還内府の章 三十、特別な日(1)

 

 不穏な空気をはらみつつ、迎えた乞巧奠(きっこうでん)当日。

 将臣は早朝から内裏に呼ばれた。理由は、帝の機嫌が悪かったからだ。

異母弟の(たか)(ひら)親王(しんのう)とけんかをした日以来、些細なことでぐずりだしては、女官たちの手を焼かせているらしい。

好きな唐菓子で(なだ)めても、お気に入りの双六遊びを致しましょうと誘っても効果がなく、おかげで早々に将臣が呼ばれることになった、というわけだ。

 実際に会ってみると、帝は確かに落ち着きがなかった。

「あいつがまた来るのか?いつ来るのだ?」としきりに(たか)(ひら)のことを気にしていた。

そのうち将臣の着物の袖を引っ張り、「知盛殿を呼んでくれ。今すぐ呼んでくれ」とねだる。

「呼んでどうするんだ?」

帝は小さな握り(こぶし)を、ぶんぶんと振り回した。

「太刀を習うのだ!あいつが来たら、やっつけてやる!」

「……けんかに太刀はいらねえよ」

将臣は嘆息した。

「だいたい、なんで知盛なんだよ?」

「決まっている!知盛殿は、平家で1番強いからだ!」

「あいつが?」

確かに、強そうな奴だと思ったことはある。そもそも戦場で兵を率いているくらいだ、弱いはずがない。

ただ、平家で1番、はさすがに言いすぎではないのか。将臣の知る知盛は、酒と昼寝を愛する、怠惰な猫のような男だ。

「私はもうあんな奴に馬鹿にされたくない。絶対に、やっつけてやるのだ」

 帝は目に涙を浮かべている。あそこまで()(ざま)に言われたら、それは悔しかろう。

 何とかしてやりたいところだが、けんかの仕方を教えるわけにはいかない。太刀など論外。

 言い負かすというのも難しい。あの親王様は、並の大人よりよほど口が立つ。

「おまえら、兄弟なんだろ?仲良くする、ってわけには……」

「絶対に嫌だ」

 帝はきっぱりと首を横に振った。

「あいつが先に悪口を言ったのだ。絶対に許さぬ」

 珍しく(かたく)なである。

 それでも帝は、根が素直(すなお)な子供だ。相手の方から謝ってくれば、まだ態度を変える可能性はあると思う。しかし、尊成の方はどうかというと――。

(……直接会って話すしかねえか)

 自分にどうにかできるとは思えないし、あまり気は進まないが……さりとて放ってもおけぬ。2人がまた取っ組み合いのけんかをするような事態になったら、教子の夫は首を取られかねないし、宗盛は心労で倒れるだろう。

こっそり女官たちに聞いてみると、尊成が内裏に来るのは、昼を過ぎてからだという。

 なので、それまでは機嫌の悪い帝をなだめつつ、時を過ごす。

「そうだ、将臣殿。『きゃんぷ』にはいつ行けるのだ?」

 その問題もあったな、と将臣は思い出した。

飢饉が去り、市中の衛生事情が改善するまでは、帝が外出するのは難しい。それには時間がかかるだろう……が。

「よく考えたら、別に遠出しなくてもいいんだよな」

 自分が小さい頃、家の庭にテントを張って、キャンプごっこをしたことがある。

 譲と望美と3人、並んで寝袋に入って……。あとは他愛もない話をしながら寝ただけだが、案外、楽しかった気がする。

内裏の庭は広い。池もあれば、水路もある。ちょっとした水遊びだってできるだろう。

夜ともなれば、満天の星だ。あとは音楽でもあれば……ムードは十分ではないか。

「なあ、おまえ。外で寝たことってあるか」

「……外で?」

 思った通り、そんな経験はないのだろう。帝はぽかんと口を開けて、将臣の顔を見上げた。

「川や海は無理かもしれないが、内裏の庭でキャンプ、ってのも悪くないんじゃねえか」

 折り良く、今夜は七夕だ。帝は宮中で星を見る予定になっている。

 何なら、その後でキャンプの真似事でもできれば……ついでに、帝が異母兄弟たちと親交を深められればいいと思う。さらに尊成との仲直りのきっかけになれば言うことはないが、まあ、そこまで都合よくはいくまい。

「そんなことができるのか?」

「ああ。多分……」

とうなずきかけて、宗盛の顔が思い浮かぶ。内裏の庭でキャンプがしたいなどと言ったら、「非常識だ」と怒り狂うやもしれぬ。

「……何とかなるだろ。後で、俺から頼んでみるよ」

「やった!」

 帝は両手を上げてばんざいのポーズを取った。

それから、照れくさそうにへへっと笑う。今日初めて見る、屈託のない笑顔だった。

将臣は覚悟を決めた。この顔を見てしまったら、もう後には引けない。




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