還内府の章 二十三、答えのない問い

 

 その後も、京の食糧事情は悪化の一途を辿った。

夏に入り、厳しい暑さがやってくる頃には、ついに餓死者が出始めた。

 そんな中、1度は宗盛に却下された将臣の「炊き出し」提案が、意外な人物の援護で実現することになる。

 時子の弟、時忠である。

南都焼討以来、民衆の支持を失っている平家の評判回復に使える、というのがその理由。

「なかなかよいことを思いついてくれた。無駄に平家で居候(いそうろう)しているわけではないのだな」

と、時子の居ない所で、お褒めの言葉までいただいた。

 炊き出しは、例の五条河原で、数日おきに行われることになった。

 将臣も当然、手伝いに行ったし、重衡や経正、門脇家の兄弟も手を貸してくれた。

どれほどの効果が期待できるかは、正直わからない。

たった1人でも死なずにすむ人間が居るなら、無駄ではないだろうが……焼け石に水、となってしまう可能性もある。

広い河原に集まった人々の姿を眺めながら、将臣の気分は晴れなかった。

「だいぶ煮つまっているようですね」

 声に振り向くと、経正が立っていた。

着物に(たすき)がけをして長い袖をまとめ、いつもより動きやすそうな短めの(はかま)をはいている。ついさっきまで、炊き出しの手伝いをしていたからだ。

「重衡殿から聞きました。将臣殿がお悩みの様子だと」

「そんなんじゃねえよ」

 将臣はふいと目をそらした。

経正は笑ったようだ。

「少し、話しませんか」

と言って、将臣を五条大橋の上に誘った。

 そこは奇しくも、先日、飢えた少女と出会った場所だった。

 あれから、あの少女はどうしているだろう。今日の炊き出しに来ていたのかもしれないが、集った大勢の人々の中から、姿を見つけることはできなかった。

 将臣が黙っていると、経正の方から話しかけてきた。将臣と同じように、広い河原の様子を見つめながら、

「己の行いの意味を問い、悩むことは、無駄ではないと思いますよ」

「……そういうもんかね」

 将臣は気のない返事をした。

「ええ、そう思います。仮に、その行いが実を結ばなくとも」

「…………」

「自分では何もしようとせず、他人の行いの意味ばかりを問う――そんな生き方に比べれば、はるかにマシでしょう」

 穏やかな口調で、辛辣なことを言う。思わずまじまじとその顔を見ると、経正は少し笑って、それからひどく真剣な表情を浮かべた。

「将臣殿は、民が飢えているのはなぜだと思われますか」

 先日、宗盛に聞かれたのと同じ問いだった。今度は正直に、わからねえよと将臣は答えた。

「では、聞き方を変えましょう。京には大勢の民が暮らしています。その中で、日々の糧を得るのに窮しているのは、どのような人々だと思われますか」

「どのような……?」

 将臣は考え込んだ。

 確かに、京に住む全ての人間が食うのに困っているのかといえば、そんなことはない。

貴族や武士は言わずもがな、将臣が町で出会う人々――その仕事は職人だったり、牛飼いだったり、市の物売りだったりとさまざまだが、彼らは生活が苦しいと口にはしても、餓死することまではない。

 物不足とはいえ、町では市がひらかれることもあるし、普通に人通りもある。

 不幸にして命を落とす人間が居る一方で、当たり前の日常もまた続いているのだ。

 では、飢えているのはどんな人々か。

「……わからねえ」

 結局、将臣は同じ答えを繰り返すしかなかった。

 経正は小さくうなずいて、

「答えは流民です」

と言った。

「ルミン?」

「もともと京に居たわけではなく、何かの事情で京に流れてきた人々です。土地を捨てた農民という場合が多いですが、事情はさまざまです。共通しているのは、彼らが身分の保障を持たないということ――そのため、まともな職につくことができず、多くはその日暮らしをしています」

