還内府の章 二十、清盛亡き後

 

 その後の平家一門は(あわただ)しかった。

――(うるう)215日。

清盛の死から10日と経たないうちに、平家の大軍が京を出発した。

東国の叛乱鎮圧のため――源氏の棟梁・源頼朝討伐のためである。

昨年、『富士川の戦い』で敗れて以来、入念に準備・計画された派兵であった。

清盛の急死によって、一門内部では一時、計画の中止も検討されたという。それが強行されることになったのは、頼朝の首を我が墓前に――という清盛自身の遺言があったためだ。

一方の源氏も、平家を迎え撃つべく、頼朝の叔父・行家(ゆきいえ)を大将として、西に軍を進める。

 310日。

 平家と源氏の両軍は、尾張(おわり)美濃(みの)国境(くにざかい)に当たる墨俣(すのまた)(がわ)で激突した。

 この合戦に勝ったのは平家の方だった。

 源氏軍は奇襲を見抜かれ、多くの将が討死(うちじに)、大将の行家がやっとのことで逃げ帰るという有様(ありさま)。源氏側の大敗北と言ってよく、平家はそのまま勢いに乗って攻め進んだ。

しかし、結局は東国に攻め込むところまでは行かずに、途中で兵を引く。

 理由は(おも)兵糧(ひょうろう)の不足だという。

前年の天候不順によって国中で凶作が起き、それが大規模な軍事行動の足枷になりつつあったのだ。

 もとより、東国は遠い。何万という軍勢を送り込むためには、莫大なコストがかかる。

 富士川の時のように、攻め込んだはいいが逃げ帰る、では意味がない。

あくまで京を中心に守りを固めつつ、慎重に準備を進め、機会を待つ。

それが、平家の棟梁を引き継いだ宗盛の立てた方針であった。

 こうして、西に平家、東に源氏が勢力を張り、互いににらみ合う形となった。

 (またた)く間に時が経ち、4月。

この頃になると、京の人々の暮らしにも凶作の影響が出始めていた。

京はこの国の都。十万を超える人々が暮らす大都市である。

将臣の世界でもそうだが、都市部というのは、自力で食料の生産ができない。地方から運ばれてくる物資によって、日々の生活が成り立っている。

その物流が滞れば、当然、多くの人々が困ることになる。

(六波羅に居ると、それほど感じないんだがな……)

 将臣は五条(ごじょう)大橋(おおはし)の上に居た。

 見下ろす先には広い河原。ここは地名そのままに五条河原と呼ばれており、京の町中(まちなか)に家を持つことのできない人々が、身を寄せ合うように暮らしている。

 たまに市がひらかれることもあり、貧しいながらも活気のある場所だ。

 以前は、そうだった。

 今は――こうして見下ろしても、明らかに様子が変わった。人の姿もまばらで、不自然に静まり返っている。

(凶作、か……)

 将臣はあいかわらず京の町を1人うろついている。望美と譲の行方を探すためだが、おかげで人々の暮らし振りをじかに知ることができる。

 皆、生活が厳しくなったと言う。

 そして、たび重なる戦乱や、政治の乱れに不平を漏らす。誰も将臣が平家の客人であるなどとは知らないから、平家を名指しで責める者も居る。

 京の政治のことはよくわからない。

 ただ、町の人々が物不足に苦しんでいる一方で、たまに訪れる宮中では、緩やかにつつがなく時が流れている。

 そんな矛盾を目の当たりにすると、果たしてこれでいいのかと思う時がないこともない。無論、自分に何ができるというわけでもあるまいが――。

 カラン。

 橋の欄干が、小気味よい音を立てた。

 将臣は顔を上げた。小さな子供が、目の前に立っていた。

 ぼろぼろの衣服でとっさに判断がつきかねたが、おそらく少女だろう。

 ――帝に似ている。

 大きな瞳も、やや赤みがかった髪も。背格好も、ちょうど同じくらいだ。

 少女はやせ細っていた。飢えているのは明らかだった。

将臣は声が出なかった。

 少女がなぜそこに居るのか、自分を見ているのかもわからなかった。ただ、その強い瞳の光に、射すくめられたかのように動けない。

 誰かが叫んだ。

 橋の下から母親らしい女が現れ、少女を抱き抱えて、逃げるように姿を消す。ほんの一瞬の出来事だった。

「…………」

 2人の気配が消えた後も、将臣はしばらくの間、そこから動けなかった。




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