還内府の章 二十九、乳母の矜恃(きょうじ)

 

 宗盛か(ふみ)届いたのは、それから2日後のことだった。

 文面はごく短かった。先日の件で話があるので、今すぐ邸に来いという内容だ。

最初は見なかったフリをしようかとも思った。

今回のことは、どう考えても将臣の責任ではない。本当に、たまたま現場に居合わせただけなのである。

「それほど嫌なら、放っておけばいいだろうさ……」

 知盛の一言で、逆に吹っ切れた。

「そういうわけにもいかねえだろ」

 嘆息しながら、重い腰を上げる。

 知盛は理解しかねるという表情を浮かべた。

「わざわざ小言を聞きに行くとは……物好きだな……」

 あきれたようなつぶやきを無視して、将臣は部屋を出た。

 宗盛の邸は、鴨川の西。八条大路というでかい通りのそばにある。

六波羅からは歩いて行ける距離だ。まあ、京には公共交通機関がないし、将臣は牛車など乗りたくないので、どこへ行くにも基本は歩きだが。

 門番に来訪を告げると、息子の清宗が出てきた。

「こんにちは、将臣殿」

「おう、元気だったか?」

 はい、とうなずいて、はにかんだような笑みを浮かべる。

毒のない、素直な表情だ。見ていて癒されるというか、ほほえましい。

「やっぱり違うな」

と将臣はつぶやいた。先日出会った親王様とは、似ても似つかない。

「違う?」

「こっちの話だ。おまえの父さんに呼ばれてきたんだが、今居るか?」

「はい、ご案内します」

清宗は先に立って歩き出す。礼儀正しい上に、しっかりした子供だ。まだ小学校の低学年くらいの年だろうに。

 宗盛の邸も、六波羅の清盛邸と同程度に広い。その広い邸を、清宗は迷うことなく歩いて行く。

 長い廊下を渡り、奥まった部屋の前で、清宗は足を止めた。

「父上、将臣殿がお見えになりました」

 お通ししなさい、と宗盛の声がする。軽く深呼吸してから、将臣は部屋の中に足を踏み入れた。

「ご足労いただき、申し訳ない」

「いや、別に――」

と言いかけて、気づく。

 部屋の中に先客が居る。将臣の知らない女性だった。

 地味な着物に、すっぽりと頭巾をかぶって、髪を隠している。そのいでたちは時子と同じ、出家した女性のものだ。

 しかし、時子とは全く雰囲気が違う。

 切れ長の瞳は目尻が吊り上がり、やや大きめの口に、薄く紅を引いている。

 おそらく50歳前後かと思えるが、老けた印象は微塵もない。それどころか、邸の主人であるはずの宗盛がかすむような存在感だ。

「お久しぶりでございますね、有川将臣殿」

 丁寧に頭を下げつつ、その目は値踏みするように将臣を見すえている。

 いかにも気の強そうな……若干、性格のキツそうな女性だ。

「ええと……誰でしたっけ?」

 なんとなく苦手な空気を感じつつ、将臣は尋ねた。

 宗盛が小声でささやいてくる。

「……領子殿だ。時忠殿の(きた)(かた)だ。父上の葬儀の際、ご挨拶しているはずだろう」

 清盛の葬儀は、遺言によって、一族のみで執り行われた。

 とはいえ、その一族の数が少なくない。宗盛が挨拶したと言うならしたのだろうが、あの時の将臣は、心ここにあらずの状態だった。目の前の女性のことも、全く記憶にない。

 なお、北の方、とは貴人の妻を指す言葉である。

 時子の実弟・時忠の妻ともなれば、高貴な身分であることは間違いない。将臣は慌てて部屋の中に膝をつき、頭を下げた。

「すみません、失礼しました」

「いえ、お気になさらず」

 領子という名の女性は、にこりともせずにそう言った。

「それよりも――」

 軽く咳払いして、宗盛に向き直る。宗盛がわずかに身を引くのが気配でわかった。

「お話の続きを致しましょう。わたくしの大切な帝が宮中でおけがをなされたというのは、いったいどういうことでございましょう」

領子は、ハンカチを――いや懐紙(かいし)という、ハンカチのような用途の紙を握り締め、

「この手で抱くように、大切にお育てした帝でございますよ。それが、他ならぬ弟君に手を上げられたというではありませんか」

 言葉は丁寧だが、口調はかなり厳しい。

 宗盛は黙っている。無表情を取り繕っているようだが、よく見ると額にうっすら汗を浮かべている。

「このわたくしを、いったい誰だとお思いですか。卑しくも、帝の乳母でございますよ。それなのに、今日に到るまで謝罪も説明もなく、時忠殿も事を荒立てるなと言うばかりで……」

 この女性が、帝の乳母?

