還内府の章 三、異世界の朝


「んん……」

 硬い寝床の中で、将臣は何度も寝返りを打った。

 鳥の声がする。

閉じた(まぶた)をすかして、朝の光を感じる。

とっくに夜が明けているのはわかっていたが――眠い。

 あと5分、あと5分……。

(いい加減にしろよ、兄さん。遅刻するじゃないか)

 弟の、譲の声が聞こえた気がした。

「わあってるよ、うっせえな……」

 ふとんにくるまったまま、将臣は適当な返事をした。

(まったく……仕方がないな)

 譲が近付いてくる。いつものパターンだと、枕を奪うつもりだ。そうはさせじと抱え込み――目が覚めた。

 誰も居ない。

 見慣れない、広い木の床がまず視界に入る。自分の部屋ではない。

「…………」

寝起きで頭がぼんやりする。将臣はしばし、無人の室内を見回した。

喉が渇いていた。這うように寝床から起き出し、ふらふらと水を求めて歩く。

間もなく、広い庭に行き当たった。

 地面には白砂が敷きつめられ、三方を邸の壁が囲み、残る一方には池がある。庭石やら、松やら、えらく立派な庭だった。

「やっぱりな……」

 将臣は嘆息した。

 目が覚めたら全てが夢で、元の日常に戻っている、という展開を多少期待していた。あいにく、そう都合よくはいかなかったらしい。

「ったく。何がどうなってんだか」

 寝癖のついた頭をかきむしる。

 昨夜、清盛に聞かされた話――神だの異界だの、正直信じられなかった。

自分たち3人はただの高校生だ。そんなファンタジーとは縁がない。

 いったいどうしてこんなことになってしまったのか。将臣は記憶をたどった。

 そもそもの始まりは、あの雨の校庭だった。

 ――いや。正確には、あのいかにも怪しい子供か。

 長い銀色の髪に、古風な着物と羽衣。一見、無害そうな幼い瞳。

何か言っていた気もするが、よく思い出せない。

 気がつけば、津波のような水流が校庭に押し寄せ、自分たち3人を飲み込んでいた。

なすすべもなく水の流れに翻弄され、運ばれ――。

 あの時。

 あと少しで、伸ばした手が望美に届きそうだった。

(将臣くん!)

 望美の声も、必死に助けを求める瞳も、はっきり覚えている。

 あと少し。一瞬、指がふれかけた時、重たい水の流れにひきちぎられるようにして、望美の姿が遠ざかり。

 意識が途切れた。

(あいつもここに来てるのか……?)

 帰る家も、頼る者もない、この世界に。

 状況が状況だけに、確実にそうだと言えるわけではないが――その可能性は高い、と言わざるを得まい。少なくとも、元の世界で無事に暮らしている、と考えにくい。

 意識を失う直前、望美のそばには譲の姿があった気がする。せめて2人が一緒に居てくれれば、まだ救いはあるが……。

(とにかく、探すしかねえか)

 あれこれと考えるのは後回し。今は何より2人を探し出し、無事を確かめるのが先だ。

 問題は、どうやって探すかである。ここが将臣にとって未知の場所である以上、1人ではどうしようもない。

(……清盛に相談してみるか?)

 昨夜の様子では、喜んで力になってくれそうな気もするが……果たして、あてにしてよいものやら。

初対面の印象を思い出す限り、ただ親切なだけの男とは到底思えない。

 好きなだけ居ればいいとか言っていたのも、気が変わった、やっぱり出ていけ、という展開になることも十分考えられる。

(てゆーか……清盛って、『平清盛』だよな)

 歴史にはさほど詳しくない将臣も、その名前には一応、聞き覚えがあった。

 大昔、源氏と平家が、互いの命運を賭けて戦ったという、いわゆる『源平合戦』。そのうち平家の親玉が、確か平清盛だったはずだ。

 栄耀栄華を極め、権力を欲しいままにした独裁者。

最後は(やまい)に倒れ、苦しみながら死んでいくとか、そんな役どころだった気がする。

 何にせよ、有名人には違いない。

(ここが異世界だっていうなら、なんで大昔の有名人が出てくるんだ?)

