還内府の章 二十八、やんごとなき事情

 

「そうですか。内裏でそのようなことがありましたか」

 経正が苦笑する。

将臣は返事の代わりに、疲れたため息を漏らした。

夜空に月が浮かんでいる。銀河に浮かぶ小船のような、上弦の月だ。

もはや恒例となりつつある、経正邸での飲み会。ただ、今回は誘われたのではなく、将臣の方から訪ねてきた。

今日は色々あって疲れたので、経正の顔でも見ながら、ゆっくり飲みたくなったのだ。

帝に会うため内裏に行ったはずが、あのけんか騒ぎである。

結局、キャンプのことを話す暇もなかった。

あの後、帝は怪我(けが)の手当てをするため女官たちに連れられて行き、将臣はといえば、騒ぎを聞きつけてやってきた宗盛につかまってしまった。

いったい何があった、事情を説明しろと、ほとんど怒鳴るような剣幕で迫られ。

「事情って……ただの兄弟げんかだよ」

ありのままに答えると、宗盛はその場で卒倒しかけた。

「帝が……よりによって、あの親王様と……」

「おい!?」

 とっさに助けようとした将臣だったが、すんでのところで宗盛は立ち直った。

「とにかく。何があったか、詳しく話せ」

 詳しくと言われても、将臣に話せることなどほとんどない。帝に会いに来たら、けんかをしていたというだけだ。

 その場は人が集まってきたため、ひとまず解放されたものの、後で事情説明に来いと言われている。

正直、気が重い。

ちなみに小松兄弟の四男・有盛は、いつのまにか姿を消していた。

とばっちりを恐れて、逃げ出したのだろうか。ぼんやりしているように見えて、意外に抜け目のない奴である。

「宗盛殿のお気持ちもわかります」

経正は笑うのをやめ、幾分(いくぶん)深刻な表情を作った。

「帝がお怪我をされたとあっては心配でしょうし……後で問題になることも考えられます」

「問題って、責任を取らされるってことか?」

 いわゆる監督責任というやつだろうか。

 あの場には確か、大人が1人居た。例の、気絶していた壮年の男である。

帝と尊成のけんかを止めようとしていた女の子――範子(のりこ)内親王(ないしんのう)の養育係だとかで、猫間(ねこま)中納言(ちゅうなごん)というのが名前らしい。いや、名前かどうかはともかく、そう呼ばれていた。

 なぜ気絶していたかといえば、けんかを止めようとした弾みで、転んで頭をぶつけたという、将臣の想像通りの事情だったらしいのだが。……あの男に関して言えば、仮に責任を取らされたとしても、仕方がないかもしれない。