 将臣は首をひねった。これまで宮中で見かけた記憶はない。帝の身の回りの世話をするのは、もっと年若い女官たちの仕事だったはずだ。

 宗盛が意を決したように口をひらいた。

「申し訳ございません、叔母上。ですが、その件については……」

「お黙りあそばせ!」

領子に一喝され、宗盛は再び沈黙した。

「宗盛殿も宗盛殿でございます!なぜ、帝をお助けすることができなかったのですか!臣下たるもの、果たすべき務めがございましょうに――」

 いったい何が起こっているのか。将臣はあっけにとられた。

 宗盛に説教されるのを覚悟で来たら、その宗盛が説教されている。

「将臣殿」

 唐突に、領子がこちらを向く。将臣は思わず身を引いた。

「は、はい?」

「あなた、その場に居合わせたのでございましょう。黙っていないで、お教えくださいましな。いったいわたくしの帝に何があったのですか」

「いや、何って……」

 宗盛が小さく首を振った。何も言うな、とその目が言っている。

「きっと、親王様の方が先に、乱暴なことをなさったのでしょう?こう申し上げては何ですが、あの方は生まれながらに性質が歪んでいらっしゃるのです。ご自身が帝になれないことを恨みに思っているのです。だから帝を傷つけようなどと……恐ろしい……」

 実際、将臣が何か言う必要はなかった。領子は1人でまくしたてている。

「かようなことが起きた以上、誰かがその責めを負うのは当然でございましょう?特に、親王様の(めの)()である(のり)(すえ)殿には、重大な責任がおありのはず。なぜ、この場にいらっしゃらないのですか」

「いや……、間もなく来られるはずで……」

 しどろもどろに答える宗盛。

「さようでございますか。ならば、それまで待つと致しましょう」

 そう言って、領子はようやく口を閉じた。

どうやら、まだ誰か来るらしい。親王様のメノト――ということは、先日宮中で会った教子の夫か。

 なんとなくだが、将臣が呼ばれた理由も察しがついた。

 おそらく、証人のようなものだ。けんかの場に居合わせた人間を集めて、話を聞くつもりなのだろう。もっともこの女性は、自分の聞きたい話しか聞く気はなさそうだが……。

 一方的に主張を述べて、人の言葉には耳を貸さない。

間違いなく、苦手なタイプだ。将臣は時忠のことがあまり好きではないが、この女性と暮らしているのかと思うと、なんとなく同情したくなった。

「父上、お客様がお見えになりました」

 やがて部屋の外から、清宗の声が告げる。

 スッと戸がひらき、姿を現したのは、長身の女性。

「教子殿……?」

宗盛が驚いたように目を見開く。

やってきたのは教子だけだった。夫の姿はない。

内裏で見た時は着物に袴だったが、今日は着物の裾をつぼめて短くした、この世界の女性の外出着を着ている。

着物の色は白に近い茶で、その上に紫色のショールのようなものを羽織っている。落ち着いた色遣いが、教子の控えめな雰囲気によく似合っていた。

「お待たせして、申し訳ございませぬ」

端然とその場に膝をつき、部屋の中の一同を見回す。そのまなざしは、内裏で見た時と同様、奇妙な迫力に満ちている。

「なぜ、あなた1人が?(のり)(すえ)殿はどうなさったのですか」

領子が不審そうに声を上げる。

「夫は、所要により来られませぬ」

 それが、教子の答えだった。

「所要ですって?かような大事(だいじ)に、何を考えていらっしゃるのです!」

 ヒステリー気味に叫ぶ領子。しかし、教子は全く怯まない。

「尊成親王様をお育てしているのは、この私でございます。ゆえに、今日は夫の代理として参りました」

「ええ、ええ。それはさぞ立派な教育をなされているのでしょうとも」

 領子の嫌味にも構わず、教子は用意してきたセリフを読み上げるかのように淡々と続けた。

「此度のことは全て、私と夫の不徳の致すところ。弁解は致しませぬ。親王様には深く反省していただき、今後は兄弟、力を合わせて帝をお守りすると誓っていただきます」

「信じられませんわ。そのような戯言(ざれごと)

 領子はぴしゃりと言った。

「あの親王様に限って、帝をお守りする意思などあるものですか。いっそ、乞巧奠(きっこうでん)には参加しないでいただきたいくらいです。また此度のようなことが起きたらどうなさるおつもりですか?」

