還内府の章 二十七、帝の大げんか

 

 帝が取っ組み合いのけんかをしている。

 その信じがたい光景を前に、将臣はひとまず冷静に、状況を理解しようと務めた。

帝のけんかの相手は、帝と同い年くらいの少年だった。

背格好もだいたい同じで、帝が着ているのとよく似た青い着物と袴を身につけている。顔はよく見えない。上になり下になり、ぽかぽかと殴り合っているせいだ。

「やめなさい!2人とも、離れなさい!」

おかっぱ頭のかわいい少女が、果敢にもけんかを止めようと声を張り上げている。

年は6つか7つ、将臣の世界なら、ちょうど小学校に上がる頃か。小さな体に、雛人形のような緋色の着物がよく似合っている。

それともう1人、丸顔で色の白い、ぽっちゃりした男の子が居た。こちらは状況についていけていないのか、ただぽかんと口を開けてけんかを眺めている。

幼い子供が、全部で4人。

あとは将臣の知らない、壮年の男が1人――なぜか大の字になって気絶している。

庭石を枕にして横たわっている所を見ると、けんかを止めようとした弾みで、転んで頭をぶつけたのかもしれない。……間抜けな話だが。

「止めないんですか、将臣殿」

有盛に肩をつっつかれて、将臣は我に返った。

「ああ、そうだな……って、あんたは止めないのかよ」

「帝と親王様のけんかじゃあ、恐れ多くて手が出せないですよ」

「シンノウ様?」

 将臣は首をひねった。それは、帝と取っ組み合っているあの少年のことか?

「この嘘つきめ!許さないぞ!」

 帝が叫ぶ。相手の少年も、負けじと言い返す。

「嘘つきはおまえだ!おまえの母親と清盛のジジイだ!」

「無礼者!母上とおじいさまを馬鹿にするな!」

 帝が顔を真っ赤にして怒る。つかみかかろうとするその手を払いのけ、少年は尚も声を張り上げた。

「何度でも言ってやる!本当は俺の母上の方が、父上に寵愛されていたんだぞ!おまえの母親が后の座を横取りした!嘘つきの泥棒だ!」

 将臣はあっけにとられた。また、えらく口の達者な子供である。

「……誰だ、あれ?」

「だから、親王様ですって。(たか)(ひら)親王ですよ。帝の弟君の」

「あ?……帝の、何だって?」

「ご兄弟ですよ。一緒に居るのもそうです。(もり)(さだ)親王様と、範子(のりこ)内親王(ないしんのう)様」

「………………」

 沈黙。

「あいつ、1人っ子じゃなかったのか!?

