還内府の章 二十一、受け継がれたもの

 

「……将臣殿?どうなさいました?」

 時子の声で、将臣は我に返った。

 その日の夕餉(ゆうげ)の席である。どうやら、箸を持ったままぼんやりしていたらしい。時子は心配そうに顔を曇らせて、

「先程から、あまり召し上がられていないようですが……もしやお加減でも?」

「そういうわけじゃないんですが……」

将臣は言葉を濁した。

 目の前には夕餉の膳がある。海の幸、山の幸がふんだんに使われた、豪華で栄養満点の食事が。

「何か()き事がおありなのでしょうか?」

 時子は重ねて尋ねてきた。

 話してもいいのか、一瞬迷った。自分は居候(いそうろう)の身だ。食べる物も、着る物も、人から与えられている。

 時子は話をせかすこともせず、黙って答えを待っている。

……結局、口をひらいてしまったのは、その優しい瞳に甘えてしまったのかもしれない。

「実は――」

 将臣は昼間の出来事を話した。五条大橋の上で、飢えた少女と出会ったのだと。

「そうですか、そのようなことが……」

 時子は瞳を伏せた。

「幼い子供らが飢えているのは、真に悲しきことでございますね。全ては、我ら大人の不徳と致すところ……」

「炊き出しとか、できないんすかね?」

 将臣はふと思い付いたことを口にした。

「炊き出し、でございますか?」

「食うものが足りないって言っても、ある所にはあるんだし……凶作が一段落するまでの間だけでも」

 京の寺や神社の中には、確か貧しい人々のための(ほどこ)しを行っている所もあったはずだ。それをもっと大規模に行うことができれば――。

「それはよい考えでございますね」

 時子の瞳が輝いた。

「宗盛殿にお話ししてみてはどうでしょう。ちょうど邸に来ておりますので」

「は?いつの間に……」

 父の死後、1人残された母親を気遣ってか、宗盛は以前より頻繁に邸を訪れるようになっている。しかし、今日はまだ顔を見た覚えがないが――。

「将臣殿がお出かけの時に来られて。それからずっと、清盛殿のお部屋に籠もっておいでです」

 食事も取らずに、と時子は心配そうに付け加えた。

「将臣殿のお考えは、後で私の方からお話ししておきます」

「いや、俺が行きますよ。言いだしっぺなんだし」

 というわけで、将臣は宗盛に会いに行った。

 清盛の死後、部屋はそのままにされている。置いてあった家具も、大量の書物も。

その書物の山に埋もれるようにして、宗盛は文机に向かっていた。

 書き物でもしているようだが……何やら様子がおかしい。

たまに舌打ちしたり、頭をかきむしったり。まるで受験前夜の浪人生のように、イライラと落ち着きがない。

 よく見れば、顔色はどす黒く、目は血走っている。

「……睡眠不足じゃねえのか?」

 つい、そんな声をかけていた。

「何か用か、将臣殿」

と言いつつ、宗盛は文机から顔を上げようともしない。

「……あー、忙しそうだな。後にした方がいいか?」

 気を遣ったつもりのセリフは、あまり効果がなかったようだ。

「後でも同じだ。どうせ暇にはならぬ。用があるなら、早く言ってくれ」

「……わかった」

 とりあえず足の踏み場もないほど散らかった部屋の中に、どうにか足を踏み入れて、宗盛の背中側に腰を下ろし。

 将臣は話した。

「左様なことにかかずらう暇はない」

 全て聞き終わる前に、ばっさり。

「暇はない、って……」

「用件はそれだけか」

 宗盛が振り向く。さっさと立ち去れと言わんばかりだ。

「……あのな。言っちゃ悪いが、冷たくねえ?帝や清宗と変わらない年の子が腹すかせてんだぜ?」

 すうっと宗盛の瞳の温度が下がった。

 将臣は内心驚いた。そういう目付きをすると、実の弟に――知盛に、よく似ている。

「なれば貴殿に尋ねよう、将臣殿」

 宗盛が口調を改める。将臣はなぜか身構えた。