 その点は、将臣も似たようなことを考えていた。あの2人が再び顔を合わせたら、何事も起こらないではすまない気がする。

「…………」

 教子は黙って領子を見つめた。領子もその顔を見返す。

 短い沈黙を挟んで、教子はゆっくりと口をひらいた。

「再び、此度のような不始末が起きたら――」

「起きたら?」

「その時は、お詫びとして、夫の首を差し出しましょう」

 菓子折りでも持ってくる、というような気安さで、教子はそう言った。

『…………』

 将臣はあっけにとられた。

 宗盛も唖然としているし、さすがの領子も、毒気を抜かれたような顔をしている。しかし彼女は、立ち直るのも早かった。軽く居住まいを正して胸を張り、

「そんな――そのくらいのことは当然です!私とて、帝の乳母を務める身。常日頃から、その程度の覚悟はしておりますとも!帝のためならば惜しいものなどありません。たとえ夫の首であっても、喜んで差し出しましょう!」

 再度、時忠に同情。

 あんたら、差し出すなら自分の首にしたらどうだ――と将臣は心の中でつぶやいた。無論、この場で口に出すほど無謀ではないが。

 将臣と宗盛を蚊帳(かや)の外に置いて、女2人はひたとにらみ合っている。

 緊張感をはらんだ沈黙が過ぎ、ふっと瞳の力を抜いたのは領子の方だった。

「まあ、いいでしょう……。あなたがそこまで仰るのなら、この場は信じることに致します」

 その言葉で、室内の空気がわずかに緩む。

「ありがとうございます」

 表情を変えぬまま、頭を下げる教子。領子は再びまなじりを吊り上げて、

「言っておきますけれど、あなたの顔を立てて、信じると申し上げただけですからね!勘違いをなさらぬことです!あなたの失態は、すなわち平家の女の恥となること、ゆめゆめお忘れにならぬよう!」

言うだけ言って、領子は席を立った。

「では、わたくしは失礼致します。乞巧奠(きっこうでん)の席でお会い致しましょう」

 足音も高く、廊下に出て行ってしまう。

 領子の姿が見えなくなると、宗盛がくたっと肩を落とした。

 そのまま顔を上げようともしない。どうやら相当、参っているらしい。

「……あんたも大変なんだな」

 小声で話しかけると、しばしの間があって返事が返ってきた。

「今日はすまなかったな、将臣殿」

 ひどく疲れた声だった。

「貴殿をここに呼んだのは……およそわかっていようが、先日の一件に居合わせたからだ。直接会って話を聞きたいと、領子殿の希望でな」

「……あの様子じゃ、俺が居ても居なくても大して変わらなかった気がするけどな」

「そうだな。そうかもしれん――」

珍しく気が合っている将臣と宗盛の横で、教子は特に何事もなかったような顔をしている。

 とはいえ、本当に大変なのは教子の方だろう。乞巧奠(きっこうでん)で不始末があったら、その責任を取らなくてはならないのだから。

 じっと見ていると、目が合った。教子は小さく会釈して、

「先日は大変お世話になりました。有川将臣殿」

「いえ、こちらこそ」

将臣も慌てて頭を下げる。

「親王様をお止めいただいたとかで、お礼の言葉もございませぬ」

「あのガキ……あーいや、親王様は、お元気でいらっしゃいますか」

 慣れない敬語を使う将臣を見て、宗盛が妙な顔をした。

 まあ、確かに。日頃はもっとぞんざいな態度を取っているかもしれないが……。しかしこの女性と会うと、どうにも緊張するというか……。

「はい。変わらずに、お元気でいらっしゃいます」

「やっぱり、お仕置きとかされたんですか?」

 お叱り申し上げました、と教子は答えた。

「ですが、ご自分は悪くない、と言い張っておられます」

「いい根性してるな。いや、してますね」

「どうぞお楽に」

と教子は言った。

「仰る通り、お気持ちの強い方です。それに、大変聡明な方でもいらっしゃるのですが……ほんの少し目を離すと、すぐに先日のようなおいたをなさるのです」

「教子さんの前では、しないってことですか?」

「はい。お仕置きが怖いのでございましょう」

 確かに、尊成は恐れていた。お仕置きか――あるいは教子自身のことを。

「……やっぱり、尻叩きとか?」

「あれは言葉のあやでございますよ。恐れ多くも、親王様に手を上げるようなことは致しません。みっちりと、お説教しただけでございます」

 それはそれで怖い、とは言えなかった。

「さっきの話……あいつが帝に力を貸すよう誓わせる、なんてできるんですか?」

 先日けんかしていた2人の姿を思い出すと、かなりの難題に思えるのだが。

「そうしていただく他はありませんね」

教子はあっさり言った。

「さもなくば、本当に夫の首を差し出さなければならなくなります」

「……言葉のあやだよな?」

「そのような恐ろしいことを言わずに、何とか穏便にすませてくれ」

宗盛が言う。年の近従妹(いとこ)相手だからか、わりと砕けた口調であった。

「あの親王様が信頼し、心を許しているのは、あなただけなのだから」

「努力は致しましょう」

とうなずく教子。

その目は、なるようにしかならぬ、と悟っているようだった。




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