還内府の章 二十二、宵闇(よいやみ)(づき)

 

 宗盛と別れた将臣は、1人、庭に出た。

縁側に腰を下ろし、夜空に照る月を、見るとはなしに見上げる。

自然、ため息がもれた――。

 考えてみれば、だ。

 飢えも、(いくさ)も、この世界に限った問題ではない。将臣の世界にも、全く同じものがある。

ということはつまり、今すぐ誰かにどうにかできるというほど、事は単純ではないのだろう。

 その点では、宗盛の言っていたこともわかる。だが、五条大橋で出会った少女の姿は、頭から離れない。

 何なのだろう、これは。

 罪悪感、というやつなのだろうか。将臣自身は、飢えとは無縁の場所に居る。それも自分で努力した結果ではなく、ただ運が良かったというだけで。

「参ったな……」

 もう1度、将臣は嘆息した。

 この京の問題について、自分が悩んだところで仕方ない。

そもそも、思い悩むこと自体ガラではないのだ。

 考えるより行動、それができなければさっさと寝てしまう、くらいが以前の自分らしかったはずだ。

「参った……」

「随分と、お困りのようだな?」

 からかうような声の主が誰か、わざわざ振り向いて見なくてもわかった。

それでも一応、振り向いて見ると、少しだけ予想と違う光景が待っていた。

「なんだ、珍しいな」

 知盛だけでなく、重衡も一緒だった。この兄弟がそろって顔を出すとは珍しい。

「門の外で、偶然会ったのでございますよ」

重衡が答えた。

「宗盛兄上に呼び出された」

 そう言いながら、なぜか縁側に腰を下ろす知盛を見て、

「呼び出されたんなら、行かなくていいのか?」

と、将臣は首をひねった。

「大方、説教だろう……。急ぐことは……ない」

「兄上。今はこのような時なのですから、兄弟、力を合わせねば」

とか言いつつ、自分も縁側に腰かける重衡。

 将臣はさりげなくその横顔を伺った。

南都焼討の後、一時は廃人のようなひどい状態だった。その頃に比べれば、顔色はいくらかマシになったようだ。

2ヶ月前の源氏との(いくさ)では、自ら望んで出陣し、大将を務めている。もっとも、それは事件から立ち直ったというより、自分を罰し、追いつめようとしているようにしか見えなかったが――。