「そうですね。何らかの罰を受けることも考えられます」

 経正は思案げにうなずく。

「猫間中納言殿もそうですが、やはり問題になるのは(たか)(ひら)親王(しんのう)でしょう。実のご兄弟とはいえ、帝に手を上げたのですから――」

「おい、ちょっと待てよ」

将臣は目を見張った。

「あの生意気なガキが、罰を受けるってのか?まだこんなチビだぞ?」

 経正は少し考えて、

「原因は、何だったのでしょうか?」

と言った。

「けんかの原因か?確か……父親の寵愛がどうとか言ってたような……」

 尊成の母親の方が寵愛を受けていたとか、帝の母親と清盛が后の座を盗んだとか……、うろ覚えだが、そんな話だった気がする。

 経正はふっとため息をついて言った。

「幼い尊成親王ご自身が、そのようなお考えを持つとは思えません。おそらく周囲の大人が、心無い言葉を聞かせたのでしょうね」

 確かにありそうな話だし、経正がそう言うのもわかるが、

「……どうだろうな。あのガキに限っては、わかんねえぞ」

 あれだけ口が回るのは、並外れて頭の出来がいい証拠。

 あの少年なら、自分で考えたことをしゃべっていたのだとしても、別に不思議はない気がする。

「そういえば、あいつ……」

 ふと将臣は思い出した。あの少年の顔立ちが、宗盛の息子・清宗と似ていたことを。

「どうかなさいましたか?」

「あー、いや。ちょっと気になったんだが……」

「?」

「その……」

 将臣は口ごもった。果たしてこれは、他人が聞いてもいいような話なのか。

「……いや。やっぱ、やめた」

 経正の頬が緩む。

「そこまで仰られたのですから、どうぞ最後まで。何が将臣殿のお心を煩わせているのでしょう?」

 そう言われて、将臣も思い直した。もしも聞いてはまずいような事情があるなら、経正がそう言うだろう。

「ちょっと気になったんだ。あの尊成って奴、清宗と妙に似てるよな?」

 予想に反して、経正はあっさりうなずいた。

「ああ、そんなことですか。確かに、あのお2人はよく似ていると、私も思います」

「……なんで、似てるんだよ?」

 宗盛の息子と、帝の腹違いの弟が、まさか血がつながっているとも思えない。

 そう思ったら、まさしく血がつながっているのだと経正は言った。

 帝と尊成の父方の祖母に、滋子という女性が居る。若くして亡くなってしまったそうだが、絶世の美女だったという。尊成は、この女性の容姿を色濃く受け継いだ。

 一方の清宗は、母親に似たのだという。

「宗盛殿の奥方である清子殿は、滋子様の実の妹御に当たります。お2人は姉妹というだけあって、とてもよく似ていらっしゃったのですよ」

 母親似の清宗、祖母似の尊成。2人の女性は姉妹。

 なるほど、聞いてみれば、別にどうということもない話だった。

「けど、ややこしいな」

「?」

「清宗の伯母さんが、帝と尊成のばあさん……ってことだろ?宗盛にとっても、血はつながってないけど親戚で……」

 人間関係の複雑さに将臣が唸っていると、経正が追い討ちをかけてきた。

「付け加えると、滋子殿と清子殿は、尼御前と時忠殿の腹違いの妹に当たります」

「はあ??」

帝の祖母と宗盛の妻が、時子と時忠の妹?

 と、いうことは、だ。帝の母親は時子の娘だから、帝の父親とは従姉(いと)()同士で……。宗盛は、自分の母親の妹――要は叔母に当たる女性を妻にした、と?