経正は淡々と話した。

 京は国1番の都であるから、その日暮らしの人々でも、ある程度の人数なら養うことができる。

 しかし、今回の凶作と、相次ぐ戦乱によって、生まれた土地を捨てざるを得ない人々が一気にその数を増した。

そうした人々が流民となって都に流れ込んだ結果、特に貧しい人々の間で、飢えが広まることになったのだ、と。

 特に貧しい人々とは、さまざまな理由で仕事にあぶれた者たちであり、あるいは病気などで働けない者、そうした人々を親に持つ子供、身寄りのない老人なども含まれる。

要は、どこの国でも世界でも同じ、最も弱い立場の人々だ。

 将臣の居た世界では、そうした立場の人々を支える、いわゆるセーフティネットというのも整備されていたが、この京にはまだそんな仕組みがない。

「弱き民を守るだけの力が、今の朝廷にあれば――そもそも戦がなければ、これほどまでに飢えが広がることはなかったでしょう。結局のところ、我らの(まつりごと)が行き届かぬばかりに、人々は飢えているのです」

 経正は遠い目をしていた。いつになく真剣で、思いつめたようなまなざし。そこに広がる風景を、見ているようで見ていない。

「おい……経正?」

 声をかけても、返事がない。遠いまなざしのまま――話し続ける。

「昔、まだ武士の力も、平家の力も弱かった頃。やはり(まつりごと)の乱れから、多くの人々が命を落としたことがあったそうでございます」

「……凶作か?」

「いえ、その時は流行(はや)(やまい)でございました」

「病気か……」

 将臣の世界と比べて、医学が未発達な京のことだ。例えば悪質な風邪程度でも、流行れば多くの人の命を奪うだろう。

「清盛伯父上と重盛殿は、共にそんな世の中を変えていこうと誓い合い、力を尽くしてこられたのです」

 初めて聞く話だった。あの清盛にそんな(こころざし)があったというのは、正直、意外だが。

「清盛と、重盛……さんが?」

 はい、と経正はうなずき、そしてこう続けた。

「伯父上が、最初の奥方――重盛殿の母上を亡くされたのも、流行り病のためだったのですよ」

 将臣は言葉を失った。

「もちろん、それだけが理由ではないのでしょうし、正しい目的のためなら何をしても許される、ということにもなりません」

 重たい過去をあっさり流し、経正は話し続ける。

「平家は強くなり、(まつりごと)を動かすほどの力を得ました。……ですが、世の乱れは今も続いている。我らのしてきたことは間違っていたのか。あるいはただ、力が足りないというだけなのか――」

 将臣は頭を抱えた。

「なんか……余計わかんなくなった」

 経正がふっと口元を綻ばせる。

「……何、笑ってんだ?」

「いえ、知盛殿が仰っていたことを思い出しましたもので」

「あいつが、何だって?」

「将臣殿は不思議だと――私もそう思います」

経正は、どこかまぶしそうな目で将臣を見て、

「京の民の苦しみを、まるで我が事のように考えていらっしゃる。ご自身はこの世界の人間ではないのに、貧しい人々の暮らしにまで思いを馳せて――」

「待て。なんか違うぞ、それは」

 経正は誤解している。その言い方だと、将臣が聖人君子か何かのようだ。

確かに、人の痛みを自分の痛みとして感じられる人間も、この世の中には居るだろう。

人に尽くし、人のために行動できる人間。

そういう生き方を、将臣も一応、尊敬はする。しかし、自分自身はそういった人間でないこともわかっている。

「他人のことまで気にしてるっていうんじゃなくてな……」

 考えながら、言葉を紡ぐ。

「多分――他人だと思えなくなってきてるんだろうな」

 思い浮かべていたのは他でもない、清盛のことだった。

 出会ってから共に過ごした時間はけして長いものではなかったはずなのに、今となってはそう思えない。

 いや、清盛だけではないのかもしれない。

 あの少女のことが頭に引っかかって離れなかったのも、その姿を、帝と重ねてしまったからだろう。要は、そういうことだったのだ。

「我ながら、妙なこと言ってるけどな」

「いえ」

 経正が首を振る。

「尼御前が仰られていました。伯父上が人生の最後に、将臣殿と出会うことができてよかったと」

 それは、将臣も前に言われたことがある。

「ですが、もしかしたら、将臣殿がこの世界に来られたことには、もっと大きな意味があるのかもしれませんね。伯父上だけでなく、我ら一門にとっても」

「……どういう意味だよ?」

 経正は小さくほほえんで見せただけで、答えなかった。




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