還内府の章 二十五、京の七夕

 

「キッコウデン?」

 将臣は聞いた言葉をそのまま繰り返した。知盛がうなずく。

「そう……乞巧奠(きっこうでん)だ。七夕の夜に、宮中で執り行われる――」

「はあ」

「その日はおまえも内裏に来いと……宗盛兄上の仰せだ」

「……?何をやれってんだ?」

 返事がない――と思って見れば、知盛は床に敷かれた畳の上にごろりと横になり、目を閉じている。

「おい、寝るな。話が全然見えねえぞ」

 珍しく朝っぱらから人の部屋を訪ねてきたかと思えばこれだ。何の用だか知らないが、さっぱりやる気が見えない。

 そういえば、前に重衡が言っていた。知盛は暑さに弱いと。夏は過ぎつつある京だが、残暑はまだ厳しい。

 まあ、腐っても武士。体が弱いはずはあるまい。

知盛の場合、体力より気力の問題だろう。暑い、面倒だ、動きたくない――という理屈だ。

「七夕の夜に、宮中で何をやるって?」

 寝ている知盛の肩をしつこく揺すってやると、やがて片目をひらいて、面倒くさそうに説明を始めた。

「……(おも)だった皇族、()(ぎょう)が会し……、宮中(きゅうちゅう)で、詩歌(しいか)や管弦の遊びを催す」

「それだけか?」

「帝が……二星の邂逅を祈る。牽牛(けんぎゅう)淑女(しゅくじょ)が、天の川を挟んで出会うのをご覧に……」

 途中で説明に飽きたのか、知盛はあくびをした。

「牽牛と淑女……彦星と織姫か。要するに、七夕の行事ってことだな?」

「……そうだ」

「はあ、なるほど」

 七夕といえば、将臣も子供の頃には望美と譲と3人で笹の葉を飾り、短冊に願い事を書いたりしたものだ。形は違えど、京でも似たようなことをするらしい。

「けど……のん気だな」

 知っての通り、京では昨年の凶作に端を発する食糧難が続き、餓死者も出ている。

「こんな時に、七夕の祭りなんてやってる場合なのか?」

「こんな時だから……かもしれんな」

 知盛は、口の端を笑みの形に歪めて、

「京の大路に、死体が転がっているのを毎日のように見ていれば……、食うには困らぬ公卿とて、天に祈りたくもなるだろうさ……」

「…………」

 その通りの光景を、将臣もこの目で見ている。さすがに知盛のように、軽口を叩く気にはなれなかった。

京の市中では、日を追って増える死者に供養が追いつかず、餓死者の遺体が一部、路上に放置されたままになっているのだ。

 初めて見た時には、あまりの凄惨さに足がすくんだ――しかし、最近では手を合わせて通り過ぎるくらいになっている。

将臣だけではない。京で暮らす、大多数の人々がそうだ。

人間というのは、どんなひどい光景にもいつかは慣れるものなのだろうか。餓死者の傍らで繰り返される日常……いや、あるいはその方がひどい光景なのかもしれないが。

「宗盛兄上は……帝をお慰めするつもりらしい」

 知盛のつぶやきに、将臣は顔を上げた。

「……帝を?」

「このところ、宮中に閉じ込められたままで……いささか、参っているようだからな……」

衛生状態の悪化。さらに加えて、連日の暑さ。

 当然の結果として、京の市中では悪い病気が流行りつつある。

 そんな状況では、まかり間違っても帝を外出させるわけにはいかず、この六波羅にすら遊びに来ることができないのだった。

「……で?その祭りで、俺に何をやれってんだ?」

 知盛はそっけなく答えた。

「何もする必要はない」

「は?」

「目立たぬ場所に居ろ。帝のご機嫌が悪いようなら、なだめに来い……とさ」

「ああ、そうかよ」

 宗盛が言ったのだろう。まあ、偉い貴族たちの前で何かやれ、と言われるよりはいい。

「それと、もう1つ。兄上からの伝言だ」

「何だよ」

「このところ、帝は……『キャンプ』とやらにご執心らしい」

 将臣は咳き込んだ。

「な、おまえ……それ……」

 狼狽する将臣を見て、知盛は満足そうに笑みを浮かべた。

「水遊びに魚釣り……随分、楽しいそうじゃないか?」

「なんで……。帝が、そう言ったのか?」

 知盛がうなずく。内裏から出るのを許されずに欲求不満の帝は、「将臣殿と『きゃんぷ』に行きたい」と言って、周囲の人々の手を焼かせているのだと。

「直ちに参内して、帝のお気持ちを静めよと……宗盛兄上の仰せだ」

「おまえ、そういうことは早く言えよ」

 嘆息しながら、将臣は立ち上がった。今から内裏に向かえば、昼前にはあちらに着けるだろう。

 何かが、将臣の足にふれた。

 邸で飼われている白猫だった。細い前足を将臣の足にかけ、大きな目でじっとこちらを見上げている。

「なんだよ、餌でもほしいのか?」

『にゃーお』

白猫は何かをねだるように鳴く。

「連れていけ……と言っているんだろうさ」

「ああ、なるほど」

 帝はこの猫たちを可愛がっている。猫たちもそれはわかっていて、たまに宮中に出入りしている。

あちらに行けば、珍しい餌にありつけることもわかっているのだろう。

 六波羅から内裏まではそこそこ距離があるため、将臣が出掛ける時に、こうしてついてくることが多い。要は、足代わりにされているのだ。

「いいさ、行こうぜ。……ほら」

将臣が手をさしのべてやると、白猫は器用に腕をつたって、肩の上までのぼってきた。

 この邸には、白猫が3匹居る。どれもよく似ているため、まだいまいち見分けがつかない。

「えーっと、胡蝶、だったか?」

適当に呼んだ名前が当たったようだ。白猫はにゃあと鳴いた。

 白猫を肩に乗せて、将臣は六波羅の邸を出た。途端に、むっとするような熱気が体を包み、真昼の陽差しに一瞬、目が眩む。

 ――将臣くん、短冊の願い事、何て書く?

 ふいに幼い日の記憶が、脳裏をよぎった。

 望美の無邪気な笑顔。譲の少しはにかんだ笑顔。

 一緒に笹の葉を飾り、祖母の切ってくれたスイカを食べながら、3人並んで星を見上げたこと。あの日の夜空は、怖いほど晴れ渡っていた。

(願い事、か……)

 七夕は、織姫と彦星の、1年に1度きりの逢瀬。ならば、無事、2人と再会できますように――とでも星に祈ってみるか。

『にゃーお』

 将臣の肩の上で、白猫が急かすように鳴いた。

「ああ、悪い」

 今はともかく、帝に会うのが先だ。将臣は足を速めて、真昼の大路を急いだ。




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