「それに、尊成親王の母方の祖母に当たるのは、宗盛殿の腹違いの姉君です。この方は後妻ですので、親王様と血縁はありませんが……」

「待て。降参だ、降参」

 将臣が両手を上げると、経正はおかしそうに笑った。

「つまりは尊成親王も、広い意味では平家に連なる方、ということです。宗盛殿も、そう厳しいことはなさらないでしょう」

 尊成の養育責任者である(めの)()を呼んで、苦言を呈するくらいではないか、と経正は言った。

「それって、あの教子さんて人か?」

 内裏で出会った長身の女性の姿を、将臣は思い浮かべた。

「正確には、その夫……高倉(たかくら)(のり)(すえ)殿ですね」

「旦那の方か……」

 そういえば、有盛が言っていた。親王というのは、それにふさわしい養育者によって育てられるのだ、と。

 あんな年の子供が、親から引き離される。将臣の世界の常識に照らせば、同情に値する話だ。

しかし、経正は「珍しいことではありませんよ」ときっぱり言った。

「私も、幼い頃は両親と離れ、寺で育ちました」

「……寺?」

 将臣は首をひねった。寺、と言っても、経正は別に出家しているわけではない。

「さる高貴なお方にお仕えしながら、学問や礼儀作法を学んでいたのです」

寺に預けるのは、しっかりした教育を子に受けさせるためなのだという。京には学校や塾のようなものがないから、その代わりなのかもしれない。

「親王様をはじめ、帝のご兄弟は皆、乳母(めのと)に預けられていますし……」

 メノト、という言葉は、こちらの世界に来てから何度か耳にしている。

 以前、重衡の()母子(のとご)だという男に会ったことがあるし、知盛にも乳母子が居る、と聞いた。

「中には子供を乳母(めのと)に預けず、ご自身で育てられる方もいらっしゃいますが……宗盛殿がそうですね。亡くなった奥方の遺言だったのですよ」

 自分が居なくなった後も、子供たちには寂しい思いをさせないでほしい。息を引き取る間際に妻が遺した言葉を、宗盛は守っているのだそうだ。

 今も亡き妻を想い独り身を通している、宗盛らしい話だった。

「要は、ケースバイケース、ってことだな」

「けえす、ばい、けえす?」

 経正が目を丸くする。

「あ、悪い。つまりは、その家次第……だろ?」

「そうですね。場合によっては、同じ家の中でも違うということがあります。私の末の弟も遅くに生まれたので、父上が大切に手元で……」

 ぷっつりと、経正の声が途切れた。

「経正?」

「…………」

「おい、どうした?」

 経正は放心したように宙を見つめている。軽くその肩を揺すってやると、ハッと顔を上げて将臣を見た。

「申し訳ございません。少し……ぼんやりしておりました」

「………?」

「尊成親王のことですが、間もなく執り行われる乞巧奠(きっこうでん)の席で、実の母上ともお会いになれるはずですよ」

 話題を逸らそうとしているのはわかったが、敢えて追及せずにおいた。

 おそらく、経正には秘密がある――。部外者の将臣には言えないような秘密が。わずか半年ほどの短い付き合いでも、そのくらいはもう気づいている。

「キッコウデンって、例の宮中でやる七夕の祭りのことだな?」

「はい。亡き上皇様を偲んで、(ゆかり)のある方々が一同に会することになっています」

 亡き上皇様とは、今年の1月に亡くなった、帝の父親のことだ。縁ある方々が会するということは、帝の異母兄弟や、その母親たちが全員集まるのだろう。

「尊成親王様が内裏にいらして帝とお会いになったのは、その前の軽い顔合わせ……ということだったのではないかと思いますが」

 結果は、取っ組み合いのけんかになったと。

「あいつら、七夕の祭りでも会うのか……。先が思いやられるな」

「さすがに今日のようなことは何度もないでしょう」

経正は笑っているが、尊成の顔を思い浮かべると、果たしておとなしくしているかどうか――不安だ。

「っと、そうだ。話は変わるが……」

 将臣は着物の袖の中から、1通の文を取り出した。

「今日、内裏でもらったんだ。その、知らない女に」

 経正は黙って文を受け取り、将臣の顔を見た。将臣はぽりぽり頭をかいて、

「どうもそれ系の手紙らしいんだが……あれだろ、こういうのって、確か返事を書かなきゃいけないんだよな?」

 経正は事情を察したらしい。なるほど、とうなずいて小さくほほえんで見せる。

「私に代筆を、ということですね?」

「ああ。悪いんだが、頼む」

 この世界の文字も、読む方だけなら少しはできるようになった。だが、書く方となると――。

 経正の手を煩わせてすまないと思うが、他に頼める相手も思い浮かばない。知盛や重衡にでも見せようものなら、おもしろがってOKの返事を出す、くらいはやりかねない。

「承知致しました。それで、将臣殿はどのような返事をなさるおつもりですか?」

