還内府の章 二十六、小松兄弟(1)

 

「私も『きゃんぷ』がしたいぞ、将臣殿!」

「ああ、そのうちな」

「嫌だ、今行きたい!」

「まだ寒いから、行ってもおもしろくねえぞ。キャンプってのは――」

やっぱ暑い夏だろ、と将臣は言った。初めて内裏を訪れた、今年の1月のことである。

あれから半年たち、既に夏は過ぎようとしている。

帝には悪いことをしてしまった。とはいえ、内裏から連れ出すことさえままならない現状では、キャンプなど無理な話だ。

どうしたものかと頭を悩ませながら、やってきた内裏。

初めて訪れた時には案内が必要だったが、今は1人でも迷うことはない。

すっかり顔なじみになった警備の武士にあいさつして中に入り、複雑に入り組んだ築地(ついじ)(べい)や建物の間を抜け、長い回廊を奥へと進む。

「もし――有川将臣殿?」

ふいに柱の陰から、ひそめた声がした。

 振り向けば、見知らぬ女が1人。人目をはばかるように立っている。

将臣より少し年上だろうか。小柄な体に薄紅色の着物を重ねた、なかなかの美人だ。衣の裾を引いて近寄ってくると、

「ご迷惑とは思ったのですけれど――」

 袖の中から、そっと折り畳んだ(ふみ)を取り出し、将臣の手の中へ。

 セリフから一連の動作に到るまで、実に澱みない。女がこうした行為に慣れているのは明らかだった。

「……どうも」

 ぶっきらぼうに礼を言うと、女は着物の袖で口元を覆って、くすくすと笑った。

「では――」

 着物の裾を引いて立ち去っていく。ややあって、「キャー、渡しちゃったー」という声と、複数の女の嬌声(きょうせい)が響いた。

(どこの世界にもあるんだな、こういうのは……)

 将臣は手の中の文をひらひらさせた。肩の上の白猫が、じゃれつくように前足を出してくる。

「おっと。オモチャじゃねえぞ」

 文を取られないように着物の袖にしまい込み、将臣は歩き出した。

 元の世界でも、この手の手紙はもらったことがある。

 別に自慢ではない。

 将臣はやや強面(こわもて)で目付きが悪い。それがなぜか中学の時、悪そうでカッコイイと後輩の女子にウケてしまったのだ。

 いわば流行りの遊びに乗るような感覚で、手紙をくれた相手も、本気ではなかったろうと思う。

 なので返事も出さずに放っておいたら、女の子の気持ちを無視してひどいと望美に責められ、じゃあ適当に遊べばいいのかと言い返せば、将臣くんの女ったらしと言われた。

 結局どうしてほしかったのだろう、望美は。

「……ん」

 他愛(たあい)もない回想にふけっていたら、道を間違えたようだ。廊下の角を曲がると、見覚えのない中庭が目の前に姿を現した。

 庭の向こうには、これまた見覚えのない建物があり、細長い烏帽子をかぶった貴族が2人、こちらに歩いて来るのが見える。

「っと、やべ」

 慌てて来た方へ引き返す。

 基本的に、将臣が出入りを許されているのは、裏口から帝の御座所に到るまでの限られた空間だけ。

 当然、限られた人間以外とは、顔を合わせることもない。

 この世界での将臣の身分は、「清盛公の客人」。だが、それは平家一門の中だけで通じる、いわば私的な立場であり、公的には身分を持たない。

要は、あまり人目につくべきではないのだ。何か問題でも起こしたら――後で宗盛の怒りが怖い。

 人間、慌てるとろくなことがないものだ。元来た方へ引き返したはずが、一向に見覚えのある場所に出ることができない。

「なあ、おまえはどっちに行けばいいのか、わかるか」

 (わら)にもすがる思いで、肩の上の白猫に助けを求める。

 白猫はフニャアとあくびをして見せた。所詮は気まぐれな猫である。

(まずいな……)