 清盛だけではない。この世界は、過去の日本とよく似ている。

 見た目も、歴史も、そっくりな世界――。

 確か、譲の持っている本にそんな話が出ていた気がする。パラレルワールド、とかいうやつだ。

「おはようございます、将臣殿」

 その時、背中から声をかけられた。

昨夜、清盛と一緒に居た老人だった。

「あ……おはようございます。えーと、斉藤さん」

 実際にはお早い時間でもなかったが、いかにも寝床から起き出したまま、という姿の将臣に、斉藤は礼儀正しく頭を下げた。

「どうぞ、(それがし)のことは実盛、とお呼びください、将臣殿。貴殿(きでん)大殿(おおとの)の大切なお客人ゆえ」

 斉藤の畏まった態度に、将臣はいささか困惑した。

「いや、そんな大げさにしなくていいですって。その『将臣殿』っていうのも、何つーか……」

「?」

 斉藤が不思議そうな顔をする。

「や、何でもないです」

 ここでは普通のことなのかもしれない。考えてみれば、こっちの世界のことはまだ何もわからないのだ。細かいことをいちいち気にしていても仕方ない。

「客なんて言っても、ゆうべは……あれだったし。またいつ追い出されてもおかしくないっていうか」

 つい、本音が口を出た。

 斉藤は気を悪くした様子もなく、

「昨夜は、真にご無礼を致しましたな」

と言った。

「あ、いや」

「確かにその、大殿は……、多少気まぐれなところもおありにございますが……」

 微妙に困ったような顔をしてから、斉藤は続けた。

「されど、1度口になさったことを(たが)えるお方ではない。客人として迎えると言われた以上、必ずその通りになさいます。どうぞ、信じていただきたい」

「…………」

 斉藤の誠実な話し振りに、少しだけ申し訳なくなった。

「すいません、斉藤さ……じゃない。えーと、実盛さん」

 将臣が詫びると、実盛は慌てた。

「いえ……出過ぎたことを申しました。将臣殿が不安に思われるのは無理からぬこと。遠い異界より、この地に来られたばかりなのですから」

「その『異界』って、マジなんすか?」

 将臣は直球で尋ねた。実盛は、また少し困った顔をして、

「某は、大殿と違って無学ゆえ。正直、その……何とも申し上げられませぬが」

 まあ、普通はそうだろう。

「ですが、将臣殿が偽りを申されている、とは思いませぬ」

「…………」

 真顔で言われて、言葉が出なかった。

 昨夜の清盛に続いて、2度目だ。

 将臣本人でさえ、我が身に起きた出来事をいまだ信じられずにいる。そんな時に、誰かが自分の言葉を信じてくれる――それが、これほど心強く、ありがたいものだとは思わなかった。

「……サンキュ」

「さんきゅ?」

 無意識に出た言葉だっただけに、あらためて聞き返されると照れ臭くなった。

「いや、その……ありがとな。信じてくれて」

 実盛は慌てて首を振った。

「礼などと。某でお役に立てることがあれば、何なりとお申し付け下さい」

そう言われて、望美と譲のことが頭に浮かんだ。この人なら、信じてもいいのではないか。

「早速で悪いが……」

 将臣は、ここに来る途中ではぐれたかもしれない、弟と幼なじみが居ることを打ち明けた。

 2人の名前、年齢、服装など、思い出せる限り詳しく。

 実盛は真剣にうなずきながら聞いていた。

「承知致しました。幸い、この福原はそう広い町にはございませぬ。見慣れぬ姿の者が歩いていれば、必ず人目に止まるはず。某、人探しならツテもありますゆえ、どうぞお任せ下さい」