「どのようなって……決まってるだろ」

 将臣はあきれた。

 自分はこの世界の人間でもない居候(いそうろう)。女性と楽しく付き合えるような身分ではない。

 そもそも、あの女官が本気だったとは思えない――。

京の貴族にとって、恋愛というのは、一種の遊戯なのだ。ちょっと気になった相手が居れば、歌や文を送って相手の反応を見る、ということが普通に行われている。

 先に文を送るのは男の方だと聞いていたが、建前と実体は違うということなのかもしれない。

 特に宮中の女性たちは積極的だ。この時代の人々は年の差カップルにも寛容らしく、見習いの少女から初老の官女に到るまで、恋文の腕を競い合っている。

 そんな中でも、平家の(きん)(だち)は美形揃い、教養がある上に、貴族の男にはない力強さという魅力も加わって、宮中の女性たちに人気の物件である。

 おそらく彼らと親しいという理由から、自分にもこんなおこぼれの文が来たのだろうが……。

「ああ、これは――なかなかの達筆ですね」

 経正は文に目を通しながら、

「ここはひとつ、色よい返事を考えてみてはいかがですか」

などと、あまりタチのよくない冗談を言い出した。

「あいにく、その気はねえよ」

「何事も経験です。女性とお付き合いするというのも、無駄にはなりませんよ」

 さらにもう一言、経正が押してくる。

 文を折り畳んで袖の中にしまい、代わりに、傍らに立てかけてあった愛用の琵琶を手元に引き寄せる。一曲、聞かせてくれるつもりなのかもしれない。

「そういうあんたはどうなんだよ?」

と将臣は切り返した。

 経正は現在、独身。

 気の置けない友人として付き合っているが、実は将臣より10歳近く年上である。

 長身、甘いマスク、穏やかで人当たりのよい性格、しかも歌詠みの巧みで琵琶の名手とも来れば、京の女性にモテる要素は全てそろっていると言っても過言ではない。

 その経正が三十路(みそじ)近くなっても恋の噂1つ立てないというのは、宮中でも大いなる謎とされている。

「女性というのは、なかなかに難しいものですから」

 経正はしれっと答えた。さっき将臣に言ったセリフと、微妙に矛盾している。

「あんた確か、長男じゃなかったか?結婚して家を継げとか、そういうプレッシャーとかないのか?」

 敢えて立ち入ったことを尋ねてみると、琵琶の調整をしながら、さらりと受け流された。

「私の家は、所詮、平家の傍流です。その点では、宗盛殿や維盛殿より遙かに自由な立場です。しかるべき家から妻を迎え、平家の力をより高めることに尽くすのも1つの生き方でしょうが……」

 じょん、と一音、琵琶の弦をかき鳴らす。

「歌と風流の道で名を残すのも、一門への貢献になるかと思いまして。清盛伯父上にお話ししたところ、それもよかろうと許していただきました」

 口調は穏やかだが、経正の瞳に迷いはない。

自分で自分の生き方を決め、それを守っているのだ。柔和に見えて、実は意志が強い男なのだろう。

「もっとも、それは己の生き方を選ぶことがこのまま許されるなら、の話です」

経正が琵琶を奏で出す。将臣は目を閉じ、音色に耳を傾けた。

「まだ先の話ですが――戦地へ行くことになりました」

「…………」

 じょん、じょん、と琵琶の音が鳴り響く。

 将臣は目を開け、小さくため息をついた。

「また……戦なのか」

「はい。(みち)(もり)殿が大将で、私が副将です。北陸道の反乱を鎮めるため、行かねばなりません」

北陸道とは、将臣の知る北陸地方と、ほぼ同じ地域の名前だ。数ヶ月ほど前から、反乱勢力の活動が活発になっている。

それ自体も問題だが、さらに厄介なのは、交通の要衝である琵琶湖北岸を彼らに押さえられていること。

おかげで租税を始めとする地方の物資が、都に届きにくい状況になっている。

 ただでさえ物資の不足している京の現状に、反乱が追い討ちをかけているのだ。

 それゆえ急ぎ、北陸道を押さえねばならないのだと、経正は言った。

「将臣殿と酒を飲むのも、これが最後になるやもしれませんね」

「おい――しゃれになってねえぞ」

 経正は声を立てて笑った。

「申し訳ございません、少し酒に酔ったようです。どうか、そのように不安な顔をなさらずに」

将臣は気まずくなって目をそらした。自分は、そんな顔をしていただろうか?

「私は帰ってきます。まだ死ぬわけにはいかないのだから――」

 迷いのない、強い言葉。その胸に去来する思いを、将臣が知る(すべ)はない。

 言うべきセリフも見つからず、ただ黙って琵琶の音に耳を傾けるしかない。

語りかけるように静かで、そして優しい音色だった。

その()を聞いていると、経正が戦地に行くという話も、何かの冗談のように思えてくるのだった。




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