「民はなぜ飢えるのか?」

「なぜって……」

 町の人々の声が、耳に蘇る。

 戦乱への不満、政治への不満、平家への不満……だが、他ならぬ平家の棟梁の前で、それを口にするわけにはいかない。

「凶作のせいで、食料が入ってこなくなったから……じゃねえのか?」

 将臣の答えを、宗盛は厳しい口調で切り捨てた。

「凶作などたびたび起きる。日頃の備えさえあれば乗り越えられよう」

「そりゃ、ま、そうだが……」

「民が飢えるのは、ひとえに(まつりごと)の不備だ」

 将臣はあっけにとられて宗盛の顔を見返した。

「大方、それは平家のせいだとでも言いたいのだろうな」

「いや、俺はそこまでは……」

 口ごもる将臣に、

「町で噂を聞いてきたのだろう?」

と宗盛は言った。

「あるいは宮中の女官にでも聞かされたか?」

「おい、ちょっと待て――」

「構わん。誰から聞いたのだとしても――事実、その通りなのだからな」

 将臣は思わず身を乗り出した。

「待て。全部が全部、平家のせいだなんて誰も言ってねえぞ」

「私もそこまでは言っておらぬ!」

 宗盛が文机を叩く。にわかに声を張り上げて、

「民を飢えさせる、最も大きな問題は何だと思う!」

 将臣が何か言うより早く、宗盛は答えを口にした。

「それは(いくさ)だ。戦が飢えを招くのだ」

「……戦が?」

「言わずもがな、大量の兵糧の確保も一因だ。戦が起きれば、各国は兵糧供出の義務を負う。だが、ほとんどの国が、今年はそれができぬと言ってきた。相次ぐ戦、昨年の凶作、もはや負担を負うのも限界だと――」

 矢継ぎ早に言葉を紡ぐ宗盛を、将臣はただ見ているだけだった。

迫力に負けたというのもあるが、話のスピードについていけなかったせいでもある。

 頭の回転の速さは、さすが清盛の息子で、知盛・重衡の兄だ。

「治安の悪化もある。戦で土地が荒れ、畑を捨てる農民が増えれば、さらなる飢えを呼ぶ――」

「…………」

「今、飢えた子供の1人や2人救ったところで、気休めにもならぬのだ!平家を継いだ私にできるのは……一刻も早く戦乱を鎮め、京の(まつりごと)を正すことだけだ」

 急に、宗盛の体から力が抜けた。がっくりと肩を落とし、文机に身を預ける。その姿に、背中に、深い疲労の色が滲んでいた。

「……悪い」

 将臣はようやくそれだけ口にした。

 自分はこの世界の人間ではない。責任も、果たすべき役割も何もない。

今まさに、戦や飢えといった深刻な問題と向き合わねばならない宗盛の目には、さぞや気楽な身分に見えることだろう。

「いや……すまぬ。貴殿に愚痴を言ったところで、仕方のないものを」

 宗盛が小さく首を振る。澄んだ、硝子(ガラス)の鳴るような音がした。

 将臣は見た。宗盛が着物の下から、何か取り出すのを。

 それは細い鎖だった。お守りのように首にかけて、身につけていたらしい。鎖の先には、小さな黒水晶の欠片のようなものがつながっている。

 宗盛は取り出した欠片を灯台の()にかざし、じっ、と見つめた。

「貴殿の言う通り、凶作も民が飢える一因ではある。日照りや水害……それは京の龍脈の乱れが招くものだ」

「……リュウミャク?」

 将臣のつぶやきにも反応しない。宗盛は、どこか遠いまなざしで、

「龍脈の管理者たるべき龍神の力が、失われていなければ――」

 ――龍神。

 久しぶりに耳にする言葉だ。

京を守護する神で、将臣をこの世界に呼び込んだ張本人らしい、とかつて清盛に聞かされた。

「所詮、私に父上の代わりはできぬ。父上から受け継いだものが、私には重い――」

「何のことだ?」

「……いや」

 宗盛は思い直したように首を振り、

「何でもない。忘れてくれ」

 そう言って、あとは将臣の方を見ようともしなかった。




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