還内府の章 一、出会い(2)


 そんな願いも虚しく。

翌朝、将臣を待っていたのは、さらに衝撃の光景だった。

ひとまず様子を見ようと、昨夜の町に戻ってみると。

「なんだ、こりゃ……」

誰も居なかったはずの町に、大勢の人間が歩いている。

それはいい。問題は、彼らの服装だ。どこからどう見ても時代が違う。

買い物途中らしい女性も、荷車を引いて歩いていく男も、洋服ではなく、質素な着物をまとっている。男の方は、さらに膝丈ほどの(はかま)を履いていた。足元は裸足(はだし)で、靴さえ身につけていない。

ぽくぽくという足音に振り向けば、道の向こうからやってくるのは、馬。

顔が長くてヒヒンと鳴くあの馬が、人通りに混じって、普通に歩いてくる。

馬の背には若い男が乗っている。やはり古風な着物に袴、さらに黒髪を細長い(まげ)の形に結い、烏帽子(えぼし)をかぶり、腰には刀を差していた。

いわゆる『武士』というやつだろう。それも、江戸時代より、多分もっと前の。

当然のことながら、将臣の服装は(いちじる)しく浮いていた。

 じろじろ見る者、指差して笑う子供、その子供の手を引いて逃げていく母親。

 役人っぽい男が近付いてきた時、勘のいい将臣は、いち早く察して逃げた。

 彼らが映画のエキストラか何かだったらいいのだが……どうも、そういうわけでもないようだ。

 タイムスリップ。

 現実味のない言葉が、現実味を帯びてきた。

 とすると、あの濁流がタイムマシンの代わりなのか?

「参ったな……」

 空はいい天気だ。

 将臣は道端に腰を下ろし、行き交う人々の姿を眺めていた。

 別に、のんびり見物していたわけではない。空腹で、歩くのが辛くなってきたのだ。

「はあ……参った」

 ため息をついて空を見る。

 きょうも時期に暮れようとしている。行くあては、ない。

 実際、かなり参っていた。

しかし最悪の状況と思えたものには、より上があったらしい。

 寝場所だけは確保しているつもりだった――それが、日暮れ前に昨夜の小屋に行ってみると、先客が居た。

 ぼろぼろの服を着た男2人。

 目付きや物腰から、なんとなくヤバそうな雰囲気を感じた。

 彼らは追いはぎだった。錆びかけた短刀を突きつけて、将臣を脅した。

 当然、逃げる以外の選択肢はない。

 空腹で、ろくに走ることもできなかった。それでも追いつかれずにすんだのは、彼らが将臣と同じくらいに空腹だったから、かもしれない。

 この世界には、まともな暮らしからあぶれた人間が大勢居る、ということは、後で知った。

 寝場所を追われ、日は暮れて。

 やがて、雪が降ってきた。

 昨夜と同様、辺りにひとけはなく。

 雪の中を、将臣は1人、歩いた。

 はあっと吐いた息が、白い。

「……(さみ)いな」

 つぶやいて、近くの塀に背中を預ける。

 目を閉じると、自然、まぶたに浮かんできたのは望美と、譲の顔だった。

(あいつら、無事かな……)

 寒さと疲労で、頭がぼうっとする。

このまま眠ってしまったら、かなりまずい気がする。

 だが一方で、それは甘美な誘惑でもあった。疲れた……眠い。腹減った……。

「そこで何をしている!」

 鋭い誰何(すいか)の声に、目が覚めた。

 3人組の男が、将臣の前に立っていた。全員が古風な着物姿に刀を差し、うち1人が、松明(たいまつ)を掲げていた。

不埒者(ふらちもの)め!ここを入道(にゅうどう)相国(しょうこく)殿(どの)(やしき)と知っての狼藉(ろうぜき)か!」

「へ?ち、ちょっと……待ってくれって」

 問答無用、手の空いている2人が、将臣の腕をつかんで引っ立てる。空腹の将臣に、逆らう力はなく。

「来い!怪しい奴めが」

おそらくは、邸の警備兵か何かだったのだろう。裏門らしき場所から、塀の中に連れていかれた。

「おいおい!何なんだよ。俺はただ、塀の外に立ってただけだろ!?」

 将臣は必死で抗議の声を上げた。しかし警備兵らしい男たちは、まるで聞く耳持たず、

「黙れ!中の様子を伺っていたのであろうが。さては貴様、源氏の間者(かんじゃ)か!?」

「はあ!?わけわかんねえこと言うなって。おい、放せよ!」

 将臣が警備兵たちと揉み合っているところに、邸の方から、足音が近付いてきた。

「おまえたち、如何(いかが)した」

 警備兵たちの動きが止まる。

 現れたのは、小柄な老人だった。

(とび)色の着物をまとい、烏帽子の下からのぞく髪は既に白い。痩せて、頬はこけているが、まなざしは柔和だった。

「これは、斉藤殿(どの)。門の外にて、怪しい男を捕らえましてございます」

警備兵の1人が、そう言って、将臣の頭を得意げに押さえつける。

「別に俺は、怪しくな……」

「黙れ!妙な格好をしおって」

 耳元で怒鳴られ、腕をひねられて、縄をかけられそうになる。それを斉藤と呼ばれた男が制した。

「やめよ、おまえたち。見れば、まだ年若の者ではないか?放してやるがよい」

 どうやら話のわかる相手で助かった――と思ったのも(つか)()