ここ最近の重衡は、もっぱら女通いをしている。

相手は、さる貴人に仕える女官だとか。音に聞こえた琵琶の名手で、その美しい音色に心癒されている、らしい。

 知盛によれば、通う相手は他にも居るらしいが、そういう話を聞くと、完全に立ち直っているような気がしなくもないが、それでも―重衡の心の傷は深い。

 京の南に、平等院という寺がある。重衡は女通いと同様、この寺にも足しげく通っている。そして時間の許す限り、静かに祈りを捧げているそうだ。

「それで……何をため息などついていたのかな?」

「別に何でもねえよ」

と将臣はごまかした。知盛に話したら、なんとなく馬鹿にされそうな気がする。

 すると重衡が、

「京の人々の暮らし振りに、心を痛めていらっしゃるのですね」

「は?」

「……ここに来る前に少しだけ、母上からお話を」

「なんだ。ってことは……」

 将臣は知盛の横顔をにらんだ。

「おまえも聞いてたんだな?」

 知っていて、わざわざ質問してきたわけだ。あいかわらず、性格が悪い。

「宗盛兄上には……相手にされなかっただろう?」

「ああ、その通りだよ」

 将臣は投げやりに答えた。

「兄上」

 重衡がたしなめる。それから将臣に向かって、

「私は、よい考えだと思うのですが」

と、時子と同じことを言った。

「……ありがとよ」

「たとえ小さなことでも、民のためにできることがあるなら、すべきだと思います」

 淡々とした話し振りだが、瞳は熱心に輝いている。

「罪滅ぼしのつもりか……重衡」

「!」

 重衡の顔が強張った。

「おい、知盛」

 普通、それは思っても口にしないだろう。もう少し、いたわってやれ……というのは、言うだけ無駄か。

「他人の心配など、している場合なのか……?」

 知盛が横目でこちらの顔を伺う。

「あ?」

「おまえには、おまえの……目的が、あるのだろう?もしや、あきらめたか?」

「目的って、元の世界に帰るってことか?」

別にあきらめたわけじゃねえよ、と将臣は嘆息した。

帰る方法がわかっているなら、将臣とて努力する。しかし現状はそれさえわからないのだから、どうしようもない。

 清盛は何とかしてくれるつもりでいたようだが――。

 すると重衡が顔を上げ、こう尋ねてきた。

「宗盛兄上は、何も仰らなかったのですか?」

「あ?なんで宗盛の名前が出てくるんだ?」

「…………」

 兄弟が意味ありげに視線を交わす。

「なんだよ。もったいつけるなって」

「宗盛兄上は……、龍神のことを、調べていなかったか……?」

と知盛。

「ああ、そういや、龍神がどうとか言ってたな。それがなんだ?」

 答えたのは重衡だった。

「父上が遺言されたのです。自分に代わり、必ず将臣殿を元の世界に帰してさしあげるように、と」

「………っ!」

 将臣は息を飲んだ。

 まさか。

 このところ頻繁(ひんぱん)に邸に来て、調べていたのは――。

「嘘だろ?」

「宗盛兄上が、どれほど本気かは知らんがな……」

 知盛はどうでもよさそうに肩をすくめた。

「平家を継ぐ……ということは、父上の力も、目的も……全てを継ぐ、ということだ。おまえを元の世界に帰すというのも……所詮、その内の1つに過ぎんさ」

「マジかよ……」

 将臣は頭を抱えたくなった。さっき、自分は宗盛に何と言った。記憶違いでなければ――冷たい、とか何とか言った、ような。

「気に病むことはないだろう」

知盛が言う。何か嫌な記憶でも蘇ったのか、軽く眉間にしわを寄せて、

「宗盛兄上は、昔からわかりにくい――」

「そうでしょうか?」

キラリと重衡の目が光った。

「そう思っているのは、知盛兄上だけではないでしょうか」

「……何が言いたい」

「普段は察しがよいのに、身近な人のこととなるとわかっていらっしゃらないのですね、兄上」

「…………」

「おい。兄弟げんかすんなよ」

 将臣は両手を広げ、仲裁に入った。

 よそでやってくれるなら別に構わない。2人はちょうど、将臣を挟んで座っているのだ。その位置に腰を下ろしたのは、重衡の計算なのかもしれない。

「宗盛兄上のことは、放っておけばいい」

知盛が言う。当人が聞いたら、また頭からどやされそうなセリフだ。

「探し人のことは、どうなっている。それも、あきらめたか?」

「探し人って――」

 将臣は微妙に脱力した。

「何だよ。やっぱり知ってたのか」

「将臣殿の想い人でございますね」

と重衡。将臣は心底あきれつつ、

「いつのまに、そんな話になったんだ?違うって。ただの幼なじみだっての」

「どのような女性なのですか?」

 女だけでなく、弟も探しているのだが――重衡にとって、そちらは重要でないと見える。

「お名前は何と?」

「……望美」

「のぞみ……」

この世界では、あまりない名前かもしれない。将臣は仕方なく説明を付け加えた。

「願いとか希望とかの『望』に『美しい』だよ」

「望美……『望月(もちづき)の君』でございますね」

 重衡がうっとりした顔で月を見る。その光のように美しい姫君――とか、多分そんなようなことを想像しているはずだ。

「それは、父上が飼っていた馬の名だろう」

「兄上。気分を壊すことを仰らないでいただけますか」

「……あのな、重衡。期待を裏切って悪いが、別にどこにでも居る女だぞ。特別美人ってわけでもねえし」

 望美が聞いたら、怒るか、すねるか。

 だが、多少事実を歪めることになったとしても、こいつらの関心を引くよりはマシだろう。

「構わんさ……。要は、おまえにとっては特別、なのだろう?」

知盛が見透かしたように笑う。

「だから、そうじゃねえって――」

「気の強い女か?」

「いえ、花のように清らかな女性でございましょう」

「おまえら、自分の好みを言ってるだけだろ。普通だ、普通」

「普通……ね」

 信じているのかいないのか、そうつぶやいて――知盛は聞き捨てならないセリフを口にした。

「半年経って見つからないものが、今更無事で居るとも思えんが、な……」

「おい――」

「生きていたとして、今頃はどこかに売られているか……。大陸にでも運ばれる船の上か……」

「おい、知盛」

 将臣は立ち上がった。

 知盛がおもしろそうな顔をする。その目を見下ろし、

「あいつは無事で居る。俺にはわかるんだよ」

 きっぱり言い切ると、知盛はわざとらしく感心して見せた。

「……それは、それは」

「将臣殿、申し訳ございません」

 重衡が兄の代わりに謝ってきた。

「兄上、口にしてよいことと悪いことがございますでしょう」

 弟の説教は完全無視。知盛は口元を笑みの形に歪め、嘲るように言った。

「クッ……それほど大事な相手が居るというなら、尚更だ。……他人のことで悩んでいる暇など……ないだろう?」

「……それとこれとは違うだろ」

「…………」

 知盛は冷たい嘲笑を浮かべたまま、答えない。

 緊張感をはらんだ沈黙が過ぎ――結局、先に目をそらしたのは将臣の方だった。

 どさり、と身を投げ出すように縁側に腰を下ろし、乱暴に前髪の辺りをかく。

(なんなんだろうな、俺は……)

 悩んでも仕方のないことをぐだぐだ悩んで、自分のことは自分で手に負えず。

 苦い思いで、ただ宵闇の月を見る。

「わからんな――」

 知盛がつぶやく。いつのまにか、冷ややかな笑みは消え、単に不理解の表情になっている。

重衡は口をひらかない。

沈黙が(おり)のように辺りに満ちた。




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