還内府の章 二十四、重代の家人
――6月。京の人々が、物不足と飢えに苦しんでいたその頃。
京から遠く離れた信濃国で、のちに横田河原の戦いと呼ばれる合戦が行われた。
戦いの一方の当事者は、平家方の豪族・城長茂。
そしてもう一方は、源頼朝と同じ源氏の血を引く武将・木曽義仲である。
結果は、兵力で劣る木曽義仲が、奇策を用いて圧勝する。
この知らせに、所詮は遠い国の負け戦、と一門内部ではさほど気に留める者もなかったが。
ただ将臣だけは、胸騒ぎに似た予感を覚えていた。
義仲。木曽義仲。
聞いたことがある気がする。あの源九郎義経と同様、源平合戦の時代に活躍した人物であった、はずだ。
ただ、その活躍というのが、具体的にどんな活躍だったかが思い出せない。何とか記憶を引っ張り出そうと頭をひねっていると、廊下から女性の声がした。
「将臣殿、尼御前がお呼びにございます」
将臣は自室にこもっていた。夏を迎えて、京はとにかく暑い。ただ、この世界の建物は天井が高く、開放的な造りになっているので、屋内に居れば意外に涼しいのだ。
「平貞能様がお見えになっているので、将臣殿にもお越しいただきたいと」
「誰が来たって?」
将臣は廊下に顔を出した。十二単の女性が立っていた。
六波羅には女官が大勢居るが、その1人――時子の身の回りの世話をしている女性だ。将臣も京に来てから何かと世話になっているので、既にだいぶ気心も知れている。
「まあ、将臣殿」
女性は可笑しそうに口元に手を当てて、
「あの貞能様でございますよ。このたび、遠い西の国に出陣されることが決まったとかで、ご挨拶に来られたのですわ」
「……よくわからんが、行けばいいんだな」
将臣は腰を上げた。
長い廊下を、時子の部屋に向かいながら考える。
平貞能。
確か――平家に仕える家人の1人。それも何代にも渡って仕えてきたという、いわば生え抜きだ。
姓は清盛と同じでも家族ではなく、あくまで臣下だというのだからややこしい。
将臣は特別親しくしていた覚えもないので、用件が思い当たらないが――まあ、行ってみればわかることだ。
やがて、時子の部屋が近付いてきた。
「……反逆者どもの非道な行い、朝廷に対し反旗を翻すという不忠。主上、尼御前に置かれましては、さぞお心を痛めておいでのことでしょう。この貞能、一命を賭して任を全うし、必ずや亡き殿のご恩に報いてみせますれば――」
中から男の声が聞こえる。何やら堅苦しい挨拶の途中らしい。
しかし、思わず聞き惚れるような、いい声だ。戦場では、さぞ朗々と響き渡るであろうし、この声だけで心惹かれる女性も居るに違いない。
時子の声が答えた。
「頼りにしていますよ、貞能。無事に役目を果たし、京に戻る日を心待ちにしています」
「失礼します、尼御前」
将臣は室内に足を踏み入れた。時子が、そして部屋の中に居た男が振り返る。その目が一瞬、獣のように光った――気がした。
「お呼び立てして申し訳ございません、将臣殿」
時子が言った。
「いや別に、俺は暇ですから」
「お呼び立てしたのは自分でございます、有川将臣殿」
男が口を挟む。将臣は思わず「は?」とその顔を見返した。
大人の年齢はわかりにくいが、だいたい30代後半から40過ぎの間だろう。
サラリーマンなら働き盛り、スポーツ選手なら頼れるベテラン、といったところか。事実、鍛え抜かれた厚みのある体つきは、スポーツマンのようでもあった。
しかし、濃紺の着物をまとい、黒髪に侍烏帽子を戴くその姿は、一部の隙もなく「武士」そのもの。
真面目そうで、実直そうで……下手に冗談など言ったら、怒らせてしまいそうな。
「出立の前に貴殿にお伺いしたきことがあり、参上致しました。しばし、お時間をいただけますでしょうか」
こちらの返事も待たず、男――平貞能は席を立つ。
「では尼御前、自分はこれにて」
「……ここで話すんじゃないのか?」
将臣は首をひねった。話をするだけなら、別に場所を変える必要などあるまいに。
「申し訳ないが、庭までご足労いただきたい」
貞能が答える。言葉こそ丁寧だが、黙ってついてこいと言わんばかりだ。
「はあ……」
「貞能。くれぐれも、将臣殿にご無礼のないように」
「は、尼御前。心得ております」
本当に、心得ているのか。なんとなく物騒な空気を感じるのは気のせいか。
まあ、時子が止めないということは、そう心配することもないのだろう――と思い、将臣はついていった。
庭に下りた貞能は、そのまま足早に歩いていく。こちらを振り返ろうともしない。
「なあ、どこまで行く気……ですか?」
相手は自分よりだいぶ年上である。今更のように敬語を用いた将臣であるが、
「人のおらぬ所。万一にも、話を聞かれぬ場所だ」
貞能の方は、タメ語になっていた。
「…………」
将臣は足を止めた。気配を察して、貞能が振り返る。
「どうした。早く参られよ」
将臣はこりこりと指でこめかみをかいた。
「……あのな。いいかげん、用件くらい教えてくれないか」
貞能の表情が険しくなった。
「それは、人目につかぬ場所に行ってからだ。そのためにも、早く参られよと申しておる」
あいにく、できない相談だ。将臣は軽く肩をすくめて、
