いてみる。

「イタズラではない。懲らしめてやっただけだ」

「あ?」

「あいつが陰でこそこそ言っていた。平家一門の奴らは、所詮は成り上がり。だから品も教養もないのだ、と」

「…………」

 無意識に、将臣の眉が寄った。尊成は続ける。

「平家の奴らのことは、別にどうでもいい。だが、あいつはこうも言った。平家の女を妻に迎える者の気が知れん、と。教子を馬鹿にする奴は、この俺が許さん」

 とりあえず、見知らぬ貴族に対する同情は消え失せた。

ついでに、少しだけ尊成のことを見直した。

「やるじゃねえか」

 ふふんと胸を張る尊成。

「その教子さんは、今日は一緒じゃねえのか?」

「一緒だ。まだ時間があるから、庭でお行儀よく遊んでいろ、と言われた」

 そう言いながら、尊成は廊下に腰を下ろし、着物の袖の中から白い紙包みを取り出した。中には、紅白の砂糖菓子が入っていた。

「おまえも1ついるか」

「ああ、サンキュ」

 将臣は遠慮なく菓子をつまんだ。素朴な甘さで、さらりと口の中で溶ける。

「『さんきゅ』とは何だ」

「ありがとう、のことだ。……うまいな、この菓子」

「うむ、先程、御厨子所(みずしどころ)から盗んできた」

「…………。念のため聞くが、お行儀よく、って言葉の意味はわかってるんだよな?」

「無論、わかっているとも。もう1ついるか」

 見直したのは早過ぎたかと思いつつ、将臣は尊成と2人で菓子をつまんだ。

 ちなみに御厨子所とは、宮中の台所のような場所である。

「おまえは、あいつと一緒ではないのか」

 ふいに尊成が言い出した。

「あいつ?」

「おまえは帝の犬だろう。一緒に居て、番をしてやらなくてもよいのか」

 馬鹿にしたように口元を歪め、せせら笑う。こういう子供らしからぬセリフや表情は天然なのだろうか。

「帝は女官さんたちと着替えに行ったよ。俺は暇だからぶらついてた」

 フン、と小さく鼻を鳴らす。紙包みが空になると、尊成は立ち去る素振りを見せた。

「おい、ちょっと待てよ」

と将臣は言った。ここでばったり会えるとは思っていなかったが、尊成には話がある。

「何だ、帝の犬」

「……その呼び方、何とかならねえか?俺は有川将臣だ……って前にも言ったよな?」

「ならん。おまえの名は覚えにくい」

「そうかね。帝は一発で覚えたけどな」

 別に挑発のつもりでもなかったのだが、尊成はムキになった。

「あいつにできることが、俺にできぬはずがない!有川将臣だな、覚えたぞ!」

 将臣はぽりぽりと頭をかいた。

「なあ、おまえ。なんであいつのこと嫌うんだ?」

尊成は帝を嫌っている。それは間違いない。

問題は理由だ。先日、言っていた父親の寵愛がどうとかいう言葉が出てくるかと思えば、答えは違った。

「あいつがおめでたいからだ」

 憎しみすら感じさせる口調で、そう言った。

「皆にちやほやされて、それが当然だと思っている。あいつが天子様だから、皆が機嫌を取っていることにも気づいていない」

 おめでたくて腹が立つ、と尊成は吐き捨てた。

「俺は、あんな奴の機嫌を取ったりはせん。あいつのことなど、好きでも何でもないのだと思い知らせてやる」

「…………」

 将臣はしばし、尊成の横顔を見つめた。

 帝が大切にされているのはいろんな意味で当然のことだし、それはひがみとか嫉妬というものだろう。

 ただ――尊成だけに問題があるのだと決めつけてしまうには、自分はこの少年のことを知らな過ぎる。

「あのな、尊成」

「呼び捨てにするな、無礼者」

「尊成様」

と言い換えると、それでいいというように少年はうなずいた。

 ひとまずお許しをいただけたようなので、話を続けさせてもらうことにする。

「好きとか嫌いとかいうのは人の気持ちだから、別にどっちでも構わないけどな。気持ちのままに何をしても許されると思ってるなら、ただのガキだ。おまえはそれでいいと思ってるのか?」