 そんな今更、と有盛がつぶやく。

「4人兄弟なんて聞いてねえぞ。だったら遊び相手が居ないとかおかしいだろうが」

 わけがわからず混乱する将臣に、有盛はのんびり首をかしげて言った。

「いえ、いつも一緒に遊ぶっていうのは、多分無理なんじゃないかなあ。親王様っていうのは、内裏の外で、ちゃんとした(めの)()に育てられるものなんで」

 思い出したように付け加える。

「あと、4人兄弟じゃなくて、7人ですから」

 将臣は唖然とした。

「……帝のおっかさん、まだ若いよな?」

「?」

 有盛は一瞬不思議そうな顔をしたが、すぐに将臣の疑問を理解したようだった。

「建礼門院様の御子(みこ)は、帝お1人ですよ。異母兄弟、ってやつです」

「ああ」

そういえば、この世界ではよくある話だった。あの愛妻家の清盛とて、家の外に子供が居ると聞いている。

「要するに、兄弟げんかなんだな」

 だったら大騒ぎすることもない。子供のけんかに大人が出るのもなんだし、温かく見守るとしよう。

 一旦はそう決めた将臣だったが、有盛の一言で少しだけ心配になった。

「見た感じ、帝より親王様の方がけんか慣れしてそうですね」

 確かに。帝もがんばってはいるようだが、相手の少年の方が若干優勢だ。

「のんびり見てていいのかよ?」

 もしもこの場に居たのが宗盛や経正あたりなら慌てて止めに入るだろうに、有盛は一向に動く気配がない。

「けど、帝にもけんか相手が居た方がいいようなこと、さっき言ってませんでした?遠慮なくぶつかってますよ、あれ」

「そりゃ、言ったが……」

「俺は関わりたくないです。揉め事に巻き込まれて、後で兄上たちに怒られることにでもなったら嫌なんで」

「それが本音か、おい」

くだらないことを言い合っていたら、「やめて!」と女の子が叫ぶのが聞こえた。

振り向いた将臣が見たのは、(たか)(ひら)親王とかいう少年が、倒れた帝に馬乗りになっている姿だった。その体勢から、さらに殴りかかろうと手を上げる。

「っと、やめろ。さすがにやり過ぎだ」

 将臣はとっさに前に出て、少年の体をひょいと持ち上げた。

「何をする!放せ!」

 少年が暴れた。

「もういいだろ?十分、やり合ったってことで」

「黙れ!放せと言っている!」

 少年は素直に聞くどころか、将臣の足に蹴りを入れてきた。

「いて」

 これでは狂犬を抱えているようなものだ。少しおとなしくなってもらおうと、将臣は少年の体をさらに高く、頭上まで持ち上げた。

 将臣は180を超す長身である。さすがに、少年が息を飲むのがわかった。

「怖いなら下ろしてやろうか?」

「……っ!怖くなどない!この無礼者、名を名乗れ!」

 あまり薬が効いていないようだ。少年を持ち上げたまま、将臣はわざととぼけた声で言った。

「人に名前を聞く時は、まず自分から名乗れ、って誰かに習わなかったか?」

「黙れ!貴様のような下郎に、自分から名乗ったりなどするものか!早く名乗れ!それとも怖くて言えんのか、臆病者!」

「…………」

 ここまで立派な口をきくお子様には、初めてお目にかかった。

 あきれるより感心してしまった将臣は、素直に名乗った。

「有川将臣だよ」

 少年は、はっと口元を歪めて嘲笑した、ようだった。

「知っているぞ。聞いたことがある。愚かな帝が、人の形をした犬を宮中に入れて遊ばせている、とな」

「そういや、そんな話だったな」

 官位を持たない将臣を宮中に入れる口実で、そういうことにしたのだ。この世界の人間ではないのだから、犬猫と同じだろうと。

 将臣は別にどうとも思わなかったが、帝が怒り出した。

「将臣殿を馬鹿にするな!」

ぶんぶんと両手を振り回しながら、必死に飛び跳ねる。無論、少年に届くはずもないが。

「そこでいくらでも吠えていろ、弱虫が!」

 少年がせせら笑う。人に持ち上げられたままの間抜けな体勢で、よくもまあ、そこまで勝ち誇った態度が取れるものだと、将臣はまた感心してしまった。

「下りてこい、卑怯者!」

 帝が悔しそうに叫ぶ。

「下ろしたら、おまえら、またけんかするだろ。少し落ち着けよ」

 あいにく、2人とも聞いていなかった。上と下とで、(ののし)り合っている。

いつまでこの体勢で居ればいいのやら。将臣は嘆息した。

幸い、救いの手はすぐに訪れた。

「失礼致します」

ふいに背後から声がしたかと思うと、見知らぬ女が、将臣の手から少年を取り上げたのだ。ひょいと、まるで荷物でも預かるように。

 繰り返すが、将臣の身長は180超。

その将臣が抱えていた少年の体をたやすく取り上げた女は、将臣と同じくらい、背が高かった。

 年頃は、20代の半ばから後半といったところか。