 だんだんと、辺りに人の気配が増えてきた気がする。

 このまま誰かに見咎められでもしたら――。

「そこで何をしている!」

「!」

 背後から聞こえた鋭い声に、将臣は身を縮めた。適当な言い訳を頭の中で組み立てていると、

「将臣殿ではありませんか?」

と、さらに声がした。

 将臣は拍子抜けして振り向いた。声の主は、女性と見まがうような、美貌の貴公子だった。

「なんだ、(これ)(もり)か?久しぶりだな」

 平維盛。亡き清盛の孫。

 モデルのような長身で、艶やかな栗色の髪と、いかにも優しげな風貌の持ち主である。

「馴れ馴れしく呼ばないでいただきたい」

 答えたのは維盛ではなく、その横に並んでいるもう1人――弟の(すけ)(もり)だった。

 顔立ちと背格好は似ているが、いかにも貴族的な兄に対し、弟の方は武士という言葉がよく似合う。身のこなしの違いか、気の強そうなまなざしのせいだろうか。

「こんな所で何をしている」

 キッと将臣の顔をにらむ――つもりが、どうも肩の上の白猫と目が合ってしまったようだ。一瞬、その頬が緩みかけ、慌てたように表情を引き締める。

 多分、悪い奴ではない。

 素性も知れない人間が、自分の父親と瓜2つ……などという噂が立てば、誰でもいい気分はしないだろう。

 出会った時から、資盛は将臣のことを敵視している。そして基本、それを隠すということもない。

「どうどう、資盛兄上、落ち着いて」

 ひょっこりと、資盛の後ろから別の顔が現れた。

 維盛と資盛の弟。三男の(きよ)(つね)だった。

年齢は将臣と似たようなものだろう。兄2人には似ていないが、こちらも整った顔立ちをしている。

 涼しげ、かつ知的な容姿。体を使うより、頭を使ったり、人を使ったりする方が得意そうなタイプだ。確か、今年4月に行われた墨俣(すのまた)(がわ)の合戦では、重衡の副官を務めたはずである。

 見れば、清経の後ろに、もう1人。ひょろりと背の高い男が、我関せずという顔で立っている。

 四男・(あり)(もり)である。

 亡くなった重盛の息子たち。小松内府の一族、ということで、小松一家、とか小松兄弟などとも呼ばれる。

「何やってんだ?4人そろって」

と将臣は言った。

 ちなみに目の前に居る4人以外にも、まだ下に弟たちが居るらしい。

「それを聞いているのはこちらの方だ」

 資盛のまなざしが険しさを増す。

「いや、俺は帝の所に行こうとして……迷った」

「迷った?子供でもあるまいに――」

 資盛の敵意が、あからさまな軽蔑に変わる。

「それはお困りでしょう。よろしければ、わたくしがご案内致しますが……」

 維盛が遠慮がちに進み出る。当然、資盛が文句をつけた。

「お待ちください。なぜ維盛兄上がそんなことをしなければならないのです」

「資盛――」

「案内など、誰か適当な者にやらせればいい。だいたい、官位もない者が内裏に上がり込むこと自体おかしいのだから――」

 維盛の表情が強張った。

「よさないか、資盛。将臣殿に無礼なことを……」

「俺は正当なことを言っているだけです。維盛兄上は下がっていてください!」

 弟に下がれと言われた維盛は、何とも困ったような表情を浮かべた。

 この世界、兄弟の序列には厳しい。

 下は上を尊敬し、上の言葉には逆らわないのが普通だ。

 あの知盛でさえ、兄の宗盛には敬意を示す。……表立って逆らわないだけで、素直に従ってもいないが。

 将臣が兄弟げんか?を眺めていると、三男の清経が、兄2人の横から前に出てきた。

「すみません、兄上がうるさくて。俺たち、ちょうど今、帝にお会いしてきた帰りですよ。建礼門院様の、ご機嫌伺いも兼ねて」

 建礼門院とは、帝の母親のことだ。清盛と時子の娘で宗盛の妹、知盛や重衡にとっては姉に当たる女性である。

 小松家の兄弟たちは、彼女と親交が深い。

 年の離れた兄・重盛を建礼門院は慕っており、甥に当たる子供たちのことも大切にした。

その関係は、重盛の死後も続いている。

おかげで、将臣が帝に会うため内裏を訪れると、ちょうど今のように、小松家の兄弟たちと鉢合わせることがよくあった。

 資盛はそのたびに噛み付いてくるが、他の兄弟は概ね友好的だ。……少なくとも、表面上は。

「帝、どうしてた?」

 将臣の問いに、清経は少し考えて、

「ご機嫌ナナメでした」

と答えた。どうやら、早く会いに行った方がよさそうだ。

「悪いんだが、行き方を教えてくれるか?」

「そんな水臭い。案内しますよ」

 清経の後ろで、資盛が何か言いたそうな顔をする。清経はすかさず言葉を続けた。

「けど、資盛兄上がうるさいから――」

「清経!」

「有盛、おまえ行けよ。こういうのは、弟の仕事」

「…………」

 唐突に役目を振られた四男は、うなずくでも拒否するでもなく、黙って立っていた。

 よく見ると、瞳の焦点が合っていない。無表情、というより、単にぼんやりしている顔だ。

「有盛、聞いてるのか?将臣殿を、帝の御座所に案内しろってば」

 無言で突っ立ったままの弟の肩を、清経が軽く揺する。しばしの間があって、ようやく有盛の首が上下した。

 どこか具合でも悪いのか、これがデフォルトなのか。

 どちらにせよ、案内など頼んで、果たしてだいじょうぶなのか。

「じゃあ、早く行けよ。頼んだぞ」

 清経に背中を押し出されて、有盛が歩き出す。

「それじゃ将臣殿、気をつけて」

「あ、ああ。またな」

 笑顔の清経と、渋面の資盛、心配そうな維盛に見送られ、将臣はその場を後にした。




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