 少年に語りかけながら、頭の隅では、俺は何を言っているんだろうなと将臣は思っていた。

 尊成は子供である。まだまだ感情のままに振舞うことが周りに許される年齢だろう。普通なら。

 問題は、先の帝の皇子、という少年の生まれだ。「天子様」の帝と同じく、この少年も、色々と複雑な立場を背負っているのだ。

ただの兄弟げんかが、大人同士の問題になってしまうほどに。

「おまえ、頭いいからわかってるだろ。自分が無茶したら、周りが困るってこと」

 尊成は言い返してこなかった。ただ、不機嫌そうに顔をしかめているだけだ。

「おまえがまた帝に手を出したら、教子さんや、教子さんの旦那が困ることになる。それでもいいのか?」

 将臣の問いに、少年はぶっきらぼうに口をひらいた。

(のり)(すえ)の首を差し出すという話か」

 まさか、知っているとは思わなかった。教子に聞かされたのだろうか?……あの人なら、やりそうな気もする。

「そんなことになったら、おまえも困るだろ?」

「俺は、あいつが――範季の奴が嫌いだ」

 だから首を取られても構わん、と尊成は言った。

「……ヤな奴なのか?」

「嫌な奴だ。外では変人だ何だと言われておるくせに、家では教子に優しくするのだ」

 いい旦那じゃねえか、と将臣は思った。

 思っただけで、口には出さずにおく。

尊成の不機嫌な顔は、おそらくヤキモチだ。自分の面倒を見てくれる女性を独り占めにしたいとは、かわいいところもあるではないか。

「まあ、いい。あいつはもうジジイだからな。俺が大人になる頃には死ぬだろう」

 前言撤回。

 大人になったら、何をどうする気でいるのだろう、こいつは。

「教子さんの旦那のことは、ひとまず置いといて。教子さん自身の立場はどうなる?おまえの面倒見てくれてる乳母(めのと)なんだ、少しは顔立ててやれって」

 尊成は不承不承という感じでうなずいた。

「教子の顔を立てるのはよい。だが、俺は帝には従わぬぞ」

「別に、従えとは言ってねえよ」

「ならばどうしろというのだ」

 それは――理想を言うなら、尊成が先日のけんかの一件を反省し、帝に謝ってくれればいいのだが。

「とりあえず、乞巧奠(きっこうでん)の間だけはおとなしくしててくれ」

 現実には難しいだろうと思い、将臣は言った。

「それだけか?」

「ああ、それでいい。できれば形だけでも帝に謝ってくれたら尚いいんだが……」

「絶対に嫌だ」

将臣が言い終える前に、尊成が発した言葉は、図らずも帝のそれと同じだった。

「誰があんな奴に謝ったりするものか。謝るということは、自分の負けを認めるということだろう?」

「……案外、そうでもないんだけどな」

 世の中には、さっさと謝ってしまった方が得な場合も多い。自分の非を認め、後はひたすら謝り倒せば、相手もそれ以上は責めにくいものだ。

 無論、心からの謝罪が最善ではある。が、口先だけの謝罪にも多少の意味はある。少なくとも、その場の空気を整え、お茶を濁すくらいの意味は。

「何なら、うまい謝り方を教えてやろうか?」

尊成はあからさまに疑わしそうな目付きをした。

「だまされんぞ。おまえは帝の犬だから、俺に謝らせたいだけだろう」

「おい、尊成――」

「呼び捨てにするなと言っただろう、無礼者め」

そう言って、ふいと背を向ける。これ以上、話すことはないとばかりに。

説得は失敗、か。まあ、そううまくいくとは思っていなかったが。

「気が変わったらいつでも来いよ」

立ち去る背中に向かって、将臣は声をかけた。

少年からの返事はなかった。

 

(※)望美の誕生日については当サイトオリジナルの設定です。




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