 女官たちと似たような長い黒髪で、地味な紫の着物をその身にまとっている。

「有川将臣殿でございますね?」

 女が言った。

どちらかといえば控えめで物静かな空気。そのくせ、妙に迫力のある瞳。じっと見つめられて、将臣はわけもなくうろたえた。

「は、はい?」

門脇(かどわきの)宰相(さいしょう)(のり)(もり)が娘、教子と申します」

 女が頭を下げる。

 教盛は清盛の弟である。その娘ということはつまり、知盛や経正のイトコか。

そういえば――門脇家の兄弟には、既に嫁いだ姉妹が何人か居ると聞いた。

「あー、はじめまして。有川将臣です」

 遅ればせながら、将臣も頭を下げる。

「はじめまして。以後、お見知りおきを」

「教子、そんな奴にあいさつなどするな!」

 教子に抱えられたまま、少年が叫ぶ。いましめを解こうとジタバタしているが、教子の一見か細い腕は、少年の体をしっかりと抱きしめて放さない。

「お行儀が悪うございますよ、(たか)(ひら)様。この教子と交わした約束をお忘れでございますか」

 淡々とした教子の声に、なぜか少年の顔が恐怖でひきつった。

「わ、忘れてなどいない!俺はお行儀よくしていた!そこの愚かな帝が悪いのだ!」

「尊成様」

 びくりと少年が身をすくませる。

「兄上様、でございますよ。そうお呼びなさいませ」

「……っ!こんな奴、俺の兄上では――」

「尊成様?」

 じっと少年を見下ろす教子。さして怒っているようにも見えないのに、怖い。

「ご無礼を致しました、と兄上様にお詫びなさいませ」

「…………」

 少年は唇を噛んでうつむいた。果たして素直に謝るだろうかと将臣が案じる間もなく、

「…………嫌だ」

「今、何と申されました?」

 少年はキッと教子の顔を見上げた。

「嫌だ、と言った!こいつは俺の兄上などではない!謝ったりするくらいなら、お仕置きの方がマシだ!」

 教子はゆっくりとうなずいた。

「承知致しました。お尻ぺんぺんとおやつ抜き、どちらがよろしゅうございますか?」

「うぐっ!」

 少年が青ざめる。それを見て、「ちょっと待ってくれよ」と将臣は言った。

「確かにこいつも悪いだろうが、けんか両成敗だろ。一方的に謝らせるっていうのは気の毒なんじゃないか?」

「…………」

無言でこちらを見つめてくる教子。内心たじろぎつつも、将臣は言葉を続けた。

「ここはひとつ、お互い謝って仲直り、ってことで」

「……左様でございますね」

 わりとあっさり教子が承知してくれたので、将臣はホッとした。この女性の目を見ていると、なぜか幼い頃、祖母に叱られた時のことを思い出す。

「私は悪くない!謝ったりなどしないぞ!」

 残念ながら、帝の方は納得してくれなかったようだ。

一方の少年は、驚いたように目を丸くして、

「おまえ、意外に話のわかる奴だな。誉めてやる」

「そりゃ、どうも」

「気に入ったぞ。こんな奴の犬はやめて、俺の家来になれ」

 初めて、少年が笑顔を見せた。子供らしい無邪気な笑み、とは言い難かったが――。

「………?」

 将臣は気づいた。落ち着いて正面から見ると、少年の顔立ちには、どこか見覚えがある、ような。

「将臣殿は私の友達だ!おまえの家来などではない!」

 帝がこぶしを振り上げて怒っている。そういえば、2人は兄弟だという話だったが、その顔立ちは特に似ているとも思えない。似ているのは、

「……清宗(きよむね)?」

 宗盛の息子・清宗だ。生き人形のような美しい少年で、あんな子供はこの世に2人と居まいと思っていた。しかし目の前に居る少年は、その清宗と似ているのである。それこそ、兄弟のように。

「俺は(たか)(ひら)だ」

 少年が不機嫌そうに言った。

「あんな、帝にしっぽを振るだけの馬鹿者と一緒にするな」

「ああ、悪い。けど、馬鹿はないだろ」

「フン、馬鹿でなければ、阿呆で十分だ」

「……おまえ、その口の利き方、どこで覚えたんだ?」

 あきれる将臣に、少年はなぜか誇らしげに笑みを浮かべて見せた。別に、ほめてはいないのだが。

「やはり、お仕置きが必要でございますね」

 教子がつぶやく。再び、少年の笑みがひきつった。

「参りましょう、尊成様」

「嫌だ、放せ!」

「将臣殿、後日あらためて、お詫びとご挨拶を――」

「いや、俺はいいんだが」

 教子の腕の中で、少年は尚も暴れている。

「下ろせ、教子!お仕置きするなら、せめてその前に、あいつと決着をつけさせろ!」

 暴れる少年を抱きすくめたまま、教子はきびすを返す。

立ち去る2人の後ろ姿を、将臣はしばし呆然と見送った。




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