「悪いけど……な。あんた、殺気が隠せてねえんだよ」
「何を――」
気色ばむ貞能。将臣は構わず言った。
「別に疑うわけじゃねえけど、無条件に信じられるほど、あんたのこと知らねえし。だから、説明してくれっての」
ひとけのない場所でいきなりばっさり――というのはさすがに考え過ぎかもしれないが、貞能が穏やかでない空気を漂わせているのは事実。用件もわからずに、これ以上ついていく気にはなれなかった。
貞能は無言でこちらを見据えた。やがて恥じ入るようにうつむいて、
「武士でもない貴殿に、そこまで見抜かれてしまうとは……」
「って、おい。まさか、マジなのか?」
驚く将臣に、貞能はあっさり認めた。
「貴殿の返答次第では、それも考えていた」
「おいおい!?」
「無論、その時は自分も生きてはいられまい。この首を以って償いを――」
「待てこら!なんでそうなる!?」
悪い冗談だ――しかし、貞能は真顔で言った。
「知れたこと。大殿のお客人である貴殿に手をかけることは、いかなる理由があっても許されないからだ」
「じゃなくて!なんであんたに殺されなくちゃいけないんだ、って聞いてんだよ!」
すっと貞能の両眼が細められる。
将臣はとっさに間合いを取った。
ちなみに、今は丸腰である。まあ、仮に武器があったとしても、熟練の武士に太刀打ちできるとは思えないが。
「貴殿に恨みはない。返答次第では、と言ったはずだ」
「……返答?」
「そうだ。貴殿は――」
一瞬、苦いものを噛みしめるように歯を喰いしばり、貞能はその問いを口にした。
「貴殿は、亡き殿の落とし胤なのか」
かく、と将臣の肩が落ちる。
「……俺が重盛さんの隠し子かって聞いてんのか?」
「無礼な!!」
貞能の怒声にも、もはや身構える気も起きなかった。
「いや、あんたの言ってることも、だいぶ無礼だから」
また怒るかと思ったら、貞能は直立不動のまま謝ってきた。
「はっ……申し訳ない」
天然、なのだろうか。この年で天然というのも珍しいが……天然は、いくつになっても天然か。
「質問の答えだが……違う。俺は重盛さんとは何の関係もない」
「…………」
「信じられないか?」
ふっと貞能のまなざしがやわらいだ。
「いや……そう言ってくれてよかった。これで、貴殿を斬らずにすむ」
「は?」
「貴殿が偽りを口にするようなら――亡き殿の名を傷付けるようなことを申すなら、家人として、許すわけにはいかなかった」
「なんだ。だったら、違うってことはわかってたのかよ」
将臣は拍子抜けした。貞能はきっぱりうなずく。
「当然だ。亡き殿に限って、さようなことはありえぬ」
話が通じた、と安堵するのは早かった。
「つまり、貴殿は清盛公のお子なのだな」
「……違う」
「では、清盛公が側室との間に儲けられた、どなたかのお子に当たるのか?」
「…………」
将臣は嘆息した。どうやら、かなり思い込みの激しいタイプであるらしい。
この世界の武士や貴族は、複数の女性と付き合うのが普通。だから正妻以外の女性と子供を儲けたからと言って、必ずしも隠す必要はない。
とはいえ、よほどの事情があれば別だ。例えば――他人の妻との密通とか。
貞能は、将臣がその「よほどの事情」の産物だと言っているわけである。
ついでに、重盛が隠し子を作るはずがないと言いつつ、清盛ならそれがあり得るとも言っているわけで、そこは家人としてどうなのだ、とも思う。
「俺は清盛の子でも孫でもない。俺の両親は――」
将臣は話した。両親のこと、祖父母のこと。
「別に親孝行もしてねえけど、自分を生んで育ててくれた親に、俺は感謝してるし、尊敬もしてる。身内のことで、嘘はつかない。俺は平家とは無関係なんだ」
ここまで言っても信じないというなら、あきらめるつもりだった。しかし貞能は将臣の話を黙って聞いた後で、
「申し訳なかった」
と頭を下げてきた。
「貴殿の言う通り、無礼な問いを重ねてしまった。許してほしい」
「わかってくれたんなら、別にいいんだけどな」
将臣はもう1度嘆息した。
「いや。申し訳ないとは思うが、全てを信じたわけではない」
「……まだ、何かあるのか?」
「貴殿が異界より参られたという話だ」
それについては信じることはできない、と貞能は言った。
「別に、無理に信じてくれなくてもいいさ」
そもそもが信じがたい話なのだ。しかし貞能はムッとしたように顔をしかめて、
「貴殿の言葉が偽りだと申しているわけではない」
「どっちなんだよ」
さすがにうんざりしてきた。天然な上に、生真面目というのはやっかいなものだ。
貞能は憤然と鼻を鳴らし、
「自分は、異界などというものの存在を知らぬ。知らぬものをただ信じると言うのは無責任であろう」
「そんなもんかね」
どっちでもいい、好きにしてくれと言いたい将臣だった。
「ただ、斉藤殿は――」
貞能は一瞬、迷うように言葉を切って、
「貴殿の言葉は信じるに足る、何も案じる必要はないと申されていた」
「……実盛さんが?」
斉藤実盛は、将臣がこちらの世界に来て以来、何かと世話になっている平家の武士である。
ここで名前が出てくるとは思わなかったが……、もしや、将臣が親しくしていると聞いて、話を聞きにでも行ったのだろうか?