 そこに、また別の声が割って入ったのだ。

「待て、(さね)(もり)

大殿(おおとの)?」

 斉藤が声のした方を振り返る。

「その者、ここに連れて参れ」

 声の主の姿は見えない。男――多分、若くはあるまい。

「しかし、大殿のお手を煩わせるようなことにはございませぬゆえ」

 斉藤が戸惑い顔で言う。

「よい。ちょうど退屈しておったところよ。我が邸に忍び込むとは、度胸のある奴ではないか」

 声はどこか楽しげに続けた。

「暇つぶしに遊んでやろう。面構えが気に入ったなら、(しるし)を庭に飾ってやってもよいぞ」

 幸い、シルシというのが何のことか、将臣にはわからなかった。

「大殿、かような恐ろしきことを――」

「余計な口出しをするでない、実盛。(はよ)う連れて参れ」

『ははっ』

 警備兵たちが、声の主のもとに将臣を引きずっていく。

 広い庭に面した縁側のような場所に、人影が立っていた。

「こう暗くては、顔もよく見えぬのう。もっと明りを近くに持って参れ」

 声の主に命じられて、警備兵の1人が将臣の頭をつかみ、無理やり上向かせた。

 松明を突きつけられる。火の粉がかかるほどの距離だ。熱気と眩しさに、思わず目を閉じる。

!?』

 一瞬の間があいた。

「し、重盛様っ……!?」

 叫んだのは、あの斉藤という男のようだった。

「馬鹿を申すでない、実盛!」

「はっ、申し訳ございませぬ。しかしこの御仁(ごじん)、どことなく重盛様に……似ておりますな」

 将臣はそろそろと目を開けた。

 松明の明りで、辺りの様子が見えた。

 縁側に立っている男は、年は60過ぎに見えた。背は高くもなく、低くもない。恰幅(かっぷく)のいい体つきというわけでもない。

 しかし、妙に存在感がある。うまく言えないが……いかにも只者でない、といったオーラを全身から放っている。

 頭髪を剃り落としているところや、身にまとっている着物の形などから見て、偉い坊さんか何かかもしれない。

 眼光は鋭く、きりりと両の眉を上げ、口を半開きにしている。その表情が示すのは、怒りか、驚愕か。

「どことなく?何を言っておる!この者……若き日の重盛に瓜2つではないか!」

 やおら、男が縁側から飛び降りてきた。

「大殿!?」

 止めようとする斉藤の手を押しのけ、男はしげしげと将臣の顔を眺めた。

「ふうむ……見れば見るほど似ておる。おもしろい。おもしろいぞ」

「………?」

「その(ほう)、立ってみよ。放してやるがよい」

 セリフの後半は、警備兵たちに向けられたものだった。

『し、しかし……』

 警備兵たちがためらうと、男の双眸(そうぼう)に怒りが閃いた。

「貴様ら、この我に同じ(めい)を繰り返させる気か?」

『申し訳ございません!!』

 身を投げ出すように地面に平伏(ひれふ)す警備兵たち。おかげで、将臣も自由になった。

 男は、立ち上がった将臣の周りを興味深そうに歩き回りながら、

「ほうほう。体つきは、重盛より華奢(きゃしゃ)であるな。上背ももう少しほしいところよの。その(ほう)、年はいくつじゃ」

「……17だよ」

 とりあえず素直に答えておく。

 男はなぜか満足げにうなずいた。

「ふむ。では、まだ伸びるな。もっと体を鍛えるがよいぞ。その腕では、太刀(たち)も満足に握れまい?」

「悪かったな。これでも一応、体は鍛えてんだよ」

 面倒な事が嫌いな将臣は、部活には所属していない。とはいえ趣味で体は動かしているし、体力にも自信がある方だ。華奢と言われたのには、少しばかり傷ついていた。

 将臣のぞんざいな口ぶりに、警備兵たちが顔色を変えて立ち上がる。

「貴様、大殿に向かって無礼な……!」

「やかましいわ!」

……が、男に一喝されて、再度平伏(ひれふ)した。

「名は何と申す」

「有川将臣」

「ふむ。どのように書く?」

「どうって……有る川に……大将の将と、大臣の臣」

 男は愉快そうに笑い出した。

「ははは、豪儀な名よの。実に出世しそうではないか。気に入ったぞ」

「……はあ」

「して、我が邸に何用じゃ」

「……いや、別に用があったわけじゃなくてな。ちょっとばかり、塀の所で休ませてもらってたんだよ」

 将臣の答えに、男は軽く眉をひそめた。

「休む?かような雪の中でか」

「ああ、ま、何つーか……行くあてがなくてな」

 正直、こうして話しているだけでも()きっ(ぱら)に響く。自然と胃袋の辺りに手が行った。

 男は目敏くそれに気づいた。

「なんじゃ、腹が減っておるのか?早う申さぬか。()ぞ!誰ぞおらぬか!」

 男の声で、辺りが騒がしくなった。バタバタと、複数の足音が邸の中で響く。

「膳の支度をせよ!湯浴(ゆあ)みもさせてやるとよい!――時子!時子はおるか!おもしろき客が来おったぞ!」



二、清盛の客人 に進む


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