 何と頼もしい言葉か。

「将臣殿はこの地に不慣れゆえ、邸にてお待ち下さい」

 本当は自分でも探しに行きたいところだったが……実盛の言うことはもっともだった。

「わかった。迷惑かけて悪いが、よろしく頼む」

「では、御前失礼致します」

 軽く一礼して、実盛は去っていった。

 将臣が部屋に戻ると、温かい食事の乗ったお膳と、昨夜、持ち去られた服が届けられていた。きれいに洗濯されている。

 着替えをすませ、食事を取って一息ついた頃、時子が現れた。

「あ、どーも。おはようございます」

と将臣は挨拶した。

「おはようございます。昨夜は、よくお休みになられましたか?」

「まあ、それなりに」

 慣れぬ他人の家、置き畳に薄い布を重ねただけの寝床。

 エアコンなどあるはずもなく、暖をとるものといえば火鉢だけ。はっきり言って寒かった。

 それでも、気がつけば熟睡していた将臣だった。

「色々お世話になりました」

 あらためて頭を下げる。時子は優しくほほえんだ。

「いいえ。かようなお気遣いは無用にございます」

 そこに、騒々しい足音が近付いてきた。

「ようやく起きたか!」

 言わずと知れた、清盛であった。

「あー、その、なんだ。ゆうべは世話になって――」

「挨拶などはよい!それより、随分とよく眠っておったではないか。もはや陽は中天まで昇っておるぞ。このような時に朝寝とは、まったくあきれた男よのう」

 言葉とは裏腹に、清盛は上機嫌だった。

「時子もここにおったのじゃな。ちょうどよい。実は今宵、宴をひらくことにした!」

「宴?」

 将臣は首をひねった。

「うむ。一族郎党、全て集まるようにと、遣いを出したところよ」

 何だか知らないが、えらく大げさな話だ。

「ですが、今は宴などひらいている時ではないのでは……」

時子が心配そうな顔をする。しかし清盛は自信満々、

「かような時なればこそよ。今こそ一門の結束を高めるべきではないか。それに京に戻れば、この福原では、しばらく宴もひらけまい?今のうちに名残を惜しんでおくがよかろう」

「それは、そうかもしれませぬが……」

 清盛は意味ありげに将臣を見て、にやりとした。

「せっかくおもしろき客が来たのじゃ。皆にもこの男の顔を見せてやろうぞ」

「おい、ちょっと待て。俺はなんかの見世物か?」

「怒るでない。我が一族の者に、そなたを引き合わせてやろうというのよ」

清盛はこうと決めたら動かないタイプらしく、将臣の抗議も聞いていなかった。

「宗盛には先程、話をしておいた。知盛はどうした?今朝は来ておらぬのか」

 時子が首をかしげる。

「知盛殿でしたら、わたくしも今日は、まだお姿を見ておりませぬが」

「仕方のない奴よの、またどこぞで昼寝でもしておるのか。まあよい。して、重衡(しげひら)は?」

「重衡殿は……親しくされている女性が体調を崩されているとかで、そのお見舞いに」

 時子の答えに、清盛は笑い出した。

「また、女の所か!あれも飽きぬのう」

時子はそれまでと同じ控えめな口調で、

「清盛殿のお若い頃にそっくりでございます」

と言った。

 急に、清盛がうろたえ出した。

「時子、何を申すか」

「おかしなことを申しましたでしょうか?重衡殿の、困っている女人(にょにん)にお優しきところ、清盛殿によく似ておいでではありませんか?」

「そ、そうか。そうじゃな」

「それとも――何かやましいことでもございますのでしょうか?」

「馬鹿を申すでない!とにかく……宴は夜じゃ。それまで、ゆるりと過ごすがよいぞ」

 あたふたと出て行く清盛。

『…………』

 なんとなく、沈黙が重い。

 何かしゃべった方がいいかと口をひらきかけると、先に時子が言った。

「申し訳ございません。今しばらく、清盛殿のわがままにお付き合いくださいませ」

「………?」

 怒っているのかと思えば、時子は穏やかにほほえんでいた。

「清盛殿があのように楽しげなお顔をなさるのは、久しくなかったことなのでございますよ」

「はあ……そうなんですか?」

 将臣が聞き返すと、時子は瞳を伏せた。

「ええ。重盛殿が亡くなられてからの清盛殿は……いつも暗く、悲しみに満ちておられました。時に自暴自棄になっているようにさえ……」

 たった今見た清盛の姿からは、想像できない話だった。

だが、昨夜、出会った時のことを思い返してみると――確かに、そんな風にも見えた、かもしれない。

「将臣殿には、ご迷惑をおかけしてしまいますが。どうか、この尼の願いをお聞き届け下さいませ」

 時子が頭を下げたので、将臣は慌てた。

「ちょっと、やめてくださいって。俺は別に迷惑とかないですから」

 宴くらい、どうということもない。

 と、この時は思っていた。




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