「ああ、自分が証人になってもよいと」
「…………」
言いようのない感謝の念が、将臣の胸に湧いた。貞能は続ける。
「あの御仁が曇りのない魂をお持ちであること、人を見る目の確かなことも存じておる。だが、自分は俗人ゆえ、己の疑念を抑えられなんだ。どうしても、じかに確かめたかったのだ」
「あー、わかったわかった。もういいって」
将臣は降参のつもりで手を上げた。
「要は、あれだろ。俺が死んだ人の名前を使って清盛に取り入ってたんじゃないかって、そういう心配だろ」
「申し訳なかった」
「だから、もういいっての」
貞能に悪意がないことはわかった。
それに、同じ疑念を持っている人間は、おそらく一門の中に少なからず居るのだ。
清盛の葬儀の後、時子のもとに時忠が押しかけてきてくれたおかげで、将臣にもそれがわかった。
いっそ、はっきり聞いてくれた方がこちらとしても助かるくらいだ。
「貴殿に感謝する、有川将臣殿」
晴れ晴れとした笑みを浮かべて、貞能は言った。
「これで迷いなく戦地に臨み、使命を全うすることができる」
「戦地……そうか。西へ行くんだったか?」
貞能は力強くうなずいた。
「ああ。鎮西へと参る」
「……九州か。遠いな」
飛行機や新幹線があるわけではない。海路で行くのか、陸路で行くのか、いずれにせよ長旅になる。
「戦か……」
ふいに宗盛の言葉が、将臣の脳裏をよぎった。
一刻も早く戦乱を鎮め、京の政を正す――。
「どうかなされたのか?」
貞能に問われて、将臣は上の空で答えた。
「ああ、いや……戦ってのは、どうやったらなくなんのかな、と思って」
貞能の眉間にしわが寄る。
「自分にはわからぬ」
将臣は我に返った。これから戦地に赴く人間に向かって、空気を読まない発言をしてしまった。
悪かった、と謝ろうとすると、
「戦が起きれば民は苦しむ。なれど、何もせずに待っていたとしても、やはり戦はなくならぬだろう。彼の地で戦いが起きている以上、いずれ誰かが行かなければならぬ」
貞能は怒っているわけではなかった。淡々と、思ったことを口にしているという風だった。
「……迷ったりはしないのか。人間同士で戦うってことに……」
戦場に行けば命を落とすかもしれない。さもなくば、確実に誰かを殺すことになろう。
自分が口出しすべきことではないと思いつつ、一方では、南都から戻ってきた時の重衡の姿が頭から離れない。
「相手は反逆者だ」
貞能はきっぱり言った。
「……が、迷いがないとは言わぬ。鎮西の民は誇り高い。彼らには彼らの、戦う理由があろう」
意外といえば、意外な返答だった。今までの言動からして、反逆者は皆滅ぶべし、くらいは言うかと思った。
「だったら、なんで……」
将臣の問いに、貞能は難しい顔で腕を組んだ。
「武士ではない貴殿にはわからぬか。なぜ、と問われれば……そうだな。それが己の役目だから、と答える他はないな」
役目だから仕方ない、ということか。そんな理由で、ひとつしかない自分の命を賭けられるものなのだろうか。
将臣には理解し難い。それは、自分が現代人の感覚で物を見ているからなのか。
だが、現代に生きる職業軍人とて、事情は似たようなものかもしれない。好きで危険な戦地に行くわけではない。ただ、それが仕事だから。
「長話が過ぎたな。これにて、失礼する」
貞能がくるりと踵を返す。
立ち去る背中を見つめながら、将臣は彼への認識を若干改めていた。思い込みの激しい迷惑な奴……というだけでは、ないらしい。
将臣の視界の中で、その姿は少しずつ遠ざかり、やがて消えた。